ヨーロッパ法会|自分自身を修煉し向上させてこそ衆生を救い済度することができる
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文/西洋人の大法弟子 

 【明慧日本2023年9月14日】

 尊敬なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私が大法の修煉を始めたのは1998年、まだ15歳の時でした。この交流文章を書いた目的は、私が仕事において成し遂げた成果を報告することではなく、私の最近の修煉の体験と悟りを皆さんと分かち合いたいことです。

 私は修煉の過程で多くのことを経験しました。他の同修から「大法の仕事への執着」という話や、さまざまな状況についての体験をよく聞きますが、実際に自分がこの問題で関を乗り越えるときは、まったく違う感覚になります。

 日常生活の中で時折立ち止まり、自分がどのように修煉し、この修煉の道をどのように歩んでいるのかを心を静めて振り返ることは、とても大切なことだと後になって分かりました。私は時々、形式的なルーティンに陥りやすいことがあります。大法や衆生を救い済度のために行っている事を決まった仕事のように済ましていました。それは修煉において誤った道を歩むことであり、最後には危険になる可能性もあり、衆生を救うという真の効果を達成できないことに気づきました。

 師父は、「まず、自分自身をしっかり修めてはじめて歴史的使命を果たすことができます」[1]と説かれています。

 師父が世界各地の法会に送られた多くの祝辞の中で、師父が自分をしっかり修煉することと、法を学ぶことの重要性について言及されているのを見ました。

 長い間、私は大法を実証するプロジェクトでさまざまな役割を担当しており、自分にはやるべきことがたくさんあるといつも思っています。また、私はなぜしっかり修煉し、落ち着いて法を学ばずに、ただ大法の仕事をするという間違った道に簡単に陥ってしまったのかと思うことがよくあります。旧勢力は私たちが修煉して成功することを望んでおらず、道を外されることはとても簡単なことです。逆に、法を学び、煉功することを最重要視にすると、すべてがやりやすくなることを何度も経験しました。私にとって、怠惰、人間的な考え方、人間的な間違った観念は、取り除かなければならないものです。

 スウェーデンでの神韻の宣伝に参加

 スウェーデンでは、疫病の大流行が始まる直前の2020年初頭に神韻公演を開催し、今年5月に再び神韻公演を開催しました。

 神韻公演の宣伝期間中、私は毎日チケットの売れ行きの統計を受け取りましたが、私は不安、喜び、興奮、がっかりなど様々な気持ちが交錯しました。全員の努力の下で、チケットの販売は順調に進みました。

 その間、私は多くのプレッシャーを感じました。神韻の宣伝活動をサポートするためにやるべきことがたくさんあったからです。常人の仕事でもやるべきことがたくさんあります。 そんなとき、父が海外で病気になり、手術が必要になったという知らせが届きました。これを聞いて私はとても感情的になり、どうしたらいいのかわかりませんでした。

 すべてが外からの圧力のように感じ、何かが邪魔をしているような気がしました。 私は自分で「私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めません」[2]という説法を暗唱していました。結局、すべてがうまくいき、父の手術も成功し、今も元気に暮らしています。

 また、各種の神韻の宣伝活動にも参加しました。常人の仕事に巻き込まれないように、この過程で常に心性を修めることが非常に重要であると感じました。私はパソコンの前でウェブページや、ソーシャルメディアに多くの時間を費やしており、表面的にはすべて普通の仕事のように見えますが、常に正念を持つことが重要であると実感しています。神韻のために何かをするとき、いつも素晴らしい幸福感に包まれ、決して疲れを感じません。神韻から元気をもらっているような感覚がいつもありました。

 大法弟子として正しい行いをしなければならない

 また、特に他のプロジェクトを行うときは、正しい考えを持つだけでなく、正しい行動も必要であるとよく自分に言い聞かせています。

 かつて、スウェーデンの大規模なイベントで真相を伝える講義が行われたとき、ある同修が私にこう言いました。「この人たちが講義を見るとき、それは神韻公演を観るようなものになるはずです。彼らは留まり、『素晴らしい!』と思うでしょう」。私は神韻公演中に警備員や舞台裏として働いてきましたが、すべてを完璧に行いました。他のプロジェクトで習慣的なルーティンに陥ったり、気持が集中しなかったりするときは、神韻の時と同じように正しい考えと正しい行いを持って取り組むよう常に自分に言い聞かせています。

 私はオンラインレッスンで功法を教える活動にも携わっています。私たちは疫病の期間中にこれを始めましたが、多くの人々から大きな関心を集めました。これは遠隔技術を利用して大勢の人々に法を広める絶好の機会だと思います。もちろん、登録したものの参加しなかった方もいますが、その方々には引き続き大法の情報や次回のオンラインレッスンへの参加の知らせが届きます。オンラインレッスンに参加した方から多くの積極的なメッセージを見て、私はとても嬉しく思いました。現在500人以上が私たちのオンラインレッスンに参加したことがあります。

 オンラインレッスンが始まる前に、参加者の登録する状況を見ると、いつも素晴らしい気持ちになります。この感覚は、神韻公演が始まる前に観客が入場してくるのを見たときの喜びのような感覚です。私たちはチームとして、オンラインレッスンを成功させるために多くの困難を乗り越えてきたと思います。

