中国の同修は海外の電話プロジェクトへ参加しないでください
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年3月11日】3年前、私たちは電話で真相を伝えるプラットフォームを導入し、3年間で多くの人々を三退させました。しかし、このプラットフォームは各地の同修の間で大きな意見の違いを生み出しました。電話をかける同修は「人を救うことが第一であり、人を救うことができればそれで良い」と考え「電話をかけることに参加しない同修には恐れる心があり、自我を放下できない」と考えました。一方、別の同修は、このプロジェクトは中国の環境に合致しておらず、多くの同修の安全を脅かすことになるだけでなく、師父が中国の修煉者の安全について話された説法にも合致していないと考えました。さらに、中国から参加している同修は、このプロジェクトを主導している海外の人員の状況について何も知りません。海外でプラットフォームを設置する技術者、海外から中国の修煉者を指揮する人、あるいは海外のプラットフォームと中国の同修に資金を提供していると自称する人たちは、いずれも中国共産党(以下、中共)のスパイに利用される可能性が高いのです。

 現在の状況と認識を皆さんと共有するために、ここに書きたいと思います。

 一、プラットフォームの状況

 このプラットフォームは、中国の同修と海外の同修がネットワークで繋がることで運営されています。海外の同修が中国の人々に電話をかけ、中国の同修が電話越しに三退を勧めます。インターネットに接続する場合は、神盾VPN(訳注:中国政府のインターネット検閲を回避するための技術)と自由門を使用します。

 このプロジェクトの協調人は、常人の管理方法を採用すべきと考えています。この方法では、2種類のソフトウェアが使用されます。1種類目は、全体的な交流、トレーニング、評価に使用されます。このソフトウェアはマンブルと呼ばれ、毎週1回のトレーニング、毎週1回の交流に使用されます。普段真相を伝える時もマンブル上で行われます(マンブルは以前から一部の修煉者がオンライン学法に使用しているソフトウェアsonantのことです)。2種類目は、グループの作成、修煉者間の連絡、各地区の三退人数の統計に使用されます。地域によって異なるソフトウェアが使用され、以前はメッセージングアプリやナンドボックス(訳注:ビデオ通話アプリ)が使用されていましたが、現在は德訊(訳注:コミュニケーションソフトウェア)、神訊などが使用されています。これらのソフトウェアで、修煉者は家の住所、個人情報、誰に正念を送るのか、さらには結婚式や葬式で誰の家で食事をするのかなどを、遠慮なく話しています。

 以下に、私たちが法に符合していないか、または中国の環境に適していないと考える言行の例をいくつか挙げます。

 1. 協調人は各地域にグループを作成し、大規模な指揮、地域間の連絡、オンラインでの集団トレーニングと交流を行い、個々の修煉者の修煉状態を把握しようとしています。これらのやり方は「大規模な協調」に属し、中国の大法弟子が注意すべき安全について師父が説かれた法に符合していません。

 2. 毎週、グループ内で「三退」の人数と電話時間の報告を義務付けることで、修煉者の「三退」の数字を追求する気持ちが強くなり、さらに協調人は修煉者たちに地域における「三退」人数減少の原因を分析させています。

 3. グループの作成について修煉者が協調人と話したところ、協調人から強い反発を受けました。修煉者が携帯電話の安全問題に注意するよう指摘したところ、協調人たちは「携帯電話は法器だ」「自分自身を迫害される立場に置くべきではない」と反論しました。明慧が中国の学習者に対して明慧メールボックスと明慧プラットフォームの使用を推奨していることを修煉者が指摘すると、協調人たちは「あれは不便だ。明慧メールボックスとプラットフォームは一般の修煉者向けだ」と言いました。その修煉者は明慧に確認し、明慧からの回答を協調人に伝えました。しかし、協調人は「通告」と称する文書を発行し、その修煉者が問題を起こし、明慧を誤解させ、人を救うことを妨害し「旧勢力によって淘汰される対象」であると主張しました。そして、その修煉者の「職務」を解任し「任命書」を発布して、別の修煉者をその職務に任命しました。

 4. 一部の修煉者は、海外の修煉者と個別に電話で連絡を取りたいと考えており、グループ作成やトレーニングへの参加を望んでいません。協調人は、そのような修煉者は自己中心的な考えや恐れる心を持っていると考え、自身の管理理念に合わないとして、参加を認めていません。

 5. このプロジェクトはパソコンの基礎知識が必要ですが、参加する修煉者の中にはピンイン(訳注:中国語の発音をローマ字で表す表記法)さえ分からない高齢者も多くいるため、いつもオフラインで集まってトレーニングする必要があります。コンピューターのシステム、神盾VPNソフトウェア、グーグル・クロームは、定期的にアップグレードする必要があります。これらはすべて技術を持った修煉者によって行われるため、定期的に十数人がコンピューターと携帯電話を持ち寄り、まとめてアップグレードを行います。これは大きな安全上のリスクを伴います。

