なぜ修煉したのかと聞かれて
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2023年9月3日】ある晩、寝ようとしたとき、夫が私になぜ修煉したのかと尋ねました。私は「師が法を正すことを手助け、自分の使命を果たすため」と言うと、まるで本を暗記しているようだと言われました。つまり、ナンセンスなことを話しているという意味です。考えてみると、高い内容を言い過ぎたかなと思いました。夫は修煉に戻ってきてからまだ3年しか経っていないのです。そこで「最初、病気を治療するつもりで法の勉強を始めましたが、その後、修煉を通じて佛、道、神になれることを知り、今では師父との誓約があり、使命があることを知りました」と付け加えると、夫は黙っていました。

 恥ずかしながら、私は1997年に大法を修煉し、その時は夫も学んでいました。彼は1999年以降やめましたが、修煉の面で私の心性を大いに向上させてくれました。ただ私は夫に心から感謝していなかったです。ここ数年、特に煉功の面においては心から感謝しています。私は20年以上、毎朝煉功を続けていますが、ある日は瞑想し、次の日は抱輪し、五式功法をすべて行うこともあり、朝はいつも自然に目が覚めます。また、仕事が忙しすぎて十分な睡眠が取れていない自分を慰め、主に心性を修め、できるだけ三つのことをして、精進しない理由を見つけようとしました。

 疫病が発生後、夫は再び修煉を始めました。そして、学法する際に、両足を組むことを自分に課し、煉功を強化しました。仕事を続けながら、ちゃんと目覚まし時計をセットし、毎日1時間の座禅をし、30分の抱輪をしました。最初、私は起きられるかどうかずっと悩んでいました。仕事をしていないので、また自分はベテランの学習者なので、もし起きないと弁解の余地がないのです。しかし、起きるには睡眠時間が短かすぎます。目覚まし時計は(夜中)12時にセットされていて、ちょうど眠りについたときに音が鳴ると、きっとびっくりします。夫のシフトは4日で夜勤1回ですが、最初は夫が当番の時はとても嬉しかったのです。その安逸心は、朝自然に目覚めることができるように、夫が当番を務めることを望んでいました。明慧ネットの交流記事を読んでいると、1日の睡眠時間がほとんどない学習者もいます。自分には出来ない気がします。実際、それはただ苦難に耐えたくないだけで、私は修煉の本当の意味を知らないのです。

 近年、私は法を暗記し始めました。あるとき、次の「それに対して、われわれは今日こんなに素晴らしい功法をあなたのために持ち出し、しかもわたしがすでにそれをあなたの目の前に捧げて、あなたの家の玄関口まで送り届けているのです。あとはあなたが修煉できるかどうかにかかっています。できるなら修煉し続けてください。修煉できないというなら、今後二度と修煉のことなど考えない方がよいのです。魔があなたを騙す以外に誰も教えてくれる人はいませんので、これからは修煉をやめたほうがよいのです」[1]というところを暗記しました。

 私は泣いて、泣き続けました。心の中で「師父、私はできます、きっとできます」と言いました。この法を得ることができてとても幸運だと感じていますが、その期待に応えられず、弟子が法を得るため、師父は大変な苦労をされたと思います。また19歳のとき、海に落ちて溺れ、死にかかったことも思い出しました。泳げない私は、ボートに乗った人が投げ下ろしてくれた、救命用のナイロンロープを掴もうとしましたがロープは滑りやすく、私は寒さと恐怖でロープにしがみつくことができず、ずっと掴めないと叫んでいました。しかしロープの端は結び目になっていて、そこに塊ができていたので、両手でそれを握りしめて、ボートに乗った人に引っ張られ、船に乗せられました。法を得てから、あの時私を守って下さったのは師父だったことに気づきました。

 またある時、私は「むかし修煉の人は縄で這い上がり、中に入ってから縄を切って、洞窟の中で修煉しました」[1]という法を学びました。「切って」という言葉が際立っていました。昔の修煉者が縄を切るのはどれほどの勇気が必要だったか、それは生と死の境でした。当時、洞窟の中には何もなく、修煉者たちが修煉への熱望にどれだけの決意と粘り強さを持っていたかと思いました。現在、師父の教えは世間で伝えだされ、寺に行く必要はないのです。家には食べ物や飲み物があり、冬には暖房、夏にはエアコンが付き、快適です。本当はそうすべきではないのです。残された修煉の時間を大切にし、さらに精進していこうと決意しました。毎日五式の功法を全部こなし、夫が当番の時は1時間の抱輪をやるようにしています。初めて第二式の1時間の抱輪を行ったとき、師父が私を励まして下さいました。

 私の修煉では、天目が開かず何も見えませんが、感じることができます。煉功で智慧が開き、法を暗記するのも早く、外で法輪功迫害の実態を語るのもいつもスムーズにいきます。家に帰ると幸せな気持ちになり、自然に大法の歌を歌います。師父は「人生は富だ」と仰いました。まず自分自身を修めることで、人を救うことができると思います。

 私は老大法弟子であると主張し、しばしば夫を非難し、非常に自己中心的でした。しかし実際には、夫が私をより進歩させるように仕向けられたのは師父でした。夫が初めて足を組んで法を勉強したとき、あまりの足の痛みで大量の汗をかいたのを見て、私は「法を勉強することは肝心です」とまで言ったのに、堅持しなかった自分に言い訳をし続けました。今、私たちは毎日法を勉強し、最後まで足を組むのを続けています。慣れれば大丈夫なのです。私たちは世間での修煉するチャンスを、なぜ大切にしないのでしょうか?  世の人々はまだ私たちから救われるのを待っています。このことから、大法弟子という称号が宇宙で、いかに神聖なものであるかという意味をさらに理解しました。

 煉功することは修煉者として必要なことだと思いますが、当然、法を学ぶことが第一です。発正念をする時間を延長し、継続して修煉していけば機制(メカニズム)が形成されます。最近、正念を発したとき、明らかに体内で(法輪が)回転するのを感じました。現在、身体は内から外まで強くなり、頑丈になりました。

 疫病が流行中、我が家の家族には症状のある者が数人いましたが、数日で治りました。同修である90歳の母親も症状が出ましたが、1、2日で治りました。母は毎日『轉法輪』を学ぶことを堅持し、健康状態もとてもよく、「師父、ありがとうございます」とよく言っています。ここに、家族全員を代表して師父に感謝したします。

 以上は私の修煉体験のほんの一部ですが、不適切な点があれば、同修の慈悲深い指摘をお願いします。皆様、ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (責任編集-文谦)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/26/464330.html)
 
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