文/遼寧省の大法弟子
【明慧ネット2023年4月3日】私は1997年に法輪功の修煉を始めました。修煉する前は家の事は私がすべてを仕切り、麻雀したり、酒をのんだりして、人を罵っていました。悪い嗜好から抜け出せず、30歳の時は全身病気でした。加えて、37歳の年に子供を失ったことで、さらに病状が悪化し仕事にも行けなくなり、家に引きこもっていました。心と体の両方に痛手を受けていた私は生きていく自信を失っていました。そんな時、ある人から法輪功を紹介してもらい、学んで半年もしないうちに、身体の調子が良くなっただけでなく、人生への希望に溢れ、苦しみから解放されたのです。大法は私を生まれ変わらせてくれました。
怨恨心を取り除き、家庭が睦まじくなる
1999年、中国共産党(以後中共)は迫害を開始した後、私は2度大法の陳情のために北京へ行き、不当に労働教養3年を言い渡されました。2000年、私が労働教養を受けていた期間中に、夫は別の女性と2年間暮らしていました。借金が2万元以上ありましたが、当時の私の退職金は178元で、さらに夫は森林火災によって1年間の休職を余儀なくされました。
私は不当な労働教養を終えて家に戻ると、夫に対し怨恨心が芽生えました。しかし、鬱憤を晴らさず、心の中で、「大法を修めたら離婚してはいけない。考えてみれば、彼が1人で家にいるのも楽ではなかっただろうし、一度だけチャンスをあげよう」と思いました。私はすぐに夫と外地でアルバイトをして稼いだお金で借金を返そうと思いました。しかし、高齢で、手に職もないため仕事を探すのも難しく、給料も安く、さらに家賃もかかるので何年かかったら借金を返せるでしょう。2012年、夫はまたしても別の女性と関係をもちました。当時私はそのことを知りませんでしたが、実家から家に戻って来ると、家でばったり遭遇しました。その時は、怒りの気持ちはありましたが、彼を罵ったり、その女性を殴ったりせず、彼女を諭しただけでした。もし、大法を学んでいなければ、私はどうやって彼女を見逃すことができたでしょう、間違いなく殴っていたに違いありません。しかし、夫への恨みは一気に募り、一緒には暮らしていけないと思いました。繰り返し恨みと悔しい気持ちが湧き出て、離婚だ! と思いました。その数日間、思い出しては泣き、恨みと苦しみの中でもがいていました。
私は心を落ち着かせて学法し、内に向けて探しました。長年、私は夫に対する怨恨心をずっと取り除いていませんでした。心の中では彼を見下し、恨み、嫉妬し、色欲の心や情、闘争心があり、上から目線で有無を言わせず、高圧的で、横暴で、話し方も命令口調で少しも善がなく、女らしくありませんでした。自分の色欲の心も取り除いておらず、強気で、人に何も言わせず、自分勝手で独断的、いつも他人の過ちを指摘し、自分の長所と他人の短所を比較していました。私はかつてこのように夫に言ったことがあります。「あなたに私の欠点は何かと聞かれても三日三晩かけても何も思いつかない、私があなたの欠点について言うなら三日三晩でも話し尽くせない!」これのどこに修煉者らしさがあるでしょうか。すべて邪党の文化の腐敗したものであり、まったく自分を修めていませんでした。さらに自分のことをあたかも花のようだと思い、外に目を向けていました。まさに魔の道を歩むとはこのことです。これまでずっと仕事をこなしてきただけで、心を修めていませんでした。
私はこれらの腐敗した考えをきれいに取り除くために発正念しました。それらのものを私は要らないし、私にはもともとそのようなものはないのです。自分の不足を認識した後、私は夫の長所に気付くことができました。私が大法の仕事をする時も、彼はこれまで口を出すことはありませんでした。私の帰宅が早くても遅くても何も言いませんでした。さらに最大の良さは、何か問題が生じると、いつもすぐに私の本や真相伝え関連のものを安全な場所に移動してくれたことです。この点から考えても、この生命は大徳を積んでいるので離婚をしてはいけないと思いました。私はこれまでの腐敗した考え方を持っていて修めていませんでした。衆生をだめにし、彼らに業を造らせたのは私がしっかりしていなかったためです(当時の考え)。
1か月後、私はこの女性がたとえ善縁であろうと悪縁であろうと、大法弟子と縁があれば救われる希望があり、衆生に希望を失わせてはいけないと思いました。私は夫に彼女と食事する約束をしてもらい、私は彼女に真相を話しました。彼女に「その節は口調がきつくて言い方も良くなくてごめんなさい。これからはあなたに良い女性になってもらいたいと思っています。お知り合いになれたのも縁ですから、あなたに真相を知ってもらって平安を保つために党、団、隊の組織から抜けて欲しいと思っています」と言いました。そしてネット封鎖を突破するソフトを彼女にあげると共、青、団の組織から抜けることに同意しました。
