晩年に法を得た弟子 残りの時間を大切にし、 精進して師父と一緒に帰る
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文/中国の大法弟子 新生

 【明慧日本2024年4月30日】この修煉体験を書き終えた後、投稿する勇気がありませんでした。同修と比べると、私は修煉期間が短く経験も浅いのです。しかし、明慧ネットは全世界の大法弟子たちが交流する場所であり、精進している同修と切磋琢磨する機会になる、ということで投稿しました。同修の皆さんからの慈悲に満ちたご指摘を願っています。私も皆さんと同様に、法を正す進展にしっかりついて行こうと思います。 

 苦難に満ちた前半生

 私は文化大革命の時代に、地主の家庭で生まれました。邪な中国共産党(中共)は先祖から受け継いだ私の家の荘園、田畑、山林を没収し、私たち家族を好き勝手に殴り、罵り、さらに殺害しました。私の祖父は中共に拘束されている間に殴られ、餓死させられました。幼い頃のある夏の日、とても暑く、子供たちはみんな池のほとりで水遊びをしていました。私も水遊びをしていましたが、村長の娘が私を深い池の中に落とし込みました。私は足が地に着かなくなり、気を失いました。後で聞いた話では、通りかかった大人が私を助け出し、背中をたたいて私を目覚めさせたとのことでした。誰も村長の娘が人を殺そうとしたり、法律を犯したりしたとは考えていませんでした。私は両親に言えませんでした。両親も中共によって批判されていて、毎日最も汚くて疲れる、苦しい農作業をさせられていました。それでも少しの食料しかもらえなかったのです。両親はストレスを発散する場所がない時は、私に八つ当たりすることもありました。

 父は、私たちにとって唯一の活路は大学に入ることだと言いました。そのため、私は一生懸命勉強し、大学に入学しました。卒業時にコネがなかったため、私は遠く離れた小さな町に配属されました。数年後、この小さな町には厳重な警備、高い壁と鉄柵で囲まれた場所がいくつも現れました。一部の会社や住宅地も鉄線で囲まれ、動物園のようになりました。銃を持った人々が警備に当たっていました。知り合いの中にも、これらの場所に臨時に派遣され、半年間出られなくなった人がいました。私は好奇心から何度かこれらの場所では一体何をしているのですか、と尋ねました。拘留された人々に中共の政策を説明するための場所だということでした。今になって理解できましたが、そこは洗脳施設だったのです! さらに奇妙なことに、数年後のある日、数時間のうちに、すべての立哨、柵、鉄線が跡形もなく消えました。情報通からは、国際機関から派遣された代表が検査に来るので、人権侵害があまりにも酷く、人間性が欠けていることが明らかになるのを恐れたため、それらが撤去されたということでした。

 私は50歳にならないうちに病気だらけになりました。内分泌疾患や、深刻な不眠症、脱毛などがあり、子宮摘出手術と甲状腺がんの手術を受けました。そのため、甲状腺ホルモン剤とビタミンD3を含むカルシウム剤を一生服用しなければなりませんでした。全身の関節があちこちで赤く腫れて痛むことがありましたし、指の関節も変形していました。何度も血液検査を受けましたが、関節リウマチではありませんでした。医師はリウマチの治療法に従っていました。リウマチの薬、抗不安薬、睡眠薬を毎日たくさん服用していました。病気のため、私の気性はますます荒れ狂い、理屈で納得させることができない人になりました。夫と子供たちは私を見捨てていきました。私は孤独で寂しく、すぐに老け込み、顔色も悪くなり、死神が私を連れて行く寸前まで辿り着きました。

 佛法との縁

 ついに退職することができ、私は広東省のある都市に行き、お店を開いて商売を始めました。2022年5月、顧客拡大の際に出会った一人のお姉さんが、私に大法の真実が書かれた資料をくれました。その中には不幸を幸運に変えたり、困難を好転させたりする不思議な小話が書かれていて、私はそれを読んで不思議に思いました。数日後、そのお姉さんがタブレットを持ってきて、『轉法輪』を読んでみるように勧めてくれました。『轉法輪』では真・善・忍の基準に従って本当の良い人になるよう教えていました。これこそ、私がずっと探していたものなのです! この書籍は私の心の奥深くに触れました。私は何度も夢に思ったことがあります。もしもすべての人の考えと行動がとても高尚になったら、この世界はどれほど素晴らしくなるだろう! 真・善・忍は私の本性を目覚めさせました! 私は60歳に近づいているときに、この世で最も貴重な本、最も貴重な佛法に出会いました。これは何と幸運なことでしょう!