 私は自分にとても満足しており、大法の仕事に集中していればすべてうまくいくという自己満足的な執着が生まれ、家庭衛生など他のことをおろそかになってしまいました。また、食べるものや睡眠時間にもあまり注意を払いませんが、それは間違いなく私が行っている重要なことに影響を与え、不必要な損失を引き起こします。この点に関して、私は極端な考えを持っていたかもしれません。今、私たちはまだ人間の空間にいるので、これらのことに注意を払う必要があると思います。私たちが何をするにしても、それを未来に残さなければならないので、修煉の道を正しく歩むことが非常に重要であり、大法弟子として常人に与えるイメージにも注意を払わなければならないと気づきました。今後はこの点に関してはもっと改善していきたいと思います。

 その後、新経文『目覚めよ』を学んだ時、私は以前、ワクチンに関する問題など、さまざまな問題をまったく間違った角度から見ていたことに深く気づきました。ワクチンに関する他の理解を聞いたこともありますが、法という観点から問題をよく聞いて理解し、対処しておらず、常人社会でも不必要な損失と誤解を引き起こしてしまいました。

 私も比較的長い期間にわたって病業の関を経験しました。一番最近では左足に病業がありました。私にとって、これは自分の修煉にもっと注意を払うようにという警鐘でした。私は、慈悲深く偉大な師父が私に与えてくださったすべての悟らせと警鐘に感謝しています。

 長い間、スマートフォンへの執着と闘っていました。単なるスマートフォンでソーシャルメディアやニュースを見ることへの執着だけではなく、最新モデルや最もユニークなスマートフォンを所有することは、顕示、名声を求めることへの執着です。

 ある日、散歩に出かけたとき、私は新品のスマートフォンを手にし、歩きながらスマホをいじっていました。突然、何が起こったのか分からないうちにスマホが飛び出し、小石だらけの道路に落ちてしまい、携帯電話の画面が割れてしまいました。最初は少しびっくりしましたが、携帯電話の画面には保護フィルムが付いているので、修理はそれほど高価ではありませんでした。しかしそれは、スマホで時間を無駄にしないようにという啓示だったと分かりました。

 修煉環境と同修を大切にする

 1998年、私が15歳の時、大法の修煉を始める良い機会に恵まれましたが、当時、両親はどちらも法輪功を修煉していませんでした。当時、私と同年代の修煉者はほとんどいませんが、私はいつも多くの同修に支えられていることを感じました。この時期に私たちがお互いに助け、協力し合うことが重要であると思っています。時々私にはこれができず、他の同修に対して正念がありません。今では、他の同修の欠点を見ると、それは実際には自分の欠点を反映する鏡であることに気づきました。

 私はしばらくの間、集団学法に参加することに大きな抵抗を感じました。説明するのは難しいですが、ただの感覚です。そのとき私は、それが思想業力と邪魔だと認識しました。今、私はどのように感じても、必ず集団学法に参加するようにしています。集団学法は私の修煉の良い支えになっていることに気づいたからです。

 自分自身に対してより高い要求を設定する

 明慧ネットが最近発表した三つの明慧編集部の文章を読んで、私は非常に感動しました。明慧編集部が2000年6月15日に発表した、「近日中に、7月22日以後の二つ目の真の新経文が掲載される」という通知には、師父が明慧ネットに関する説法「明慧ネットに間違いがないと言っているのではありませんが、重大な問題の場合は必ず明慧ネットの態度を見てください」を引用しました。また、私は 1999 年の迫害前の修煉環境を体験するという非常に幸運な機会に恵まれました。当時私はまだ若かったのですが、修煉環境が純粋で、皆が熱心に修煉し、心性を高めていることを実感しました。このことはまた、私が自分自身に厳しくなければならないことを思い出させてくれました。今は、当時の自分の修煉と比較し、将来的にはより良く行えるように、自分自身にさらに厳しく要求しなければなりません。

 明慧編集部の文章「責任を負う」では、「反迫害と真相説明の過程で、海外の修煉環境も大きな影響を受けました」と書いてあります。私は、自分自身から始め修煉にもっと力を入れて、心性を修め、同修たちに対するあらゆる考え、言葉、行動にもっと注意を払います。自分自身から始めて良い修煉環境を作るしかないと考えています。

 私はスウェーデン佛学会のメンバーでもありますが、この明慧編集部の文章を読んで、古い修煉者として、また佛学会のメンバーとしての責任を感じました。大法の仕事をするとしても、心性の向上をおろそかにする理由はなく、これはすべての修煉者の根本的な問題です。「責任を負う」という文章はまた、「佛学会の責任者はまず佛学会の責任者の職責に対して責任を負ってはじめて、各地の修煉環境を取り戻すことができ、学習者は今まで以上に心を修め、心性を高めることができ、人を救うことを行うときにより良い効果を得ることができるのです」と書かれています。

 明慧編集部の文章「新経文は常人向けに配布しても良いのか?」の中でも、「かなりの数の同修は学法を堅持することができ、ひいては大量に法を学んでいますが、心性を高めることにおいて力を注いでいません。しかし、大法修煉は心を修めることを重んじ、人心を真っ直ぐに指します」と、この点について言及しました。これは私にとっても警鐘を鳴らし、日常生活の中で心性を修めることを重視しなければならないと理解しています。

 今では毎日がとても早く過ぎていくように感じますが、私たちはヨーロッパで多くの重要な責任を負っており、この地域の衆生を救わなければなりません。私はより良い修煉をし、この地域の衆生を救うためにさらに大きな役割を果たすことができることを願っています。

 師父に感謝いたします! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十四』「大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 (2023年ヨーロッパ法会原稿)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/8/30/464692.html)
 
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