師父の要求に基づいて行えば 修煉は初心に戻ることができる
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 文/中国河北省の大法弟子  

 【明慧日本2023年3月17日】『轉法輪』の中に釈迦牟尼佛が弟子に浴槽を掃除させるという故事があります。私は ここを読むたびに、一瞬のうちに読み通していました。 ある日、私は少しの法理を理解しました。 その弟子は、最初の2回は物事を成し遂げられなかったが、三回目に言われたとき突然悟った後、非常に短時間で物事を成し遂げました。 このことに対して私は三つのことを悟りました。

 その一つは、彼は、彼の師父が何度も言ってようやくできたのです。師父が一度言っただけで、彼ができたのであれば、師父に心配をかけることなく、どんなによかったことでしょうか。

 私はこれまでの自分の修煉を振り返ってみると、私もこのようになっているのではないかと気づきました。多くのことを、師父は何度も繰り返しおっしゃっています。それを理解したと思っても、いつもできないのです。例えば、携帯電話への執着など、悟りの良い同修は、師父の説法に基づいて行うことができ、師父がおっしゃったのだからと、即座に師父の要求通りに行います。正しいことを行うときは携帯電話を持たず、効率も高く、さらに安全で、多くの心配をしなくてもいいのです。自分は同修の指摘を受けて、徐々に携帯電話に対する執着を放下することができました。 これは、自分に何か起きたかどうかではなく、自分が修煉の中で師父の法の要求に従い、実修するのが遅すぎるということです。 自分の修煉があまりにも遅すぎて、師父が説かれているのは「法」なので、「法」の要求に従わなければ、修煉者と言えますか? 逆の角度から自分を見ると、自分はいろいろな人心を混ぜて修煉し、つまずきながらも、歩み通すことができました。ですから 、精進していない自分はとても恥ずかしいと思っております!  本当の修煉ができておらず、師父の広大な慈悲に申し訳ないと思っています。

 長年の修煉の中で、私が体得したことは自分の意識を混ぜずに物事を行えば、うまくでき成果が得られるということです。修煉についていければ、三つのことを行うことにおいて、苦労せずに大きな効果を得られ、修煉は初心に立ち返ることができます。

 二つ目は、私はこの故事から悟ったことが、釈迦牟尼佛の弟子の三回の行為が三種類の人間を示しています。第一種類の人間は、師父がおっしゃたことなので、それは佛法であり、自然と師父のおっしゃったとおりに行うのです。第二種類の人間は、師父がおっしゃっていても、その場で悟っていないが、帰ってから、すぐに悟り、師父のおっしゃるとおりに行いました。第三種類の人間は、師父が何度も強調されて、そのように行いました。「三」は古代中国語では何度も、あるいは数え切れないほどの意味で、ここでも、私は師父の広大な慈悲を体得し、あなたが修煉さえすれば、師父はあなたの面倒を見てくださり、済度してくださいます。 師父は一人の弟子も見捨てません。 あなたが生々世々、大法を求めて来ており、生々世々生まれ変わる中で機縁を結び、大法が伝えだされるとき、あなたはその大法に出会うことができ、どれほどの縁なのでしょう!

 これまで自分が歩んできた修煉の道を振り返り、自分はどの種類の人間だったのでしょうか?  自分では一生懸命行っているつもりでも、身の程を問われれば、それほどの根性がなく、あまりにもできていません。 多くのことは師父が要求されているように行わず、そして同じ過ちを犯しています。 例えば、飲酒の問題、口を修める問題、顕示心、嫉妬心、怨恨の心、などなどの人心で、法を正す最後の時期にそれを取り除きます。自分を充実させ、慈悲をもって衆生を救います。

 三つ目は、私は釈迦牟尼佛の故事を通じて、私が悟った事は、宇宙の法を正すのが終わり、法がこの世を正すことに移行する最終の法を正す時間の中で、大法弟子は、修煉の初心の感覚を見つけ、師父がおっしゃたことを行なわなければならないということです。個人の観念を混ぜずに、師父は大法を非常に明確に説かれているので、決して個人のものを加えないようにしてください。

 あるとき、チベットの寺院によく行き、「お経」を聞いている大学教授夫妻に会ったことがあります。 私は彼らに信仰があり、有神論者であることを知り、歓談をした時私は、「共産党は無神論者なのに、あなたははるばる遠いところから『お経』を聴きに来て効き目がありますか? 佛はあなたのことを知らないと思いますか? あなたは自分が共産党員、或いは共産主義青年団と言って、佛があなたを欲しがるのでしょうか? あなたは佛様に事情を説明して、脱党しなければならないのではありませんか? そうではないですか?」と彼に言いました。彼は「筋が通っています」と言いました。 「私が脱党の手伝いをしましょう」と言うと、 彼は、「はい、いいですよ!」と同意してくれました。 後で考えてみると、やはり彼の好みに合った、つまり正しい薬を処方し、彼に付いている獣の印を消したいと思い、自分の考えを付け加えたのです。 しかし、師父が言ってほしいことはできておらず、法輪功は佛家の修煉法であり、真・善・忍に従って善い人になり、人々に善に向かうように教え、天安門焼身自殺はデマであることを伝えていれば、彼に自分の未来を選び、良知を選ぶ機縁を与えることになり、効果がもっと良かったと思います。

 法を正す修煉の時間が限られている今、私のように法を学ぶことにだらしない者、発正念を行う時に正念を集中する方法を知らない者、衆生を救うことにだらしなく怠惰で、惰性で行っている同修、或いは精進していない同修は私のことを教訓にしてください。修煉の道で大きなことだと思うことが必ずしも大きなことではなく、小さなことだと思うことも必ずしも小さなことではなく、すべての同修は宇宙の巨大天体と無限の衆生に繋がっており、師父に期待される中で誓約を果たし、先史の使命を果たしましょう。師父が満足される答えを提出しましょう。 師父に感謝し叩頭します!

 現次元での悟りであり、不適切なところがあれば、ご指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/3/456864.html)
 
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