失恋をして、隠れた執着心が見つかった
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文/中国の青年大法弟子

 【明慧日本2023年10月14日】大学院在学中、私の熱烈なアタックでAさんはガールフレンドになってくれました。Aさんは卒業して故郷に帰って働いていたので、私は両親を説得してAさんを追いかけて彼女の故郷に来ました。Aさんと家族たちは法輪大法の修煉をやっていたので、私に「三退」をして『轉法輪』を読むように勧めました。それで私は法を得ました。しかし当時の私の状態といえば、週末はいつもAさんとデートして、多くの嗜好も捨てられないまま、たまに大法の書籍を読むぐらいでした。

 本気で修煉を始めたのはコロナが流行してからで、Aさんもその間に精進してきました。私たちは時々修煉体験を交流して、常人生活の話題はだんだん少なくなりました。明慧ネットからよく伝統文化に関する内容を読んでいたので、男女の間は恋愛だけして結婚しないのは伝統道徳に反する現代人の行為だと分かりました。私たちは互いに結婚適齢期になったので、Aさんに結婚に対する考えを聞いてみました。意外にもAさんは結婚したくないとはっきり言ったので、どうしたらいいのか分からなくなりました。だんだんとAさんと遊びに行くことも少なくなり、週末になると一人で家で学法することが多くなりました。

 数カ月後、Aさんの家庭学法グループに入りました。それから1年間、私は一度もAさんをデートに誘っていません。理由は2つあります。1つは、修煉者として結婚を前提にしていない場合は恋愛すべきではないと理解したからです。2つ目は、長い間修煉と疎遠していたかつての子供弟子として、Aさんは今やっと修煉に戻ったので、もし以前のように遊びに誘ったら、彼女の修煉に使える時間を占用してしまいます。私はAさんに以上の考え方を共有していません。なぜなら、その話題に触れるとAさんが「別れよう」と切り出すかもしれないので、それを恐れているからです。

 今年の初め、数年間も付き合っているので、結婚するかしないかについてはっきり結論を出したいと思い、Aさんの考えを確かめました。Aさんは、私とずっとデートもしていないのでもう恋人ではないと思う、結婚についての考えは変わらず、結婚したくないと答えました。それを聞いて私は何も反対意見を言わず「明慧ネットには、若い修煉者が結婚してから常人の生活に溺れて修煉を疎かにした例は多く書いていますが、結婚しないからと言って修煉のレベルが落ちたという文章はありません」と言いました。つまり、この結論も良いかもしれないという意味です。こうして2人は分かれました。その日、ついに情を断ち切ったと嬉しく思いましたが、それから数日後、Aさんと一緒に過ごした日々をよく思い出して、この町を歩いているととても悲しくなったので、ここを離れようと思いました。

 別れて初めてのグループ学法に参加した時、私はAさんに自分の気持ちを打ち明けて、不公平と思う心、見返りを求める心を見つけたと言いました。「当初、あなたのためにこの町に来たので、今は心のバランスを失いました」と。Aさんは「ずっと前から別れたいと思っていたのですが、その時、あなたが修煉に目覚めたばかりで、別れを切り出すとあなたにあまりにも残酷だ、耐えられなかったらどうしようと躊躇しました。実は、あなたを好きになったことは一度もありませんでした」と言いました。こんなにストレートな発言に何を言ったらいいのか分からなくて、ただ「私たちはどうやってここまで来たのか」と感嘆して、Aさんも無言でした。

 さらに2週間後、グループ学法が終わった後、私は隠れていた求める心を見つけたと皆さんに打ち明けました。Aさんと出会う前に失恋を経験したことがあり、それは一番つらい思い出でしたので、2度と失恋の苦痛を耐える身にならないように大法に求めました。修煉の初期、明慧ネットで多くの中高年学習者が書いた、修煉してから冷めた家庭が円満になった体験文章を読んで、修煉したら円満な家庭を手に入れることができると思いました。このような求める心は、Aさんと別れるまで私は気づきませんでした。

 グループ学法が定期的に行われて、表面上、すべては穏やかなようですが、Aさんを見るたびに複雑な心境になります。Aさんは学法が終わったら、ほとんど一言も喋りません。Aさんがこんなに薄情で、別れたとたんまるで私と知らない者同士になったのではと悲しく思いました。だんだんと、バランスを取れなくなる気持ちは恨む心に変わって、Aさんを見ると嫌になります。それからグループ学法の時、Aさんに会うたびにマイナスな考えが浮かび上がります。そして、理由をつけて学法グループを脱退しました。

 別れてから私の修煉状態は一転しました。三つのことの中の、学法といえば毎日学法できるとは限らず、煉功も週に2、3回しかやらなくて、今でも両足を組むことができません。発正念は10分のうちにほぼ9分が妄想を走らせる状態です。真相を伝えることも長い間にやっていなくて、余暇時間に1人で街を歩いたり、美味しい物を食べたり、映画を見たりしました。

