文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年8月24日】(前文に続く)
刑務官:「自分の良心に恥じることがなければそれでいい」
後日、私と数人の大法弟子はC留置場に移送されました。ここは罪が重い犯罪者を収監する場所で、大法弟子はこれまで収監されたことがありませんでした。そのため、刑務所の警察官らは、私たちが来たことを少し不思議に思っていました。
ある日、刑務官の一人のBさんが私に、彼女の上司が法輪功はどういうものか知るために、私と話すように頼んだと言ってきました。Bさんはとても親切で控え目な人ですが、自分の考え方をしっかり持っています。
その後1カ月ほどの間に、Bさんは4回私に接触し、毎回約2時間会話をしました。Bさんは、なぜ法輪功を修煉するのか、法輪功とは何か、これまで受けた迫害、私の学歴や家庭環境など、あらゆることを聞きました。Bさんは私と話をするたびに、途中で止めようとはせず、ただ話を続けたがっていました。そのため、いつもBさんの同僚に催促され、やっと私との会話を終えて私を部屋に戻したのでした。Bさんは言いました。「私は〇〇さん(私)と話すのがとても好きだからです!」
Bさんは、私にいつもとても親切に接してくれて、できる範囲で私を気遣い、世話をしてくれました。私たちが入った雑居房の人員配置が変えられた時、ほとんどの受刑者がBさんが担当する雑居房に行きたがりました。最後にBさんは、私ともう一人の宗教を信仰している受刑者を、自分の担当する雑居房に移しました。
私が移された直後、雑居房の「姉御」からこんなことを聞かされました。「私はBさんに呼ばれて、『あなたが、ほかの人にいじめられないように守ってあげなさい』と指示されました。Bさんは、あなたのことを素朴で純粋だと褒めていて、とても好きだと言っていました」。実は、Bさんからの特別依頼がなくても、この「姉御」は私にはとても優しかったのです。「姉御」は麻薬密売で死刑判決を受けたとはいえ、とても優しい心の持ち主でした。生活の各方面においても、これまで、ほかの誰もがしてくれなかった多くのことをしてくれていました。私は彼女にとても感謝して、心の底から「お姉さん」と呼んでいました。
国選弁護士と面会するたびに、Bさんは面会の結果をとても気にかけており、私が部屋に戻ると、真っ先に結果を聞きに来ました。最後の面会に弁護士は、「罪を認めれば2年半~3年の禁固刑が言い渡される可能性が高く、もし無罪を主張し罪を認めなければ、3年半~4年の禁固刑になります」と言いました。もちろん私は罪を認めませんが、ただ年老いた両親が、これで法輪功にマイナスな印象を抱くのではないかと心配しました。
Bさんは、私の心の重荷を察して、こう言いました。「〇〇さん、自分が正しい選択を下したと思うなら、そうすればいいのです。良心に恥じることがなければそれでいいのです」。彼女のその言葉のおかげで、私は一瞬にして気持ちが落ち着きました。そうです! たとえ重い実刑判決を受けたとしても、それは自分の良心に従った結果であり、悔いることはないのです! それは私のせいではなく、中国共産党があまりにも邪悪であるからであって、私は違法なことを一つもしていないからです。
刑務官は大法弟子に便宜を与える
その後、私はD留置場に移されて、そこで、若い同修のCさんと出会いました。Cさんはとても明るくて楽観的な人で、ユーモアのセンスもあり、理知に富んだ話し方を駆使して、同部屋の受刑者に人としての道理などをよく話していました。そのため、部屋中の全員どころか、刑務官までもが、Cさんに好感を持つようになりました。
Cさんの夫も修煉者で、同じくこの留置場に収監されていました。夫も大法弟子らしく振舞っており、周囲の受刑者や警官に良い印象を与えていました。本来、Cさん夫婦が連絡を取り合うことは許可されないのですが、警官らは2人を助けて、互いの状況をよく知らせたりしていました。
Cさんは、法輪功の修煉をきっかけに夫と出会い、恋に落ち、結婚した経緯を小説のように書き出しました。同部屋の皆に見せるだけでなく、私たちの部屋を担当するD刑務官、夫が所在するところの刑務官、そして、夫にも渡しました。読んだ人は皆「とてもよく書けている!」と絶賛し、いっそう法輪功の真相を理解するようになりました。
