最後になればなるほど、精進すべき
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文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2022年11月16日】師父の経文「目覚めよ」の中で、「現在法がこの世を正すことに移行しつつあります…」また、「しかし、この過程で数多くの、業力が非常に大きい生命と共産邪党分子は尽きるまで淘汰されます」[1]と説かれました。この経文について、私は、大法弟子の修煉は新たな段階に入ることになるでしょう、と理解しました。

 一、圓満成就に執着する

 私はある真相を伝えるプロジェクトに参加していますが、同じプロジェクトに参加している同修たちと、しばしば法を勉強し、一緒に理解を分かち合っています。師父が上記の経文を発表した後、私たちプロジェクトチームの同修はお互いの理解を交流しました。法輪功がこの世を正すために、師父と一緒になる機会があることを光栄に思った同修がいれば、修煉者の大多数が成就の条件に達していないため、慈悲深い師父が大法弟子に修煉を続ける機会を与えてくださると感じた同修がいます。

 「大部分の大法弟子は師父とともに法がこの世を正すことを行います」[2]と一節を読んだとき、私は衝撃を受けました。しかし、よく考えてみると、私がショックを受けたのは、圓満成就に執着していたためであることがわかりました。

 師父は以前から、法を正すことが終了したら、まず大法弟子が圓満成就することを何度も説かれていました。今回の経文で、私は、大法弟子の大半は法を正す終了時に成就しないだろうと理解しました。残りの修煉者については、圓満成就に至るかどうかはあまり考えない方がいいです。私はただ、三つのことをしっかりやって時間を有効に使うべきです。そのためには、より多くの人を救うこと、そして誓いを果たすことです。もちろん、内に向かって探し、心性を向上することでもあります。そうしてこそ、私は本当の法を正す時期の大法弟子となれるのです。

 師父はこう説かれました

 「全ての大法弟子にとって、真相を伝えることは必ずしなければならないことです。このことは皆さんにもう一回言っておきますが、あらゆる弁解をして、表に出たことのない人は皆間違っています。私が思うに、この魔難がいつまで続くかということにいたっては、皆さんはあまり考えない方がよいでしょう。自分が圓満成就できるかどうかも考えないでください。あなたのいかなる心も執着になり、邪悪に利用されかねません」[3]

 師父の洪大な慈悲は、すべての衆生を済度するものです。特に大法弟子たちは、衆生を救う使命があるため、師父の優しい配慮と保護を受けてきたのです。ですから、単に自分の圓満成就を求めるだけでは、法を正す時期の大法弟子という称号にふさわしくありません。法を正すことには一定の基準があります。私の理解では、多くの修煉者がまだその基準を満たし、十分な人数を救っていないため、師父は何度も時間を延長しているのです。私は師父を失望させるわけにはいきません。

 師父の新しい経文は、私への警告です。師父は私たちのために多くの犠牲を払ってくださいました。私がすべきことは、この機会を最大限に利用して、法がこの世を正す前に多くの人々を救うことです。法がこの世を正す時期に入ったら、修煉の内容が変わり、衆生を救う機会がなくなるかもしれないと思うのです。そうすると、どれだけの衆生を救うことができるのでしょうか? 今、私たちがしっかりしなければ、法がこの世を正すときに、無限の後悔と苦痛があるかもしれません。

 二、一心同体で取り組む

 ある時、私たちのプロジェクトチームで交流した時、ある同修は自分の病業について話しました。私は、彼女のために正念を発する必要があるかと尋ねました。彼女は「みんな忙しいから、結構です」と言いました。その日、世界同時に正念を発するとき、その同修の問題が再び頭をよぎったのです。師父はこう説かれました。

 「特に大法弟子の内部において、私たちが外に対して真相を伝える時、衆生に慈悲をもって接しなければならないと思っていますが、大法弟子の間も慈悲でなければなりません。皆さんは同じ法門の弟子であり、皆宇宙で法を正すことに心を尽くし尽力しているため、お互いの間に協力しあうべきです。度を過ぎて常人の心で物事に対処しないでください。お互い常人の心を抱いているために、生じるべきではないトラブルと議論を起こさせないようにしてください。これらのことに大法弟子の寛容、善良と和やかさを表すべきです。相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです。私たちは常人の団結を講じませんが、それは一種の無理に求められている表面形式です。皆さんは修煉者であり、さらに高い境地を持っています」[4]

 近年、かなりの数の同修が偽りの病業を経験しています。私は、これは旧勢力に一人一人撃破されるのではなく、一つの全体を形成する機会だと思います。つまり、他の同修が病業に陥ったとき、私たち一人一人がどうすればいいかを考え、全体として最善の結果を得ることができるのです。

 全体を形成するというのは、一緒にプロジェクトを進めるということだけではありません。心の中でお互いを思いやるということでもあります。口に出さなくても、正念で補い合い、助け合うことができます。このように考えていると、私の肉体が師父によって浄化されていくのがわかりました。これは師父の励ましだと思い、とてもありがたく思っています。黙って何も言わずにやっている修煉者がいることを私は知っています、そのような修煉者はさらに称賛に値します。

 私たち一人一人がしっかり修煉して、調和のとれた一つの全体を作れば、他の次元にも大きな変化が起こり、私たちの一つの全体は、すべての悪の干渉や艱難辛苦を破壊することができる巨大なエネルギーを生み出すと信じています。

 三、自分の心性は真相を伝えることに影響する

 私たちのプロジェクトチームが行った交流で、ある同修が中国の人に法輪功迫害の真実を明らかにしたときのエピソードを話してくれました。そのとき、相手は当局に盗聴されることを恐れて、「英語を話せますか?」と聞いてきたそうです。

