日本の学習者 着実に厳粛に修煉する(一)
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2023年8月13日】私は幸運にもまだ物心がつかない頃に、「真・善・忍」の法理がすでに私の記憶に根差していました。尊師の慈悲深い済度、そして私のような不器用な弟子が諦めることなく、三つのことを行う中で、自らの先史の誓いを果たすことができると、感謝の念に堪えません。

  法を学ぶ過程で、尊師が説かれる法理の多くは、深く理解できないものがありました。一部は文字通りの理解にとどまってしまいました。私は二十年以上も修行してきましたが、実際には苦難や困難に立ち向かう覚悟が足りなかったことに気づきました。したがって、母が連行されたという知らせを受けたとき、一気に打ちのめされ、世界が崩れ落ちたように感じました。明慧ネットの記事には「具体的な状況は不明」とあり、心はどん底に突き落とされました。母がこのまま行方不明になり、拷問され、生きたまま臓器摘出をされることを恐れ、自分が母のいない子になるのを恐れていました。ネガティブな考えが次々と湧き上がり、排除してもしきれませんでした。その時、自分の正念を強化するために法を多く学ぶしかありませんでした。

  母が連行される直前の数カ月間、毎日午後になると理由もなく胸が苦しくなり、呼吸が困難になりました。その後、昼休みの時間を使って学法を始めました。時には10分ほどしか学ぶ時間が取れないこともありましたが、それでも午後の仕事の時間を穏やかに過ごすのに十分でした。

 尊師は「皆さんは修煉者であり、これは皆さんの以前のこと、かつてのこと、またはあなたの表れを言っているのではなく、あなたの本質、あなたの生命の意義、あなたが背負った責任、あなたの歴史的使命を言っているのです」[1]と説かれました。

 以前、この法を読んだとき、なぜ修煉者であることが私の本質であるのかを実感することができませんでした。しかし、毎日昼休みに法を学んだ経験から、私は自分が法から成り立っており、法のために存在する生命であることを深く理解しました。大法が私の人生から消えれば、私の生命を構成する基本要素がすべて失われることになります。

 涙でいっぱいの日々の中で、親子の情に固執して正念が失われました。「修煉は難しいが、こんなにも難しいとは思っていなかった。もし初めから修煉がこんなにも難しいと知っていたら、最初からこの俗世の中に足を踏み入れなかっただろう」と繰り返し考えました。正念を失った私は法が世を正すことはいつ終わるのかと、執着し始めました。なぜなら、自分がこれ以上耐えられないと感じていたのです。

 それから私は尊師のこの法を読みました。「もちろん、死亡した学習者に歴史上旧勢力に按排された人もいます。例えば、前世の時、将来大法が伝わる時、法を得たければあなたは必ずこのように去っていかなければならない、でなければあなたに法を得させないと旧勢力は言いました。当時学習者はきっとこれに同意しました。その時になると殴られ殺されることに同意したのです」[2]

 明確な状況の下で、自分が将来的に生きながらえない道を歩む覚悟をもって、法を得るために努力する生命、私もおそらく、かつては師尊が法を正すことを手助け、宇宙の真理を守るために、死ぬ覚悟でこの世俗の苦難の海に身を投じてきたのかもしれません。今日、私にはなお自分の使命を果たさない理由は何もありません。

 尊師が示された正法の道を進む過程で、私は自分自身に対して多くの後悔を残してきました。人心の影響で本来もっと良くできたはずのことが、うまく実行できなかったことがありました。また、まだ行なっていないこともたくさんあります。しかし、少なくともこの瞬間、自分の心を正し、できる範囲で行動していきたいと思います。他のことは、すべて師尊にお任せするつもりです。

 最も辛かった最初の2カ月間に、尊師の法は私の前にある靄(もや)を晴らし、私の世界に再び光をもたらしました。かつては修煉の道が狭く、いばらに満ちていると思っていましたが、注意深く見れば、修煉の道には薔薇も咲いています。尊師の『大紀元新唐人メディア法会での説法』を読んだとき、私は自分の修煉の道は実際には道そのものではなく、万丈の深淵の上に架かる鉄線であり、少しでも注意を怠れば身体が粉々になると悟りました。師尊は温かい大いなる手で私をしっかりと導かれ、困難な道ではありますが、安定して前進しています。

 かつて修煉の途中で聞いた一つの話があります。ある修煉者は修煉の道を歩いている際、神々が常に共に歩んでいることを知っていました。後ろを振り返ると、自分が歩い道には二列の足跡が見えました。しかし、困難な試練に直面し、前に進もうとすると、彼は歩いてきた足跡に一列の足跡しか残っていないことに気づきました。彼は神々がなぜ最も困難な時に彼を見捨てたのか理解できませんでした。そのとき、神々の慈悲深い声が耳に響きました。「子よ、私があなたを背負って前進しているからだよ」という話を思い出すたびに、尊師の深い慈悲に感謝の念が込み上げます。

 母が連行される数カ月前、私は初めて他の修煉者と一緒に法を暗唱することを試みました。その後、平凡な日常が突如として乱れました。食事を忘れ、修煉に時間を割く余裕がなくなり、時には法の暗唱時間に遅れることもありました。しかし、プラットフォームに上がるとすでに同修が待ってくれていました。共に法を暗唱する誰かがいるからこそ、私は法の暗唱を中断しようとは一度も考えませんでした。もし同修がいてくれなかったら、毎日2時間以上学法を続けられなかったと思います。たとえ涙をぬぐいながら暗唱することがあっても、心を込めて暗唱すれば、法の慈悲で偉大なる力によって短時間で心の痛みが癒されました。

 迫害の真相を伝えるために議会に行き帰宅後、私は時々そのまま寝てしまうことがありました。しかし、暗唱の時間になると、同修が電話をかけてくれ、安逸心に打ち勝つよう励ましてくれました。三度目の電話があった日の翌日、私はその同修に感謝のメッセージを送り、これからは時間通りに参加すると伝えました。その同修からの「何でもないよ、お互いに助け合って前に進んでいこう」返信を、私は長い間忘れられませんでした。

 毎日決まった2時間の暗唱の時間に加えて、他の経文を読む時間も取り入れることで、母の連行の打撃からすぐに立ち直ることができました。尊師の按排の下、多くの同修が私を助け、励ましてくれました。ある同修はメッセージを送って、「あなたを知らないけれど、今朝の坐禅の時からあなたと交流したいと思っていました」と言ってくれました。私は心の中で「そうです。確かに朝の瞑想の時には心が不安定でした」

 このような状況が2カ月間ほぼ毎日ありました。私が少しでも落ち着かずあるいは逃げ出したい時には、必ず同修からのメッセージや電話がありました。同修たちを通じて、逆境に耐え、困難に立ち向かう力を見つけました。当時、私の悟性がどんなに劣っていても、尊師がずっとそばにいて、見守って下さっていることを深く感じました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法十五』「二〇一八年ワシントンDCでの説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/5/443466.html)
 
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