そして、Cさんと夫は同じ日に釈放されました。コロナの流行のため、家族が持ってきた衣類は留置場に持ち込めませんでした。そのため、D刑務官は自腹で下着を買い、手で洗濯してから部屋に持ってきて、Cさんに「もう手洗いしてあるからきれいですよ、出所の日に使ってくださいね」と言いました。また、出所時に着る真新しいスポーツウェア2着を、Cさん夫婦のために申し込みました。
Cさんの出所の数日前、Dさんは、Cさん夫婦を引き合わせて、2人に出所後の事柄について、顔を合わせて話す機会を与えました。また、いくつかの雑居房を回り、大きくて赤いリンゴを2つ見つけて(当時はコロナのため物資が不足していた)、出所の日にCさんと夫に持たせると、「縁起が良いから」と言いました。出所時、Cさん夫婦はまるでペアルックのような新品のスポーツウェアを着て、とても美しかったです。
刑務官は私のことをずっと「先生」と呼んでいた
私はよく雑居房で、他の受刑者に英語を教えたり、歴史物語と伝統文化を伝えたりしていたので、受刑者に好かれて、「先生」と呼ばれていました。彼女たちの好評は看守の警官にも知られていたので、刑務官の一人のEさんも、いつも私のことを「先生」と呼んでいました。
私の出所の数日前、Eさんは自ら私たちの雑居房に来て、私のために送別会を開いてくれました。「〇〇先生はもうすぐ家に帰ります。皆さん、何か言いたいことがあれば、この機会に言ってくださいね」と言いました。それは感動的な場面でした。
数年の間、私は複数の留置場に入り、雑居房は十数個におよびます。何十人もの受刑者と同室になりましたが、刑務官が自ら送別会を開いてくれたのは初めてでした。20年以上大法弟子との接触を通じて、「刑務官らは皆、大法弟子が良い人であり、法輪大法は素晴らしいと心の中で分かっている」と思いました。
あとがき
解放された後、学友や以前の同僚と連絡を取ったのですが、多くの感動的なことを知りました。例えば、私が逮捕された時、元会社の管理層は弁護士を立てることを検討しました。弁護士を雇うには家族の同意が必要で、家族以外は代行できないと知り断念しました。半年後、管理層が私の連絡方法を知った後、人事部に指示して会社名義で手紙を寄せて、困ったことがあれば、いつでも会社に言って欲しいとの意を伝えてきました。
解放された後、私はすぐに元の会社に電話して報告しました。副社長が私の電話を受けて、近況を聞いてくれました。「お金に困るようであれば、私は援助します」と言ってくれました。そして副社長は、同級生が投資している会社を私に紹介してくれました。
私が収監されたことを知った元社長も、よく私の状況を尋ねたり、同僚に会ったらいつも私のことを話題にして、私の境遇に同情し惜しんでいたと言いました。同僚たちの話によると、元社長は、私の人柄と仕事能力を非常に高く評価していたそうです。解放された後、私が、隣の市に住んでいることを知ると、元社長は私と仲の良かった元同僚数人を誘って、私に会いに行こうとしていたと聞きました。その後、私が元の市に戻ったことを知ると、すぐに我が家の近くの高級レストランの個室を貸し切って、4000元以上(約8万円)をかけて私を招待してくれました。とても感動しました。
他の同僚たちも、私が戻ったと聞いて、次々と私を食事に招待しました。同級生たちも、私が逮捕されたと聞いて、救出するためにコネを探す人、私の家族に弁護士を立てようと提案する人、私の口座に留置場での生活費を送金する人、そして手紙を書いてくれる人たちもいました。手紙に書いてあったのは普通の世間話だったのですが、刑務所にいる私に、温かい人情を送り届けてくれました。また、出所後は公安局からの嫌がらせを受けることが多いと聞き、法律の見地から対処法を教えてくれる同級生もいました。みんなの優しい行動は、枚挙にいとまがないのです。
留置場にいた数年間は、客観的にいえばとても苦しい環境だったのですが、内心では苦いとは思いませんでした。それどころか、その環境の中で刑務官から一般の人まで、人々の良い面を見ることができました。彼らは、法輪大法が何であるかをよく理解していないかもしれませんが、少なくとも、大法弟子たちはみな善良な人であり、無辜に迫害されていることを知っているのです。中国共産党による迫害は、その邪悪な本質を人々に知らしめたに違いありません。
(完)