 そして、私はお店を閉めて、心を静めて学法しました。お姉さんのタブレットには師父の動作を教えるビデオや『広州での説法録音」、そして『洪吟』、『精進要旨』などの経文もありました。私は待ちきれなくてすぐに学び始め、読めば読むほどなかで述べられた内容がいかに素晴らしいか、と感じ、文字の一つ一つがとても重要だと思いました。そして書き写し始め、疲れたら本を読み、また読み疲れたら説法録音を聞き、眠りたくもなかったです。師父の法を心に刻み込みたかったのです!

 すぐに、師父は私の身体を浄化してくださいました。全身の皮膚が一層一層剥がれて行き、身体から異臭が発散し、水っぽい下痢がありました。子宮を摘出した私でしたが、なんと生理が来ました。甲状腺や上皮小体もない私は、医師が必ず服用しなければならないと言っていた甲状腺ホルモン剤やビタミンD3を含むカルシウム剤を止めましたが、全身の関節が痛むこともなく、睡眠も良くなりました。リウマチの薬などすべての薬も止めました。今まで一錠の薬を飲んだことがありません。私は優しくなり、体重が増え、肌が白くなり、他人のために考えることができるようになりました。

 法を初めて学ぶとき、私はいつも一つの疑問を抱いていました。人々の病気を治し、健康を促進し、人々の道徳を向上させるこんなに貴重で、こんなに素晴らしい大法なのに、なぜ邪党は迫害するのでしょうか? 9月末になって、お姉さんの助けの下、私は明慧ネットを開くことができ、師父のさらに多くの経文を読むことができました。

 師父は『精進要旨』の「誰のために修めるのか」のなかで、「実は、人類社会には古から現在まで、相生相克という理が存在しているため、良いものがあれば悪いものがあり、正のものがあれば邪なものがあり、善のものがあれば悪のものがあって、人間がいれば鬼がいて、佛がいれば魔がいます」と説かれました。

 私は理解できました。佛は人類を救おうとしていますが、魔は人類を破壊しようとします。この比類のない迫害は、魔が中共を利用して起こしたものです。中共は嘘をついて世間を欺き、『天安門焼身自殺』などの偽の出来事をでっち上げ、真実を知らない民衆に法輪功を憎むように扇動し、師父や大法弟子を冤罪に陥れました。しかし、大法の素晴らしさは中共の中傷や迫害によってその広めが止まることなく、それどころか、法輪功は世界の100以上の国や地域に伝わり、ますます多くの人々に尊敬され、多くの人々が修煉をはじめています。

 真実を知った私は、さらに不動のように堅い心で法輪功を修煉し、心の中で誓いました。師父の言葉だけを聞き、師父の按排された道のみを歩み、修煉中に得られるすべての功能を、大法を破壊しようとする邪悪を根絶するために使います!

 晩年に法を得たので、時間が迫っています。1年以上の間、私はきちんと手書きで『轉法輪』を3回、そして『洪吟』、『精進要旨』を1回書き写しました。今は『轉法輪』を暗記し始め、毎日大法の書籍を読み、煉功を怠りません。

 業を滅し 関を乗り越える

 実際の修煉は、繭を剥がして糸を紡いでいくかのように困難が伴います。何億年もの間に骨身に染み付いた人間の様々な観念が、私を何度も妨げました。後で後悔することもありましたが、これはなくてはならないことでした。修煉するなかで体験すべきものでした。以下は私が関門を乗り越える時のいくつかの例です。一回で乗り越えたこともあれば、何回も繰り返すことでやっと乗り越えたこともあります。

 法を得て間もないある日、私は突然腰が痛くなり、まっすぐに伸ばすことができませんでした。腰掛けに手をかけて歩くしかありませんでした。これはいいことだと分かっていました。動くことができなかったので、ベッドに横になって師父の説法録音や明慧ネットの中国法会の交流文章の録音を聞きました。2日後には腰がまっすぐになり、7日後には腰痛が完全に消え、普通にしゃがんだり、脚を組んで、煉功したりすることができるようになりました! 以前は10年以上、第4腰椎が前方に2度すべり、第4、5腰椎の椎間板が突出していた病気で、よく腰や尻、右脚が痛み、歩くのが困難でしたが、その後再発することはありませんでした。師父がこの業力を根本的に消してくださったのです。