その後、私は夫に今いる会社を辞めるように言いました。そして彼らが連絡を取り合わないように電話番号を変えました。すると、彼女はすぐに私に電話を掛けてきて、彼女にあげたネット封鎖を突破するソフトを失くしたので、もう1つもらえないか、と言いました。夫は、「渡しに行くことはできないし、もし彼女があなたに頼んだらどうする?」と言いました。私は、「行くべきか行くべきでないか? 何のために行くのか? 何のために行かないのか?」良く考えた上で、2日間発正念をし、やはり彼女にネット封鎖を突破するソフトを渡しに行くことにしました。衆生との約束を破ってはいけないし、私は彼女によくしてあげなければいけません。私たちは長い時間話をして、意気投合しました。なぜなら私は彼女に対し恨みを持っておらず、ただ彼女に良くしてあげようと思っただけなので、私が話した事は彼女自身のみならず、彼女の家族や子供にとっても良いことでした。人にはみな分かっている一面があり、良いことだと認識できるのです。また数日経って、彼女は大法の本を読みたいと言ったので、私はMP4とUSBをあげる用意をしました。MP4には大法の歌、神伝文化、善悪の考え、輪廻の記憶のできごとなどの内容が入っていました。また、USBメモリーには大法のすべての本の内容が入れてありました。彼女とマクドナルドで会う約束をし、もうすぐ正午だったので、私は彼女と一緒に食事をするつもりで2人分のランチを買いました。私はマクドナルドで食事をしたことがなかったので、そこで食べてみたかったのですが、彼女は会うやいなや、「仕事に急いで行かなくてはならない」と言いました。彼女は「夜9時に仕事が終わる」と言ったので、私は「2食分買っておいてちょうどよかったわ」と言って2人分のランチを渡しました。彼女は私の夫について尋ねたので、私は「外地に出稼ぎに行っています」と言いました。彼女が走り去っていく後ろ姿を見て、私はこの生命が大法によって救われ、すばらしい未来があるようにと心から願いました。
しかし、「夫とその女性が一緒に仕事をしないようにする」という考えを抱いたことによって、旧勢力によって隙に付け込まれてしまいました。夫の以前の同僚が桂林で請負の仕事をしており、夫はその仕事に行かないかと誘われました。私はすぐに同意しました。夫が請負の仕事をするには、まず設備投資が必要だと言い、家から6万元以上を持って行きました。結果的に3年間家を離れ、一銭も持って帰りませんでした。その後、それはマルチ商法だと分かり、すぐに夫に帰ってくるように言いました。
この3年間、私は自分の行いや考えを正すことを重視しました。情や欲望、恨む心、嫉妬心、疑心などの良くないものを取り除きました。夫が戻って来た後、私は何もなかったかのように自己の執着を捨て去り、夫を思いやり、尊重し、夫を変えようとはしませんでした。それにより夫はだんだんと優しくなっていきました。同修が我が家に来ると、彼は料理もしてくれて、大法の仕事をサポートしてくれました。大法を修煉していなければ、私のこのきつい口調をどうやって抑えることができたでしょうか? 崩壊しそうだった家庭が、大法が私を変えてくれたおかげで、睦まじくなりました。師尊に感謝致します! 大法に感謝致します!
姑と家族を大切にする
2013年、姑は病気で入院し、小姑は私に姑の世話を頼みましたので私はすぐに病院へ行きました。その数日間、姑が私にしてきた良くないことが私の頭の中をよぎっていました。以前、子供が幼い頃、姑の助けを必要としていた時も姑は気にもかけてくれませんでした。それなのに今、姑は私に自分の世話をしてほしいと頼んでいるのです。ですから心の中では穏やかではありませんでした。表面的には、姑に親切にしていましたが、反発の気持ちを抱いていました。しかし、私はこれらの良くない考えは自分のものではないと考え、現れてきたものを取り除きました。私は大法弟子ですから、法の基準に照らして自分に要求しなくてはなりません。「百善のうち孝を第一とする」という諺があるように、彼女は老人なので、私は彼女に良くしてあげるべきです。たとえ、以前姑が私に対してどうであろうと、私は彼女に良くしてあげなくてはいけません。現れてきたマイナスの考えを発正念で取り除くと、何回かで消えました。姑が食べたい物を何でも買ってあげました。姑の病室の隣のベッドの人が「あなたの娘さんは本当に良い人ね」と言うと、姑は「この子は娘ではなくて嫁ですよ、あの子が娘です」と言いました。同じ病室の人達は「おばあちゃん(姑のこと)は福がありますね、娘さんもお嫁さんもこんなに良くしてくれて」と言いました。
小姑も病気になり私を頼りにしたので、私はできる限り彼女を助けてあげました。伯父の家でも困ったことが起こった時、私は力の限りを尽くして助け、食料品や日用品も援助しました。ある時、またマイナスの考えがよぎりました。「彼が困っている時、あなたは何があっても助けてあげましたが、あなたが困っている時、彼らはあなたのことを少しも気遣ってはくれませんでしたね」このような考えが現れてきたら私はすぐにそれを捕まえ消滅します。押し付けようとする者も一緒に消滅します! 私は新宇宙の生命で、他人のために存在しています。彼らはみな私の衆生で、私は彼らの為に来たのです。
私の夫、姑やその家族はみな大法が良いと信じて、私が三つのことをするのを支持してくれています。
他人のために考える事が本当に良いことなのです
修煉の中で私が悟ったことは、他人のために考えさえすれば、物事は好転するのです。本当に無私の境地に至れば天地は広くなります。私たちが何かをする時は、衆生を救い済度するという基点で問題を考えなくてはいけません。常に他人のことを考えることは、すなわち利己的な旧宇宙から抜け出すことです。衆生を旧宇宙から脱出させ、新たな宇宙に行かれるようにするのです。利他の精神とは、怨恨心がなく、広い心で、見返りを求めず、他人が良くなれば、その人のために喜び、嫉妬せず、嬉しい気分になるのです。他の人に良いことがあるのを見れば自分にとっても本当に良いことです。大法は本当に素晴らしく、すべてを変えることができるのです。
以上は個人の悟りですので、不適切な点があれば同修の慈悲なる指摘をお願いします。
偉大なる師父の慈悲なる済度に感謝致します。
師父に叩頭致します!
合掌