文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年5月27日】(前文に続く)
「これで、僕とお母さんは学友(同修)になったね!」
1998年に私が法輪功を学び始めて家で師父の説法録音を聞く時は、まだ幼かった息子も一緒に聞いていました。迫害が始まってから、真相資料をポスティングするために家を出る時は、息子も一緒に連れて行きました。長い道のりで疲れた息子は、道端で休みながら、私が戻るのを待っていました。息子はいつも静かで、まるで私が行っていることの重要さを理解しているかのようでした。
夫と義理の両親は、私の修煉と真相を伝える活動を理解していませんでしたが、息子はいつも私の味方になって支えてくれました。
彼の成績からすると、大学に進学できたのは実に家族全員にとっては予想外でした。息子自身も何か「不思議な力」が彼を助けていると思っていました。ことに遭うと心を修めることを忘れず、時には私よりも心性を守ることができたのですが、息子はまだ中途半端な立場にいて、正真正銘の大法弟子になっていないことに、私は残念に思っていました。
息子は就職して4年目に、その外資系企業のマーケティング職でこれ以上能力を伸ばすことが難しいと判断して、知人の紹介でもう一つの外資系大手企業のデザイナー職に転職しました。息子は以前からその企業を希望していましたが、二流大学しか出ていないため門前払いされていました。今回の転職が成功したのは、デザイナー職の前任者が辞めてポジションが空いたからです。その企業でデザインの業務は将来、大きく成長できると見込まれていました。
息子はデザインの業務に関しては初心者で、学ぶしかありませんでした。それは一朝一夕には身につくものではありませんでしたが、特に英語が大きな障壁でした。上司は息子を配慮して、通常は英語で行われる朝のミーティングを中国語で行いました。息子は恥ずかしさを感じつつも、英語力を向上させようと努力し、毎日英語の勉強に励みました。ある日の夜、先生が黒板の前で彼に英語を教えている夢を見ました。夢の中のその先生は、李洪志師父であることが分かりました。翌日のミーティングで、上司は息子に英語で話すように促したので、息子は立ち上がり、スムーズに英語で自分の見解を述べたので皆が驚きました。電話で息子は嬉しそうに言いました。「お母さん、大法の師父が助けてくれたんだよ!」
息子はデザイナーを目指してこの会社に入りましたが、ずっと雑用で忙しくて、コア部分のスキルを学ぶ機会がないと感じ社会人になって5年目に、息子はまたアジア系会社の開発部門に転職しました。息子がいるチームは非常に重要で、会社からはそのチームに専門の指導員をつけて技術を教えており、息子も熱心に学びました。遅くまでの残業や、下宿に帰ってからも深夜まで仕事するのも日常茶飯事でした。
ある日、新しい商品開発にあたり、チームメンバー全員が設計案を提出する必要がありました。専門知識が乏しい中、息子はずっと「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を心の支えにし、困った時には師父に助けを求めることを忘れませんでした。息子は二つの設計案を考え、中の一つが全員から高い評価を受けました。同僚たちは「すごい、あなたはどこの大学の出身ですか?」と聞いて、息子の出身大学を知ると、「そんな学校は聞いたことがない」と驚き、「どうやってこんな素晴らしい設計を思いついたの、インスピレーションはどこから?」と尋ねたので、息子は「宇宙からのインスピレーションです」と答えました。商品化するとユーザーから高い評価を受け、売り上げも好調で、会社からは高額の歩合を息子に支払いました。
コロナによる3年間のロックダウン期間に、息子のいる都市は大打撃を受け、外資系企業は次々と撤退し、息子にも海外移住の考えが芽生えました。
中国共産党のゼロコロナ政策を批判する「白紙運動」が各地で広がり、息子が地下鉄で当局の厳酷な取締り手段を目撃しました。その日、突然多くの私服警官が車両に乗り込んできて、乗客全員に「動かないで、携帯を出して画面を見せろ」と命じて、携帯にネット封鎖突破アプリが見つかったら、即座に連行しました。また、空港で出国審査の職員が旅客に「何のために海外へ行くのか」と質問して、少しでもためらうと、その場でパスポートを切られたのを息子の外国人同僚が出国の際に目撃していました。異議を申し出ると職員は「これは上からの指示だ」と言うのです。
国内の厳しい状況を目の当たりにした息子は、海外留学を強く望むようになりました。
しかし、海外へ行くのは簡単ではありません。何度かIELTSを受けましたが、毎回受けても点数が足りませんでした。しかし、息子の日頃の人柄、素行と業務能力が彼を助けました。以前勤めた二つの会社で、辞める際に社長や上司は極力息子を引き留めようしてくれ、留学のことを聞いたら、二人の社長とも推薦状を書いて保証人になってくれました。そのおかげで、IELTS点数が高くなくても、息子はヨーロッパのある大学に受け入れられました。
今、ビザ審査は非常に厳しいのです。私は息子に「お金を稼ぐだけならうまくいかないかもしれないけど、もし大法への帰還を目指すためなら、時が来ると、望みどおりになる」と言いました。ビザ申請の日、審査官は息子が選んだ専攻が人気高い専攻だと見てとても喜び、息子と長く会話して、提出した資料をほとんど見ずにスムーズにビザを許可しました。
家族は皆、大変喜びました。しかし、息子の旅はこれからが本当の始まりです。長い間私は「本を読もう」と励ましてきましたが、息子はずっと大法の本を読んでいませんでした。しかし、息子はいつも真・善・忍の原則に従って行動しており、慈悲深い師父もずっと息子を見守ってくださっていたのです。
師父は、困難に直面した時は自分自身を見つめ直すようにと教えてくださいました。
私は、自分が「私心」を持っていないかと内に向けて探してみました。「息子だから私はこんなにも心を配っているのか、それとも大法の立場に立ってすべての中国人に対して責任を感じているのか」、そう考えると、涙がこぼれました。私は、この世に生まれた時に「息子を呼び覚まして、一緒に天界に戻る!」という約束をしたような気がしました。
海外に行って間もなくして、息子はビデオ通話で「今、僕とお母さんは学友(同修)になったんだよ!」と嬉しそうに話しました。息子がこれほど幸せそうに笑うのを見たのは初めてでした。
実は、神韻芸術団が彼のいる都市に来たのです。神韻公演が行われると知った時、「人生が変わる出来事が起こる」と息子は感じていたのです。公演当日、男性客はスーツを、女性客はイブニングドレスを着ており、劇場全体に高貴かつ神聖な雰囲気が溢れているのを見て、息子は感動したのでした。これは、人々が神韻芸術団の公演をどれほど待ち望んでいたかを示しているからです。
一回公演を観てから、「母のために、そして、母の分を代わりに観る」と思った息子は、二回目も観たと言いました。劇場現場のスタッフ(同修)から、声をかけられたとき息子は、「我が家にも修煉者がいます」と言ったのでした。
修煉を離れたかつての子供弟子は、異国の地で再び修煉の縁を繋いだのです!
この文章を書きながら、涙が止まりません。縁ある人を決して諦めず、ご加護してくださった師父に感謝申し上げます。
(完)
(明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)