 一度、バスに乗っていたとき、運転手が急ブレーキを踏んだ時、私は手すりをつかんでいなかったため、バスの後ろから中央に激しく転んでひっくり返りました。その時、私はひとつの思いが頭をよぎりました。師父が私の業力を消してくださっている、私は絶対に大丈夫だ、と考えました。しかし、私は自分では立ち上がることができず、体中が痛みました。運転手がバスを止め、私を座席に連れて行ってから再び運転を始めました。私は左手の親指の側面の皮膚が剥脱し、あっという間に腫れて、紫色になっていました。私は痛みを我慢し、目を閉じて「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と黙々と唱えました。慈悲深くて偉大な師父は、法を得たばかりの弟子が勇猛邁進するように、私に心性を向上させる機会を与えてくださったのだろうと思いました。目的地に到着し、バスを降りた後、いつものように軽快に動けるようになりました。

 初めて電動バイクに乗り、下り坂で曲がろうとした時、私は顔を下に向けて地面に激しく転んでひっくり返りました。上唇が切り裂かれ、2本の前歯が痛みましたが落ちませんでした。全身が痛み、私はこれが借りを返し、業を滅し、心性を向上する機会だと知っていました。この種の痛みが心に刺さない限り、何も意味がありません。私は立ち上がれなかったのですが、通りすがりの親切な人が私を助け起こしてくれました。「家に帰って休んでください。」と言ってくれました。その人は私が仕事に行く途中だと思ったようです。私がその人に感謝してから、腕と脚を動かしてみたら、何の問題もなかったのです。心のなかで、自分は超常的な人なのだ、何の問題もないのだ、と思いました。マスクをつけ、電動バイクに乗り、すべての用事を済ませました。家に帰ってみると、顔には土が積もり、唇は腫れて大きくなり、顔が変形していました。私は顔を水で洗い、それほど大したことではないと思いました。やるべきことをやり、十数日後には完全に良くなりました。

 去年の5月のある日、突然寒気がして咳が出始め、首がかゆくなりました。3日後、全身が痛くなり、特に関節が腫れて苦しくなりました。声がかすれ、ベッドで寝返りを打ち、どこもかしこも辛かったのです。しかし、これはとても良いことだと考えました。早く借りを返し、業を滅することを私は望んでいたのではないでしょうか? しかも師父は、次元を向上する時に遭遇した魔難は当然ながらより大きなことだとおっしゃったのです。そのため、私はそれを病気として扱わず、大きな試練として受け入れました。ゼリー状のものを咳き出した時、それは私の生命の最も本源の微粒子から徹底的に業を消し去る過程が始まったと考え、とても喜びました! 私は甲状腺がん部分の業力の密度が最も高いと思い、師父が弟子のためにそれを完全に消し去ってくださったと思いました。徐々に、私は声がかすれることもなくなり、咳も止まり、5日後には何もなくなり、身体が軽くなりました。

 一度、料理をしている時、料理ナイフを取り出そうとしたら、中指が偶然にも刃物に当たり、指の爪と一緒に切れました。その痛みは心に突き刺さりました。心を刺すようなものでない限り、効果がありません。鮮血が止まりませんでした。幸いなことに、私の脳裏にはすぐに、これは良いことだ、師父の法身が私の一人での修煉の難しさを見出し、このような方法で私の身体が苦しむようにさせ、私を悟らせ、心性を向上させようとしているのだ、と言葉が浮かんできました。私は毎日絆創膏を貼り換え、傷口を合わせていました。1カ月以上経つと、傷口は完全になおり、傷跡もなく、どこが切れたのかわからなくなりました。

 心性の向上

 一度、私が故郷に戻ったとき、数年前に発生した3000元の不合理な管理費のことに直面しました。管理会社の管理水準が高い基準に達していないのに、高い基準で料金を請求していました。後で管理費基準が引き下げられましたが、それでも追加料金を請求されました。そのため、多くの居住者は支払いませんでした。私は支払うべきかどうか迷いました。『轉法輪』を学ぶ際に「失わないものは得られず」という部分を学んだとき、私は大いに悟りました。失ったものは財産ではなく業力なのです! そして、私は喜んで追加料金を支払いました。

 一度、突然1万5000元の現金をなくし、とても悲しくなりました。それは私の数カ月分の給料だったからです。誰が盗んだかはわかっていましたが、証拠がありませんでした。どうすれば失ったものを取り戻せるのでしょうか? その日、『轉法輪』を学ぶときに「失と徳」という節をちょうど学んでいました。これは私に常人のなかでの利益を追及する心を放棄し、心性を高める機会を提供しているのではないかと思いました。これらのものをしっかりと掴むことは、自分を拘束している縄をつかむことに等しいので、早くそれを断ち切らなければなりません。同時にこのような心性を向上させる機会を提供してくれた人に感謝しなければなりません。数日後、ついにすんなりこのことを受け入れました。

