教師の職場で法を実証し、衆生を救う(三)
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文/イタリアの大法弟子

 【明慧日本2023年11月7日】(前文に続く)

 三、過去を知り、自分の使命をより明確に認識する

 実際、教育の分野に入るまでにはある程度の時間がかかりました。イタリアに来てから、学校から中国語を教えるように頼まれることが頻繁にあり、特に私が勤務している大学とは深いつながりがありました。

 最初はいくつかのイタリアの輸出入貿易や船会社で働いており、給与は教師の数倍でした。また、自分の専門は絵を描くことで、言語を教えることではありませんでした。そのため、学校や大学での仕事をずっと断ってきました。大学の教職は競争が激しいのですが、大学で働くことを決意したとき、簡単に叶えることができました。

 数年前のある日、師父は私にこの大学との因縁関係を教えて下さいました。約300年前、私はイタリアの宣教師として中国に派遣され、中国では康熙皇帝によって重用され、皇帝の宮廷画家となり、紫禁城で学校を開設する特権を与えられました。多くの年月を経て、イタリアに戻り、西洋で初めて中国語を教える大学を設立し、それが今世で私が働く大学です。それはヨーロッパで最も権威ある言語研究の有名な大学です!

 これらを知った後、私は教育分野での自身の責任と使命をより明確に理解しました。

 中国語は英語のように必修科目ではなく、またフランス語、ドイツ語、スペイン語などの他のヨーロッパの言語とは異なり、比較的簡単に選択および学習できるわけではありません。中国語の授業がある高校は少なく、生徒たちは慎重に選択しています。彼らの中には遠くの都市や場所から通学している生徒もいます。彼らが私を教師や同僚として選んだのは、彼らと彼らが代表する世界が大法に救われるためです。私は彼らが失望しないようにしなければならないと心から理解しています。

 今日まで歩んできて、師父の安排と加持に感謝いたします。一般の生徒数が減少している中、中国語を学ぶ生徒だけが増加しており、これは中国語の需要が高まっているわけではなく、私が行く学校には多くの生徒が中国語の授業を登録しました。同時に、近くの他の学校の中国語クラスは減少しており、一部の生徒は遠くから都市を越えて通学しています。私は彼らが何のために来ているのかを知っています。

 ある年、中国語クラスへの登録が多すぎて、学校には収容できる教室がなかったため、他の学校に二つの中国語クラスを分け与えることになりました。私はずっとその生徒たちを気にかけており、彼らが将来、大法を知る機会があることを願っています。

 私は生徒に真相を伝え、大法を知らせることを私の学校での使命とし、師父は私の心を見ておられて、いつも機会を与えて下さいます。例えば、時折学校は私に、中国語のクラスではないクラスに臨時授業に行かせることがあります。そこで、私はこの機会を活かして、これらの生徒にも大法について知ってもらい、真相を理解してもらい、そして「神韻」という名前を覚え、機会があったら見に行くように伝えました。他の教師から聞いた話ですが、彼らのクラスの生徒から「なぜ中国語クラスの生徒は煉功できるのに、私たちはできないのですか? それらの生徒は本当に幸せだなと思うんです!」という不満がよくあります。

 結びの言葉

 教師としての長年にわたる修煉の過程を振り返ると、職場で環境を変えるには、まず自分から始めなければならないことに気づきます。職場で真相を伝えることは他の場所とは異なり、相手は私たちのことを知らず、単に事実を伝えるだけです。しかし、学校では皆が私たちのことを知っており、生徒や他の教職員と向き合う際、自分の行動は大法の修煉者のイメージを代表します。私は法輪大法について話す際、彼らは私の日常の言動を通じて法輪功を直感的に判断します。私たちが修煉者として彼らに与える印象は、彼らの態度に影響を与えるでしょう。

 私は常に、修煉者の基準で自分に要求することを自分に言い聞かせています。日常生活でも外見に気を使い、法輪功修煉者としての風格とイメージを示すことが重要です。私と一緒に働く教師仲間たちは「あなたはとても優しいし、穏やかで、優雅で謙虚で、生徒に対してとても忍耐強い。私もあなたのように法輪功を修煉したいです」とよく言ってくれます。

 一般社会の各階層にはそれぞれのトラブルが存在し、知識人の環境におけるトラブルも表面上は平和に見えますが、実際には微妙で複雑なものです。これらのトラブルもせいぜい名・利・情に関連しているに過ぎないのです。これは修煉者として取り除くべき執着であり、したがって、日常の仕事や人間関係で同僚と争わず、利害関係の損得に対して名誉と利益に淡々と接することが大切です。仕事中には苦労をいとわず、真剣に取り組み、善の心を持って他人に対処します。明らかに自分の仕事や利益が同僚に巧妙に奪われた場合でも、高潔な態度で許し、徳をもって恨みに報いることができます。私は単に自分の役割を果たしただけであり、長年修煉の中で師父に見守られているので、私の能力や成果もすべて師父からの賜物です。

 近年、師父は何度も大法弟子の責任について話され、大法弟子は所在地の衆生の救わる希望であると述べられました。師父は「どの民族に身を置いても、皆さんはそこの衆生の希望なのです」と説かれています。(『チェコスロバキア法会へ』)

 師父から授けられた修煉の機縁に感謝いたします! 自分は師父が安排してくださった修煉の道をしっかりと歩み、多く法を学び、正念を強めて、大法弟子としての歴史的使命を果たし、教育の分野で師を手伝い多くの衆生を救い済度するために尽力します。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/10/21/464612.html)
 
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