修士課程の大学院生が大法に出会った経験
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  文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年2月11日】私は修士課程の大学院生で、安徽のある大学を卒業した後、彼氏に従って彼の故郷の山東で生活することにしました。私は小さい時から、いくつかの神話の物語を見たり聞いたりしていましたが、修煉や神、佛のことについてはほとんど知りませんでした。

 大学院を卒業する時に学校から、法輪功を修煉するかどうかの内容を書いた用紙にサインするように求められました。サインをしないと、卒業証書を発行してもらえないとのことでした。当時、私は法輪功についてよく知りませんでしたが、CCTVが放送した「天安門焼身自殺」の影響を受けていたのでサインをしました。

 就職した後のある日、同僚が法輪功について話してくれた後、CDをくれました。私は中国共産党のメディアの噓偽りの宣伝の影響で、法輪功という3文字を聞くだけで恐怖を感じていたので、彼の話に聞く耳を持たず、家に帰る途中、CDを捨てました。ある晩私が、自分の家が経営する料理店の前に座っていた時、近所に住んでいるおじいさんが私に声をかけました。彼はとても優しくて、話し方も穏やかでした。話をしている中で、彼は法輪功の素晴らしなどに触れました。当時、私はまだ理解できず、すぐに不機嫌な顔になり、聞こうともしませんでしたが、彼は私に法輪功についての資料を渡しました。

 家に帰った後、私は好奇心からその資料を読みました。しかし、なぜか涙が出ました。そしてその後、『偽りの火』、『天地をめぐる勇気の旅』、『未来人の神話』、『真善忍国際美展』などのビデオを見て、法輪功の書籍である『轉法輪』を買いました。ところが、なぜか本を読もうとすると、忙しいとか、時間がないとか、いつもいろいろな理由が出てきて、最初の2講だけ読んで、なかなか最後まで読み終えることができませんでしたが、後に、本格的に修煉し、法を学ぶことでその原因が分かりました。

 師父は、「法の勉強の中でもう一つの問題があります。一部の学習者の学法について言えば、精進していないといっても彼は本を読んでいますが、精進しているといっても、まだ1冊も本を読み終えておらず、『轉法輪』をまだ読み終えていない者もいます。これを大したことがないと思わないでください。特に新しい学習者ですが、はじめて本を読む時に最後まで読むことができなかったら、それからは時間と機会がなくなり、時間があっても、本を読むことを忘れてしまいます。なぜでしょうか? 誰にも思想業力があり、この思想業力は利己的で良くないものだからです。あなたが学んでいるこの大法がこれほど正しくて良いものであり、大法に消滅されるのを見て、業力自身は怖くなり、続けて学ばせず、本を読ませないようにしています。途中で本を投げ出して、読まなくなったら、思想業力はあなたに続けて本を読む機会がないようにし、再び大法の本と接触する機会がないようにします。これがなぜ本を少し読んだ人が再び勉強する機会を作ることができないかの原因です。ですから、一旦この本を読み出したら、一回目は必ず最後まで読み終え、一気に読み通してください」と説かれました。(『北米第一回法会での説法』)

 それから5年後、私は同僚と地方に出張した時、彼は私に新唐人テレビ局と神韻芸術団が共同で開催した『世界の華人の新年会』のビデオを見せてくれました。その中の1曲に何度か「あなたを救うためです」という歌詞が出てきました。見終わった後、部屋に帰って、「なぜ歌詞には私を救うためだと言っているのか?」と不思議に思いました。その夜、夢の中で、私の心の中に一輪の花がずっと回って咲いているように見え、しばらくして同僚が現れ、彼はそこに立っていました。法輪功の第五式の煉功をしていました。両手は柱状の神通力を煉る動作と同じで、二つの手のひらの間に一本の光柱がありました。さらにしばらくすると、趙という人が現れ、同僚と同じような動作をして私に見せました。私は驚いて目が覚めました。

 翌日、同僚は私に『天地をめぐる勇気の旅』を見せたいと言いました。私は「以前見たことがあります」と言った後、同僚にいくつかの質問をしました。

 (一) 「あなたは普段気楽で活発に話しますが、どうして法輪功の話をすると、こんなに真剣になりますか?」

 (二)「 あなたは修煉のレベルが高いかもしれませんが、師父はどのくらい高いのですか?」(その話をしたとき、師父に敬称をつけるべきでした)

 (三) 「法輪功の煉功の動作を見せていただけますか?」と。当時はとても好奇心がありました。その時同僚が何を答えたのかよく覚えていませんが、彼は私に法輪功の五式の功法の動作を見せてくれました。この功法は普通に見えますが、実は奥深いもので「素晴らしい」と思いました。部屋に戻り、静かに座っていると、なんだか幸せな気持ちが胸から湧いてきて涙が出ました。帰りの電車の中で、昨夜の会話に感銘を受けたのをきっかけに、私も修煉について知りたくなりました。私はスマートフォンで老子の『道徳経』を見つけ、その中の内容を見て同僚に聞きました。同僚は「それを見てはいけません」と言った後、1冊の小さい本を取り出しました。それは『轉法輪』でした。「これを読んでみてください。必ず最初から最後まで読んでください」と言いました。

 私はその場で真剣に読み始めましたが、数年前、家で読んだ時とは全く違いました。印象的だったのは、師父が「もし、あなたがさまざまな執着心を持っていて、功能を追求するとか、病気の治療を求めるとか、理論を聞いてみたいとか、あるいは、何かの良くない目的を抱いているとすれば、やってあげるわけにはいきません」 (『轉法輪』)と説かれたことです。

 私は師父の法を、いろいろ自分と照らし合わせてみました。「『さまざまな執着心』があるかないか? ない。『功能を追求する』ことがあるかないか? ない。「病気の治療を求める」ことがあるかないか? ない。『理論を聞いてみたい』ことがあるかないか? ない。『何かの良くない目的を抱いている』ことがあるかないか? ない」と。このように真剣に読んでいるうちに、私は目的地に到着しました。そして私は、「家にも1冊があるので、帰ってから読みます」と言って本を同僚に返しました。今度こそ、最後まで読むことができると思いました。

 『轉法輪』を読み終わったとき、全身がとても軽く感じました。今までの法輪功に対するさまざまな疑問や理解できないところが一気に消え、まるで謎が解き明かされたかのようでした。「これは本当に天書です!」と、私はうれしくて興奮しました。

 師父は説かれました。「人はいったんわれわれの法輪大法を学んだら、人生の中で知りたくても答えが得られなかったたくさんの問題がたちどころに分かるようになります。思想の昇華に伴って彼は非常に感激することになります。これは間違いのないところです」(『轉法輪』)

 私は自分が本当に幸運だと思っています。法を得ることはとても難しいことだと分かっているからです。それから私は法輪功の修煉を始めました!

 師父、ありがとうございます!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/6/472171.html)
 
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