刑務所で拷問を受けた仲偉玲さん 解放された後、自立生活できず
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 【明慧日本2024年6月13日】江蘇省連雲港市の法輪功学習者・仲偉玲さんは2022年4月15日、10カ月間の不当な懲役を終えて自宅に戻った。しかし、10カ月間の暴力と薬物による迫害で、仲さんの体は骨と皮だけになり、一日中めまいがするようになった。今でも自分で身の回りのことができない。

 仲偉玲さん(女性)は1953年12月24日生まれ、今年71歳である。仲さんは定年退職して、江蘇省連雲港市に住んでいる。1998年9月に法輪功を修煉し始めた。真・善・忍の基準に基づき、良い人になることを堅持し続けた。そのために、中国共産党(以下、中共)が法輪功を迫害するなかで、彼女は何度も不当に連行され、拘束されて強制労働収容所に送られ、懲役刑を言い渡された。

 以下は、仲偉玲さんが中共から受けた迫害の実例である。

 1999年12月26日、彼女は北京に陳情に行った。その日に天安門広場派出所で拘束された後、北京の連雲港事務所に連れて行かれた。翌日.地元に着いたが、電車から降りたとたんに、堿廠宿舎まで強制連行され、連雲公安局で尋問を受けた。

 2000年から2001年にかけて、仲さんは洗脳班に何度も不当に拘禁され、洗脳による迫害を受けた。

 2001年5月30日夜、連雲港で「法輪大法はすばらしい」という風船とスローガンが出現したため、連雲区公安局、墟溝派出所、連雲港堿廠公安所の警察官が、13人の法輪功学習者を不当に連行した。仲さんと彼女の夫は自宅で連行され、家宅捜索された。

 2001年6月11日、仲さんは句東労働教養所に送られ、2年間、不当に労働教養を科された。この2年の間に、障がいを持つ高齢の母親は面倒を見てくれる人がおらず亡くなった。さらに次男である高曙光さんは、両親が不当に連行され懲役刑を言い渡されたため、進学できなくなり、生活も困難になり、何年も路頭をさまよった。

 仲さんは句東労働教養所から釈放された後、職場から罰として道路掃除を強要された。一度彼女は書記が乗っていた通勤バスに衝突され数メートルの高さまで跳ね飛ばされた後、タイヤの下じきとなった。頭に大きな傷口が開き、血が地面一面に流れた。しかし、沈国斌書記は救助を阻止し、誰も賠償する人はいなかった。

 2019年春、仲偉玲さんは法輪功に関する真相を話したと人に通報された。警察は不当に連行したのち、彼女を家に帰した。

 2020年6月2日、警察は再び仲さんを連行し、2日間不当に取り調べを行い、その間、採血を強要された。連雲区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)のトップである張建功は仲さんを引きずり倒し、膝にけがを負わせた。6月5日、仲さんは家に帰されたが、住居監視(自宅監禁の一種)下に置かれた。2020年9月16日、裁判所は勝手に「保釈」と書き換えた。

 2020年12月14日午後3時、連雲港市海州区裁判所は仲さんに対し不当な裁判を開き、1時間半後に休廷した。

 同裁判所はその後、彼女に懲役10カ月を言い渡した。2021年6月16日、彼女は連雲港市留置場に送られた。2021年12月、「転向していない」という理由で、鎮江女子刑務所(旧・句東労働教養所)に移送された。

 仲さんはこの刑務所で、「転向」することを拒否した。銭という名の女性刑務官に真相を話したが、刑務官はかえって彼女をトラの椅子に縛り付け、彼女が動けないように両側から受刑者に監視させた。 また、彼女をコンクリートの床に寝かせ、頭をトイレに向けさせ、トイレに行く受刑者全員に革靴を履かせ、仲さんの頭を蹴るように命じた。蹴った者には加点し、蹴らなかった者には罰を与えた。さらに彼女の食事に薬を入れたこともあった。銭という刑務官は「数十人もいて、たった一人の仲偉玲をやっつけられないわけはない。思いっきり殴り続けろ」と声を荒げた。その結果、仲さんは朦朧となりめまいがして、パニックになり、記憶を失った。そして失禁するようになった。

 2022年4月15日、仲さんは不当な懲役刑を終えて家に帰った。解放されて約2年経って記憶が戻ったが、今でもまだ自分の身の回りのことができない。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/4/28/475722.html)
 
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