 6. 各地域の技術担当の修煉者は、実際には技術やネットワークセキュリティの知識を持っておらず、技術総責任者の指示に従って作業をしているだけです。そのため、実務においては技術的な脆弱性が多く存在します。

 7. 2018年に明慧編集部が発表した「安全性を重視することは最も重要な事である」という文章について同修と電話で話して交流したところ「2018年の明慧での交流を持ち出すのは少し無理があるのではないですか。これらの状況は師父が把握しています。私たちも何度も困難に直面しながらもなぜ展開することができたのでしょうか? 師父は私たちがこのような人を救う方法を実践できると見て、慈悲で許してくださったからです」などの発言がありました。

 私個人としては、海外から指揮し、中国で推進するプロジェクトには2つの問題があると考えます。

 第一に、技術的な安全面では、海外のプロジェクトは海外の環境に合わせて開発されており、中国の特殊な状況に対して十分な安全対策が施されていない可能性があります。自由門と無界以外のVPNソフトウェアを使用して海外のウェブサイトにアクセスすることは、中共による監視を受けやすい行為です。たとえグループを作成していなくても、海外の同修と一対一で連絡を取る場合、真相を伝えるウェブサイトが監視されていると、中共は容易に、口頭で真相を伝えた同修のIPアドレスを見つけ出すことができます。これは、全体的な安全に計り知れない損失をもたらします。中国でソフトウェアを使用してオンラインでグループを作成したり交流したりすることは、師父が過去に説法で禁止し、明慧ネットでも繰り返し禁止している行為です。

 第二に、心性の修煉という面では、このプラットフォームの使用は、中国の同修が面と向かって真相を伝えたり、資料を配ったりする時に抱く恐れる心などの執着心を、大きく回避することができます。しかし、このプラットフォームの組織と管理者は常人の管理モデルを推奨しており、私の認識では、師父は海外メディアなどのプロジェクトは常人の管理モデルを採用することができると何度も説かれていますが、中国での真相を伝えるプロジェクトもこの道を歩むことができるとは一度も説かれたことがありません。さらに、このモデルは、組織を運営する者、管理者、および参加者の名利心、顕示心、嫉妬心、競争心、依存心、情などの様々な執着心を刺激し、人心は膨張し、同修間の隔たりを生み、多くのトラブルを引き起こしています。

 二、これまでの教訓

 プロジェクトを推進する過程で、参加者の同修が次々と連行されました。特に2022年には、中国のプロジェクト責任者が中共に連行され、極めて残酷な迫害を受けました。ある地域では、このプラットフォームに参加していた同修全員が連行され、その後解放されました。中共は誰が協調人で、誰が技術責任者なのかを明確に把握しており、電話で数日しか参加していない同修でさえ連行されました。他の地域では、公安が現在、参加している一部の同修の名前を把握しています。ある地域では、協調人が連行され、地元の参加者全員の名前を言いました。彼は刑を宣告され、他の同修は連行や嫌がらせを受けました。

 三、意見の違い

 長年、この電話プロジェクトは多くの議論を呼んできました。地元の同修間でも、大老李氏の講演で法を乱す現象が起きた時と同様に、激しい意見の対立を引き起こしています。同修の間には、主に三つの意見があります。

 第一の意見は、時間がないため、人を救うことが最も重要であるというものです。中国で行われる真相を伝える活動は、どれを取っても絶対安全ではありません。正念があれば中共は迫害することができず、迫害された同修は業力や個人修煉の漏れがあるため、この電話プラットフォームの大きな安全上のリスクを見過ごした、というものです。

 第二の意見は、安全上のリスクを認識し、電話プロジェクトは師父の説法と明慧ネットの要求に合致していないと考えます。明慧に何度も状況をフィードバックしたところ、プロジェクト停止の提案を受けましたが、プロジェクトに参加している同修は、これは人を救うことへの妨害であると主張しています。明慧編集部の個別の回答は、発信者個人にのみ向けられたものであり、返信した明慧の同修は修煉する個人であり、法ではないと主張しています。明慧ネットが公告を出さない限り、プロジェクトは停止されないでしょう。

 第三の意見は、中立的な立場を取ります。一方では、このプロジェクトが多くの同修に潜在的な危険をもたらし、明慧ネットの要求に合致していないことを認識しています。しかし、同時に人を救うことは間違っていないと考えており、プロジェクトに参加している同修が恐れる心を克服するのは容易ではないこと、自分が参加していないとしても、他の同修が行う人を救う活動を妨げてはいけないと考えています。

 上記の同修の考えを列挙した目的は、誰かを批判するためではなく、時間がないからといって極端な行動を取ったり、自分の執着を隠すために師父の説法や明慧編集部の提案を無視したりしないよう、すべての同修に注意喚起するためです。

 結び

 私たちの認識は「大法の活動に多く参加したり、多くの人を三退させたからといって、それが修煉であるとは言えません。根本的な問題は、あなたが師父のお言葉と明慧の方向性に耳を傾けているかどうかです」ということです。

