苦難に直面した時はまず他人のことを考える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年11月29日】私は75歳の退職した教師です。1999年7月20日の迫害開始から2001年6月まで、他の何千人もの法輪功修煉者と同様に、私は北京に行き、自分の信念を実践し迫害に反対する権利を訴えました。私は何度か連行されて不法に拘留され、洗脳センターに送られました。家宅捜索も受け、給料も差し押さえられました。このような激しい圧力にもかかわらず、私は修煉を辞めませんでした。むしろ、大法を修煉するという私の決意は強くなりました。

 このような困難な時期に、師父は私たちと共にいて、私たちを見守って下さいました。何度も私たちの障害を平坦な道に変えて下さいました。2000年に法輪功迫害を訴えるために二度目に北京に行ったとき、連行されて故郷に連れ戻され、女性の「教育センター」に拘留されたことを覚えています。

 センターには麻薬中毒者や売春婦が多く、非常に不快な状況でした。ある日、看守たちは囚人たちに監房を掃除するように言い、すぐに上層部の検査官が来るから急いでやるようにと言いました。しかし、誰も独房を掃除するのが好きではなく、掃除しない言い訳をしました。また、私たちには箒がありませんでした。

 師父は私たちに善良な人間になること、無私の心を養うことを教えてくれました。そこで、襟の縫い目に隠していた100元を取り出し、警察官Aに渡して箒を買って貰おうとしました。すると警察官Aは唖然としました。収監者は金銭の持ち込みが禁止されているため、その100元は苦労して稼いだものであり、何度探しても見つからなかったのを知っていました。警備員Aは微笑んで「お金を払う必要はありません。ここにはお金があります。ありがとう」と言いました。

 この100元は北京に行く前に帰りの電車の切符を買うために私の服に縫い込まれていました。私は警察官を喜ばせたり、自慢したかったわけではありません。修煉者はこの世で利益を求めません。しかし、それ以来、警察官Aは私を称賛の目で見るようになり、緊張は和らぎました。

 あるとても寒い日、私はシャワーを浴びて髪を洗おうとしていました。修煉者は熱湯の使用が禁止されていたので、いつものように洗面器で冷水を汲みました。水を手にかけると、寒さへの恐怖が頭をよぎるほど冷たかったのです。それは執着ではないですか? 私はすぐに「寒いのではなくて、暑いのだ、寒さは怖くない」と思いました。私の概念が変わるとすぐに状況が変わりました。警察官Bがバケツ2杯のお湯をくれました。警察官は私の寒さへの恐怖がなくなったのを見て、お湯を出してくれたのです。

 しばらくして、610公安局職員が毎日のようにやって来て、修煉者を尋問しました。一部の修煉者は取り調べを受けた際、二昼夜睡眠を奪われ、取り調べの間じゅう冷たいコンクリートの床の上に裸足で立たなければなりませんでした。さまざまな迫害手段が用いられました。私の名前が呼ばれたとき、私は状況を冷静に見極め責任を持って対処しなければならないと思いました。警察官Bがやって来て、所長に取調で私に気遣うように伝えました。

 所長は私を呼び寄せ、座るように勧め、お茶を入れてくれました。彼は私を尋問しませんでした。彼は午前中ずっと私とおしゃべりをして過ごしました。私はこの機会を利用して彼に『洪吟』を朗読し、大法の素晴らしさを伝えました。彼は私の言うことをすべて受け入れ、外にいる人たちにも中に入ってもらい私の話を聞くように言いました。昼休みに、彼は私に豚の角煮が入った食べ物を持ってきてくれました。彼は私に、昼食後に監房に戻るように言いました。師父は私が恐怖を克服したのを見て、私を助けてくださったのです。

 1カ月以上過ぎたある日の午後、610公安局の担当者がやって来て、いくつかの書類をテーブルの上に置き、私に署名するように言いました。「懺悔の手紙」を見たとき、私は「サインをしません」と伝えました。担当者の一人が罵り始めました。私は自分の立場を堅持して、「たとえ銃を向けられても、私は署名しません」と答えました。

 膠着状態は5、6分間続きました。彼らが私の指紋を無理やり採取しようとしていた時、警察官Bがやって来て私に「今日は家に帰るんですね。急いで荷物をまとめて行きなさい」と言いました。610公安局の担当者は何も言えませんでした。師父が警察官Bの口を利用して助けてくださったのです。師父、ありがとうございました。急いで荷物をまとめると、私は本当に家に帰ることができました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/9/29/464541.html)
 
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