 買い物をするとき、いつも安くて質の良いものを買いたいと思い、値切り交渉をしたり、比較を繰り返したりします。これは少ないお金で多くを得ようということではないでしょうか。常人のなかの利益を得たい、これほど重い名利心を持つことは徳を失うことになります。私は法を得たのが遅く、年を取っていますので、時間を大切にして着実に修煉しなければ、この万古の機会を逃すことになり、それこそ悔しいことでしょう。ついに悟りました。ひとりの大法弟子として、師父から要求された三つのことをしっかり行うことこそ、最も重要であり、他のことに心を奪われるべきではありません。

 離婚したばかりの従妹が、私にしばらく彼女と一緒に住むように頼んできました。従妹は不平を言い、怒りでいっぱいでした。ときには訴訟を起こしたいと言ったり、ときには私の携帯電話を使って人を罵ったりしていました。彼女は錯乱状態になったり、いらいらしたりしていて、目の黒クマはパンダを浮かばせてくれました。私は田舎から肉や卵、野菜などを買ってきて、彼女の好きな料理を毎日作ってあげ、食器を洗い、家を片付けることなど、一切を気にせずに自分一人でやりました。時々、従妹が食べ残したおかずを捨てようとすると、私は「無駄にしないでね、私が後で食べる」と言いました。私は『憶師恩』の中のストーリーを彼女に伝えました。師父は法を伝える間に、弟子の残り物を召し上がり、カビの生えた蒸しパンや、白菜の外側やや厚くて硬い部分を召し上がり、碗には一粒の米も残さなかったという話です。偉大なる師父は大法を人々に伝えただけでなく、慎ましやかで清潔な生活様式も人々に残されました。従妹は感動して、「あなたたちの師父は本当にすごいですね!」と言いました。

 時々、従妹が「姉さん、あなたが私のお手伝いみたいにやってくれると、私は気まずくなります」と言います。私は「大法を学んだからこそ、このようにできているのよ」と答えました。時々、従妹は私が作った料理がまずいとか、私が片付けた部屋が汚いとか言います。私は思わず怒りが湧き上がって来て、「もし誰かが私にこんなに優しくしてくれたら、私は文句を言わないよ」と彼女に言い返します。後で私は考えました、従妹は常人で、私が常人と争うことになってしまったのか? 私は従妹を助けに来たのだから、きちんと彼女を助けなければならない。重要なのは彼女の考え方を変えることである。私は大法の法理で辛抱強く彼女を導き、すべてには因縁関係があると伝えました。従妹に大法の書籍を読んであげたりもしました。徐々に従妹も自分で読むようになり、いくつかの法理を理解しました。例えば、常に他人のために考え、相手の立場から問題を考えること、自分のことばかり考えてはいけないなどなど。数日後、従妹は静かになり、元の夫を罵ったり、訴訟を起こしたり、娘を憎むなどの考えを捨てました。

 2週間も経たないうちに、従妹はまるで別人のようになり、睡眠が良くなり、日常生活が正常になりました。従妹は何度も感動して、「姉さん、姉さんは本当に大法の師父が私を救うために送って来た人ですね! 大法の師父に感謝します!」と言いました。

 嫉妬心は非常に隠れていて、消し去るのは難しいのです。たとえば、ある人が別荘や高級車を買ったとか、ある人の子供が工場を経営してどれだけお金を稼げるか、どんな良い生活を送っているか、誰々の子供が海外で良い勤務先に務めているなどを聞くと、私はいつも「何がそんなにすごいのか」、あるいは「彼はなぜ私より優れているのか」という考えが浮かんで来て、内心では相手よりも自分の方が優れているところを見つけ出し、心理的なバランスを取ろうとすることがあります。師父は『轉法輪』のなかで嫉妬心について、一節の長さを利用して説かれており、嫉妬心は絶対修めなければならない執着心です。学法を通じて、私はついに気づきました。私は修煉者であるので、常人のなかの楽しみや富貴を求める必要がありません。それはただ常人にそれを見せびらかすため、それとも自分自身が心地よく座禅をするためなのです。しかも、人生の貧困や富貴は輪廻する中で持ってくるものであり、富貴は努力して手に入れるものではありません。それは徳をもって取り替えるものです。もしこの徳を修煉に使えば、どれほどの功に演化されるでしょうか。それが一時的な享楽に使われてしまうのは本当にもったいないです! 生活のなかで、少し苦労することは良いことです。