 師父は『中国の同修はオンラインでの学法を直ちにやめてください』という評注で「これらのソフトは学習者の間で使ってはいけません」と説かれました。

 師父は「もう一つ、一部の人はいつも、師父がこれを欲すれば、それをやり遂げますが、ただそれをさらに良く成し遂げようと思っています。これでまた師父の欲することを変えてしまいました。いつも幾らかの人心が作用しており、これも幾らかの妨害作用をもたらします」(『各地での説法十』「更なる精進を」)

 「旧勢力に淘汰される対象となるべきではない」という文章に出てくる2人は、携帯電話を使っており、師父のお言葉を聞き入れませんでした。本文で紹介されている海外リモートプロジェクトは、ソフトウェアを使って真相を伝え、交流し、トレーニングするものです。人心が強すぎると、師父のお言葉を聞かなくなり、中共につけ込まれて迫害の道具にされ、さらには旧勢力に淘汰される対象に選ばれてしまう可能性があります。中国で中国の同修をこのように組織する人たちは、いったいどういう人たちなのでしょうか? これは人心が強すぎて他の人を妨害しているのか、それとも、旧勢力によって破壊するために安排されたのでしょうか? あるいは、中共のスパイがやりたがっていることをやっているのでしょうか?

 私たちは師父が法を正すことを手伝うために、師父のお言葉を無条件に聞くべきであり、プロジェクトや個人のために活動してはいけません。海外でインターネット回線を使って電話をかけ、トレーニングや交流を行い、評価を実施することは、海外の環境に適した、人を救う方法であり管理方法です。一方、中国には中国の修煉方法と人を救う方法があり、人を救う方法も中国の環境に適応する必要があり、プロジェクトの要求をどうだこうだと持ち出すべきではありません。法を師とすべきです。

 この文章は特定の同修を批判するものではありません。しかし、危険に気づきながらも関係する同修とコミュニケーションを取ることができず、明慧ネットを通じて同修と交流せざるを得ない状況であることをご理解ください。確かに、このプロジェクトは多くの同修が関わり、範囲は広大です。

 『二〇〇三年元宵節での説法』を読んだ時、弟子が「尊敬する師父にお聞きしますが、学習者はインターネットを利用して交流していますが、このやり方はいいのでしょうか?」と質問しました。師父は「中国大陸以外の学習者なら問題ないと思います。しかし、皆さんが行った法を実証する際の具体的な情況を言わないでください。中国大陸にいるのであれば、やはり皆さんの安全を第一にしたほうがいいと思います。旧勢力に隙に乗じられないようにしてください。これは恐れているかどうかの問題ではなく、邪悪に隙に乗じられないということです」とお答えになりました。

 弟子がさらに「私たちの念が非常に純粋で正しければ、旧勢力は妨害しようがありません。もし妨害があれば、それは私たちの修煉状態の反映なのでしょうか?」と質問しました。師父は「妨害が現れたら、往々にして旧勢力が作用したためです。私たちのことが全部正しく行われたら如何なる妨害もないのでしょうか? 多くの損失を減らすだけです。なぜならば、皆さん自身に確かにまだ意識されていない要素があるため、隙に乗じられたのです。旧勢力は他でもなく、自分のやりたいことを無理やり加えようとしています。同時に、一部の学習者に、特に第三部分の学習者にまだある程度の業力があるので、旧勢力はこれらのものを利用して隙に乗じるのです」(『二〇〇三年元宵節での説法』)とお答えになりました。

 皆さんに、通信セキュリティの問題について師父が説かれた教えを、無条件で実践するよう再度、善意を持って呼びかけたいと思います。特に、師父がすでに明示された法理について、従わない場合は故意に罪を犯していることと同じです。時間が経てば、邪悪が必ずあなたの隙を突くでしょう。長期的に安全を軽視する人は、旧勢力に弱みを握られ、迫害を受けた時に、どのような言い訳で切り抜けようとするのでしょうか? それとも、命を懸ける覚悟はありますか? さらに、「城門が火事になると、池の中の魚も被害を受ける(訳注:無関係な人が災難に巻き込まれる)」ということわざの通り、あなたが迫害を受けると、あなた自身が損失を受けるだけでなく、あなたの家族やあなたが救い済度しようとしている衆生も損失を受けることになります。

 修煉は厳粛です。どんな心も取り除かなければ、自分の修煉の道における障害となります。どんなに多くのものを見たとしても、そして、どんなに鮮明に見たとしても、修煉者が見ることができるのは、広大な全体の中の一部分であり、一部分の中の一部分の中の砂粒に過ぎません。全体の本当の局面は師父だけがご存じです。何が本当に私たちのためになるのか、師父だけがご存じです。そして、私たちが真の修煉者となるためには、ただひたすらに師父と法を信じ、法を師として、執着心を断ち、人心を捨て、法の要求に達するよう努力するしかありません。

 この文章は、何人かの同修の現在の次元に基づいて書かれています。法に合わない部分があれば、同修のみなさんの慈悲深いご指摘をお願いいたします。

 合掌。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/23/473522.html)
 
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