 明慧ラジオから、自分より遅く修煉に入った青年大法弟子が三つのことを着実に行っている内容を聞いた時、どうして自分はこんなにも意気地がないのかと思いました。これまで執着心を探すことはうわべに留まっただけで、本当の執着心に的中していない気がして、自分もきちんと精進するようにはなっていません。ここ数カ月、私は絶えず内に向けて探して、隠れている深い執着と誤った観念を掘り出し、ここでそれらを1つずつ暴露します。

 まずは感情に振り舞わされることです。私はAさんの勧めで三退して『轉法輪』を読んだのです。もしAさんが法輪大法を推薦してくるのではなく、悪いことをやるのを付き合う条件にしたら、私も実行したのではないでしょうか。また、別れた後、Aさんが嫌になって軽い気持ちで学法グループを辞めたのも、感情に振り回されることの現れです。

 次に、いわゆる円満な恋愛と結婚は良いことで、人生の目標だと思っていました。この誤った観念は後天的に出来たもので、小説やドラマを見て教え込まれたものです。よく考えてみると、今の中国では「円満」な恋愛と結婚は家の購入、内装工事、結婚披露宴、家事、出産と育児、嫁姑関係などと切っても切れない関係を持っているかもしれず、いずれも名、利、情と絡んでいます。私の現在のあまり精進しない修煉状態では、本当にそれに頭を突っ込んだら、修煉者らしく対処して、次元を落とさないという保証はどこにありますか。

 第3に、Aさんとの同修としての聖なる縁を忘れて、常人世界においた2人の関係をとても重く思っていました。現世、私はAさんの紹介で法を得たので、このような聖なる縁を結ぶために、2人は生生世世にどれだけの恩讐と苦難を経たか分かりません。では、現世の私とAさんの関係は本当にそんなに重要なのでしょうか。現世で2人は結婚できませんが、それぞれしっかり修煉して天国の世界に帰っていけたら、それも良いことではないでしょうか。

 第4に、時間への執着です。師父は「法が天体を正すことはすでに終了し、現在法がこの世を正すことに移行しつつあります」 [1]と説かれています。多くの同修はそれを聞いてもっと精進して、最後の時間に急いで衆生を救っていますが、私はこの大切な時期に失恋の苦痛を緩和することを理由に修煉の意思を緩めるほか、少し我慢したらもうすぐ次の段階に移行すると待ち望んでいます。

 第5に、名を求めてメンツを重んじる心です。Aさんのために見知らぬ町に来たことを、私の親族や友人はみんな知っていました。彼らは私の勇気に感心したり、Aさんを羨んだりしましたが、数年経って私の失恋を知ったら、私をあざ笑うのではと心配しています......

 また、ここ数カ月、1人になった時に口がついAさんの名前を呼んでしまうという正しくない状態もありました。毎回、発正念してそれを自制しなければなりません。このような状況は今でも時々発生しています。

 以上は、Aさんと別れてからの私の現状です。これらの執着と誤った観念を完全に取り除くためには多く学法して、主意識を強化するしかないと思います。一日も早く自分を正し、執着と観念の中から抜け出し、行うべきことをしっかり行いたいと思います。

 ある日、外に出ると「感情以外、何でも修理する」と書かれた修理屋の看板を見かけました。これは師父からのご啓示だと思います。夜になると、答えが見つかったような気がします。今までずっと感情が傷つき、必ずこの傷口を直したいと思って「失恋」という穴に落ちて、情に振り回されていました。今になってその思考の落とし穴から飛び出すと「失恋」といっても、実際には手に入れたことがないため「失」といえるのだろうか? と考えました。Aさんは私を好きになったことがないと言っていますが、私はどうでしょうか。修煉前の私は名・利・情しか考えていなくて、寂しさから抜け出そうと恋に落ちたのがちょうどAさんでした。実際に私はAさんを本当に好きになったことがあるのだろうか? それとも異性に伴われる感じが好きなだけなのだろうか? 別れた後、Aさんに会うと嫌になるのは本当の私なのだろうか? ここでいう「好き」、「嫌」はもしかして情に駆使された業力と執着にすぎないので私の脳を占拠して、大法のためにここに来た真の私を遮っただけかもしれません。

 さらに言えば、これまでの私の考え方とは「私」はAさんが好きで「私」は結婚を望んで「私」はAさんが嫌いで「私」は学法グループを脱退したくて「私」はこの町を離れたい......この「私」 はあまりにも強くて、あまりにも生意気ではありませんか。修煉の道は師父によって段取りされるもので、どうして情と私欲にリードされてみだりに行動するのでしょうか。これからは「大法は私に何を要求していますか」、「私がやったことは衆生を救うことのプラスになりますか、それともマイナスになりますか」を自分に聞かないといけません。つまり大法を第一に考え、無条件に大法に同化して、その中で私心を除去します。

 ここまで書くと、周りの環境が整ってきたと感じ、これまでのAさんに対するマイナス思考や生活への不安も消えました。学法グループに戻るかどうか、この町に残るかどうかは実は私が決めることではなく、すべては自然に任せます。どこででも修煉はできます。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『目覚めよ』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/21/457726.html)
 
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