 この話を聞いて、私も過去に似たような経験をしたことを思い出しました。あるとき、中国の番号に電話をかけたら、相手も「英語が話せますか?」と聞いてきました。その口調から、私が英語を話せないことを見下しているのではと思いました。今思うと本当に恥ずかしいです。たぶん相手は、盗聴されることを恐れていたので、その口調を使っていたのです。

 電話で英語を話さなかったことを本当に後悔しました。衆生を救うには、決めつけてはいけない、そうでなければチャンスを逃すことになる、ということを学びました。

 私たちは、人々を救うという重大な責任を負っているのです。私たちの心性は、真相を明らかにする努力の結果に直接影響します。どんな状況でも動じず、ただ人々を救う心を持ち続けなければなりません。

 四、師父を敬う心を持つべき

 ある弟子は師父にこう質問をしました。 

 弟子:あなたの師父たちはどうして会場でひざまづいているのですか? また会場には蓮の花が満ち溢れ、神兵や神将もいますが?

 師:どの人もわたしの師父ではありません。上の世界では、誰でもこのようにわたしに接しなければならず、ただあなたたち人間は知らないだけです。彼らが佛や道であり、きっとわたしの師父だとあなたは思っていますが、彼らより次元が高い人はもっといます。誰それを見て、すぐに彼がわたしの師父だと思わないでください。わたしが法を説くときには、上から下まで護法の神は非常に多いのです。あなたに見えたなら、見えたようにします。他の学習者も見えた人がいます。[5]

 私たちは、天上の神仙がひざまずいて師父の法を聞いたことを知っています。私たちはまだ人間界で修煉しており、日常社会に適合する必要があるため、通常、座って法を学んでいます。しかし、心の中では、師父と大法に敬意を払い、謙虚でなければなりません。日常でも、法を尊重することは知っています。修煉者である私たちは、師父と大法を特に敬い、思考、言葉、行動に敬意を表するべきです。師父は私たちのために、大法の原則を教え、高い次元に導いて、常に私たちの面倒を見てくださっているからです。常人が法律を犯すと、法的な影響を心配するものです。しかし、私は大法が要求するさまざまなレベルに達していないとき、それを大したことだと思わないことがありました。

 私の修煉の中で、強い執着心により、関門にうまく乗り越えないこともありました。そんなとき、私は内に向かって探したことがありますが、例えば、自分の気性が悪い、人心が重い、執着が多いとか、しかし後悔することはなかったです。今思えば、これが、師父が入念に準備した試練と苦難、そして私をできるだけ早く改善させようとする善意に値するものでしょうか? 師父と大法への畏敬の念はありません。

 師父に対して敬虔な心で、法を学び、煉功を行い、正念を発し、人々に法輪功迫害の事実を明らかにし、同修と交流し、大法のプロジェクトをしっかり運営するなど、すべての行動に表れるはずです。古い修煉者としては、もっと頑張らなければなりません。

 五、最後の一歩を踏み出すために、より精進すること

 最近、私は修煉の終わりに近づくにつれ、私たちに対する要求が高くなり、より良くしなければならないことを実感しています。例えば、師父は『轉法輪』の中で、欲望の問題、肉食の問題など、多くのことを説かれていました。大法弟子の要求は、レベルによって異なります。修煉の終盤になると、おそらくほんの少しの人間の観念も許されなくなります。

 師父はこう説かれました

 「現在、これらの邪悪な生命は消滅され、ますます少なくなり、取り除かれ、ますます少なくなりました。皆さんはすでに目にしましたが、当時、全世界で悪事を働いたとき、本当に猖獗(しょうけつ)を極めており、多くの政府が恐れを覚えていたと私は目にしました。今、再び全世界で恐怖を引き起こす力はもうなく、手をここまで回す余裕もないのです。なぜなら、法を正すことが絶えず前進するとき、各空間で一層一層と素早く消滅され、これも一つの生命のように、各次元にその存在形式があるからです。一つの生命が大きな力を有しているのは、その根が深く、大きな淵源を持っているからです。言い換えれば、次元が非常に高いかもしれません。それらを一歩一歩、全部消滅させ、表面に近づけば近づくほど、根が浅くなり、人間だけが残るときになると、もう何ものでもありません」[6]

 「法を正すことが進むにつれ、良くない要素はますます弱まり、比較対象になれないとき、あなたはますます強く見えます。将来見てみましょう。そのとき、大法弟子はますます能力を表しますが、そのときになると最後になり、最後の最後になります」[7]

 師父の経文によると、もっと最後になれば、他の空間からの干渉は弱くなります。ですから、私たちはより強い正念を持ち、より精進しなければなりません。師父はまた、私たちを前進させ、大法は私たちを鍛え続けてきました。

 この一年、師父も私の後頭部から頭頂部、そして額へと肉体を変化させ、ヒントを与えてくださっています。『轉法輪』の第二講で、師父がおっしゃったように、「皆さんの額のところでぎゅっと肉が中心により、内側に入り込もうという感じがしたでしょう」ということを、いつも関門を乗り越えた時や、正念を持った時にこのような現象を瞬時に起こります。師父は私にもっと頑張れと励ましてくださっているのだと思います。

 法を正す時期の大法弟子になれたことは、なんと幸運なことでしょう。今までの自分の精進不足を恥じています。師父の慈愛に満ちた保護と励ましには、いつも感謝しています。また他の修煉者の正念と正しい行いに感動しています。多くの衆生が救われたことに感激しています。

 上記は私の個人的な理解です。適当でない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『目覚めよ』
 [3] 李洪志師父の経文:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」
 [5] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』「延吉での説法 質疑応答」
 [6] 李洪志師父の経文:『各地での説法十二』『二〇一二年米国首都国際法会での説法』
 [7] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/12/28/435167.html)
 
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