 もちろん、修煉は非常に難しいのです。私はまだ始めたばかりなので、どれほどの困難や試練が待ちがまえているのかわかりません。しかし、どんなに難しくても、どんなに苦しくても、私はすべてを平然と乗り越えていくつもりです。

 衆生を救い済度する

 学法を通じて、私は正念の威力と重要性を知り、全世界で統一された時間に正念を発することを始めました。はっきりと感じましたが、学法がしっかりできていて、精進しているとき、正念の威力が非常に強くなり、地球を貫通し、三界を超えて宇宙の大窮に向かって行き、邪悪を瞬時に全滅させます。しかし、学法を怠けていると、その威力が非常に小さくなります。明慧ネットで、わが市や近隣の県や市で強制連行されたり、強制収容所に送られ、刑務所に送られた同修の記事を見ると、とても悲しくなります。私は地元の同修と出会ったことがありません。彼らが邪悪な迫害から早く解放されるように正念を送ることしかできません。

 広東省にいたとき、江沢民が亡くなったことを聞きました。明慧ネットに江沢民に関する真相資料があることに気づき、お姉さんに印刷してくれるよう頼みました。新聞形式だと思っていましたが、実際にはパンフレットで、『金種子』、『天賜洪福』、『絶処逢生』などがあり、非常に美しく作られていました。お姉さんは私に自分で配布方法を考えるように言いました。私は明慧ネットに掲載された同修たちの書いた交流記事を参考にして、密封袋に入れて、軽く巻いて、美しい表紙を外に向けて、車のハンドルや電動自転車のバスケットに入れ、入れるアパートの場合、封筒に入れ、ドアノブにテープで貼り付けました。もちろん、すべての家や車に配布するのではなく、師父にご縁のある人にだけ発送したいとお願いしました。そのため、一つの建物に二十数部、一つの駐車場に十数部だけ配布しました。すべての同修が経験したように、資料を配布するときは常に集中し、配布が終わった時になって、やっとどうやって家に帰るかを考えます。その時に目を見上げると、馴染みのある目印の建物が見え、家に帰る道が分かります。

 一度、雨上がりの夕方、お姉さんは私ともうひとりの同修をつれて、公園の側にある邪悪な展示板を除去しに行きました。展示板は7枚ありました。私がスプレーした後、みんなで真相資料を貼り付けることにしました。私がステッカーのシールを剥がしているとき、同修が言いました。「急いで、人が来る!」お姉さんとその同修はすぐに立ち去りました。私は心を動じることなく、その時一つの念が頭をよぎりました。「たとえ人が来ても、私はシールを剥がしてしっかり貼ってから離れる」と。結果として、私が貼り終えた後、周囲を見回すと、誰もいませんでした。私は思いました。さっきの一念は、よく修められた一面から自然に発せられたものだったのでしょう。

 一度、タクシーに乗っているとき、私は運転手に大法の真実を伝えました。運転手は年越しに氏寺で拝む際、テーブルの上に「法輪大法は正法である」という大きな文字の書かれた標語があるのを見つけ、誰もそれに触れなかったと言いました。彼が祖先を拝んだ後もその場にいたといいます。私は精進する同修に感心しました。

 友人や親戚に大法の真実を語る際、私は自分自身を例に挙げ、現代医学や科学では説明できない事実を説明します。甲状腺がんの手術を受けた人が7年間服用していた甲状腺ホルモン剤を止めても問題なく健康であるという事実です。また、明慧ネットからいくつかの修煉体験の記事を印刷して友人や親戚に送り、真相の書かれた紙幣を利用しています。一度、スーパーマーケットで買い物をしていると、真相の書かれた紙幣に「覚えておいてください。真・善・忍は素晴らしい。法輪大法は素晴らしい。危機が訪れたとき、命を守ることができる」と印刷されているのを目にし、これも法を実証する方法の一つだと悟りました。それから、私は紙幣に真相を手書きして使用しています。

 私は師父の弟子であり、法を得るのが遅いのです。精進する同修と比べると大きな差があります。そのため、私はさらに勇猛精進し、法を正す進展に追いつくようにしたいと思います。今は真相を直接伝えられなくても、徐々に伝えられるよう努力します。偉大な師父の慈悲なる苦度に背かないように、三つのことをしっかり行うように致します。

 (編集担当者:文謙)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/11/470573.html)
 
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