「警察と役人は監察を恐れる」を読んだ後の悟り
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年11月6日】関連する必要な法律知識を習得することは、迫害に反対し真相を伝え、公安局、検察庁、裁判所の職員を救うことに役立ちます。2022年9月15日の明慧ネットの記事「警察と役人は監察を恐れる」を読んだ後、同修が挙げたいくつかの例は、法律知識を適時に活用する効果が一層明白になりました。ここで、私の考えを述べたいと思います。これは現段階で私が悟ったことです。

 ある同修が、以前関連する法律を知らなかった時に警察官に拘束された話をしました。この同修はこの事を「茶番劇」だと呼びました。あの時の拘束は、迫害を止めることができるかどうかの鍵は、その時、法律を知っていたかどうかに限らず、その時の修煉状態と心理状態にあると私は思います。警察が「誰が法を犯したと言ったのか。誰もあなたが法を犯したとは言っていない。あなたを連行したのは、あなたを教育するためだ」とその同修に言ったところ、同修は言葉を詰まらせました。

 実際、私たちは大法の真・善・忍の基準に従ってより良い人になろうとしています。警察は本来、悪事を罰して善行を奨励すべきです。真・善・忍は法的知識を必要とせず、世間の法律の証明やそれが正しいと証明する必要もありません。なぜならこれは普遍的な認識であり、宇宙の正しい理だからです。真・善・忍は普遍的な価値観であり、法輪功の原則であり、私たちは真・善・忍の基準に従って自分を律し、生活や仕事の中で良い人になろうとしています。警察は何を教育するというのですか。私を教育する必要があると思うなら、必ず自分に崇高な道徳規則があると思っているのでしょう。それは何か。

 つまりこのような方向に悟ればいいのだと思います。このようなフィードバックをしたのは、決して法律の役割を否定しているわけではなく、むしろ関連する法律を熟知して適用することは、人間のこの次元の法理を活用し、師が法を正すことを手伝うことの表れです。私がここで話したいのは、法を理解していない同修と法律を勉強している同修が必ずいるということです。法律という補助を駆使して迫害に反対する前に、まず自分の心を正し、心の中にある師と大法と私たちが行っている正しい事の位置を正さなければなりません。そうすれば、同修が関連する法律をまだ適用できない時でも、正々堂々を迫害に反対し、迫害を止めることができ、法理の上で受け身の状況に陥ることはなくなるでしょう。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/25/451133.html)
 
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