文/台湾の大法弟子
【明慧日本2024年6月23日】私たちは主意識を修めていますが、主意識はしっかりしていなければなりません。私は、主意識は緩めてはいけないことを理解しました。
師父は弟子に「修は己にありて、功は師にあり」(『轉法輪』)の天機を教えてくださいました。私たちの修煉は師父の助けがあってこそ成り立つものであり、その背後にある要素はすべて師父が対処してくださっていることを、私は理解しています。しかし、弟子は何が良いか悪いかを明確に区別しなければなりません。違いをどうやって見分けるのでしょうか? それは、主意識が強い場合にのみ機能することがわかりました。
師父は「それが自分だと認めていないので、それを滅することができました」(『米国西部法会での説法』)と説かれました。
一昨年から、座禅中に入静できないことに悩み始めました。一定の時間が経過すると、一度自分を戒めて意識がはっきりしますが、また入静できない状態が続きます。でも眠っているわけではないので、思想業力も強くないし、まだ大丈夫だと思っています。しかし、時折、同じことが繰り返されると、自分の座禅状態にショックを受けます。ショックを受けた後、私は自分自身の問題を探しました。それは座禅中に主意識を緩めていたかもしれないということです。ここ一年ほど、法を勉強する中で、思想業力を排除し、静寂の境地に入るには、強い主意識を持たなければならないことを、徐々に理解するようになりました。
私が修煉の過程で経験したことをいくつかお話します。私たちが執着を取り除き、正念を発し、座禅し、法に溶け込み、真に深く法を学び、法を理解するときなどは、執着を取り除くための強い主意識が必要になります。
たとえば、ある西洋の同修は一晩中続く、ひどい頭痛に悩まされていました。彼は、多くの執着心に、色心などが含まれていることを理解していたので、頭が痛くなったときに、「色心を無くす、色心を無くす」と心の中で繰り返し念じました。しばらく経つと頭痛が治りました。その後、また頭のあちこちが痛くなり、その度に心の中で「色心を消滅する」と唱え続けたところ、すぐに治りました。それが自分自身ではなく、別の空間のものであることを知っていたからです。取り除かなければならない執着を見つけ、師父がそれを取り除くのを手伝ってくださいました。
いくつかの執着は観念を形成しており、強い主意識によってのみ、この悪い考えを自分から切り離すことができます。そうでなければ、逆に完全に支配されてしまいます。例えば、恐怖心です。この心は自分自身ではないと、ハッキリ認識できるだけの強い主意識を持つ必要があります。そのようにできれば、より冷静に、恐怖心は自分ではないことに気づくのです。また、私自身も「これは自分ではない、これは自分ではない」と言い聞かせます 。この方法は非常にうまく機能し、取り除くことができます。
師父はこのように説いています。「実のところ、人間は先天の純真さ以外、一切の観念はみな、後天的に形成されたもので、自分ではないのです。」(『精進要旨』「誰のために存在するのか」)
もしそれが肉体的な病気であれば、法を深く学び、師父が説かれた法を真に理解すれば、人間の中に形成された病気の観念を取り除くことができます。私は最近この経験をしました。私は『轉法輪』の次の一節を繰り返し暗記しました。「椎間板ヘルニアや、骨増殖症などの病気は、それを取り除いて、あの場を追い払えば、直ちに治ります。」 (『轉法輪』) 暗唱するたび、病気に対する観念を取り除くのに役立ちました。
執着心を取り除く過程では、主意識を強くし、どの執着心を取り除きたいのか明確にする必要があります。そうすると、師父が私たちを助けてくださいます。
執着が繰り返し現れる場合は、より頻繁に正念を発する必要があります。法を正す時期なので、それらの一部は旧勢力によって押しつけられたり、増幅されたりする可能性があるため、正念を発する時、私は併せて師父の「善解」の法の一節を唱えます。「宇宙で法が正される中で、私が法を正すことを妨害しないものに対して、適切な処置を取り、未来の生命になるようにします。善解されたければ、私から離れて、私の周辺で待ってください。もし本当に私から離れる力がなければ、私を妨害するための如何なる作用もしないでください。将来私が圓満成就することができれば、皆さんのことを善解します。」(『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』)。 この法を暗記するれば、いつでも使えます。
特に、色心は非常に広範に及び、そのような行動がなくでも、色心がないわけではなく、観念の中にある場合もあり、感情が強すぎると色心も重くなります。非常に印象的な明慧の記事がありす。その同修は重病で病院に入院しました。見舞いに訪れた同修は天目が開いていて、入院している同修に色心があることを教えました。彼女は見つけました。それは義理の息子をとても気に入っていたのです。しかし当時、彼女はこれも色心であることに気づいていませんでした。
私は『轉法輪』の中の一文を繰り返し暗唱しました。「欲も色もみな人間の執着心で、それらはみな取り除かなければなりません」。 とても短いので、空いている時間に暗唱すればするほど、多くの執着の根源は欲望であると感じるようになります。例えば、おいしいものを食べたいという欲求など、多くの干渉を取り除くことができます。
また最近、同修が傲慢さについてよく話しているので、私は「大法は創世主の智慧です」(『轉法輪』「論語」)という一文を暗唱しました。これで私の独断性や傲慢さの多くを打ち砕くことができます。
最近の私は、座禅中、主意識を取り戻す過程で、主意識と思想業力を区別し、それが出てきたときに否定できるようになり、主意識がより冷静になりました。以前のように、思想業力を自分から切り離しても、また引き戻されるという繰り返しや、ぼんやり「まだ大丈夫、思想業力はあまり多くない」と思う、異常な状態でなくなりました。当初は、実際、思想業力に受動的に左右されているのに、自分では十分できていると勘違いしていました。
今、真に分かることは、ここで煉功しているのは自分自身の主意識であることです。たとえば、家の主人は主意識ですが、来るものはすべて思考業力と外部からの干渉であって、歓迎などせず滅します。昔は、来客(思考業力)を送り出しても送り出しても、また来ます。こんな繰り返しで疲れてしまい、どうやって落ち着くことができますか? !
師父に感謝いたします。
次元が限られていますので、どうぞ慈悲深いご指摘をお願いします。