文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年7月23日】2023年12月、突然咳が出ました。自分の修煉に何か問題があることは分かっていましたが、深く探せず、あまり気にしていませんでした。数日後、咳がひどくなり、吐血するようになり、内臓の痛みもひどくなり、息が詰まりそうなほど咳き込んでしまいました。体に力が入らず、立っていられなくなり、学法も煉功することもできなくなりました。事の重大さを感じつつ、求める気持ちと生死を捨てきれない人心が入り混じり、師父に助けを懇願しました。
一時的に混乱し、脳にあらゆる考えが押し寄せ、「こんな咳をしているのは肺に何か異常があるのではないか?」と考えました。若い頃の仕事は肺に非常に悪影響があり、常人の親戚の1人が咳や吐血により、末期の肺がんと診断されました。これらの考えは私の死への恐怖を強めました。
家族は私が重症だと思い、病院に行くように勧めましたが、私は行かないと言いました。自分の状況を十分に認識しています。大法修煉で延命された命で、大法に対する信念を揺るがしてはなりません。
病院に行くことは考えたこともなかったのですが、さまざまな雑念や人心が波のように湧き上がってきて、生死を手放すことができず、娘への愛情も手放すことができません。家のお金のほとんどは夫の名義になっているため、もし私に何か問題があったら、娘はどうするだろうと心の中で思いました。当時娘の名義でお金を預けるべきだと言いましたが、娘は嫌がり、しかし今はどうすればよいでしょうか? あらゆる人心や感情が私の思考全体を占めました。この期間中、娘は師父の説法を私に読み聞かせてくれました。
師父は「もし今死に直面して、如何なる死の形であっても、死に直面していささかも恐れることなく、全く気にせず、『死ねば天国に行くことになるかもしれない』と思えば、死ということは本当になくなるのです。肝心なのは人の心です。大法の修煉は人心を真っ直ぐに指し、修煉は即ち人の心を修めることです。あなたの心が変わらなければ、他の現れはみな偽りであり、形式は偽りのものです」と説かれました。(『ヨーロッパ法会での説法』)
どうすればよいのか突然分かるようになりました。「執着を見つけ、旧勢力の迫害を否定する。発正念をし、外来の妨害を取り除き生死を放下し、生死の関を必ず乗り越える。前進するのみ」で、後退してはならないのです。本当に人心を手放すと、死ぬのも生きるのも、気になることがなくなります。私の命は師父によって延命され、自分の全てを師父に託します。
娘に関しては、誰もがそれぞれの運命を持っており、娘は大法を修煉しており、師父が娘を見てくださいます。私の心配はただ執着を増大させるだけであり、法の要求からますます遠ざかり、逆に旧勢力に私を迫害する機会を与えました。
近年、旧勢力の迫害により、同修の離世が頻繫に発生しています。私たちはいつも、旧勢力の按排を否定すると言いますが、どうやって否定するのでしょうか? 如何に否定するのでしょうか? 何によって否定するのか? これほど多くの人心が存在するのに、どうして否定できるでしょうか? 正念正行するのみ、旧勢力のやりたいことを否定することができます。私たちは師父の弟子であり、旧勢力に左右されてはいけません。
私は脳に浮かぶすべての悪い考えを、旧勢力の罠として排除し、もはやそれらに引っかかることはなく、拒絶し、否定します。孫悟空のような鋭い目でそれを見抜き、はっきりと認識し、最後には滅します。
私は病業の現れ方にもう執着しません。それがどのように現れるかは、私と何の関係もありません。私は心を決め、自分の修煉上の問題を探し始めました。探さなければ分からず、びっくりするほど多くあります。自分は真に修煉しておらず、法の要求からあまりにもかけ離れています。名声、利益、感情をどれも放下せず、一般の人と混同しています。問題に遭遇したとき、修煉者の基準に厳密に従わず、内に向け探すのではなく、物事の表面にとどまって他人の非を探し、修煉者が持つべき寛容、優しさ、慈悲はないのです。外で真実(法輪功への迫害の実態)を語り、それを理解できず、あれこれ言う人に遭遇するとき、衆生への慈悲の観点からもっと真実を伝えようとせず、とにかく言うべきことを言った、退かなければそれはあなた自身の問題であると心の中で思いました。慈悲どころか、基本的な優しさすらありません。
自分にはこんなに多くの執着があることがわかりました。修煉は本当に内側から来る根本的な変化であり、そうでなければすべて偽物です。本質に固執して表面だけを修めると、他人や自分自身を欺くことになり、最終的にはこの千古の機会を無駄にすることになります。
この難によって、私は自分の修煉に向き合い、自分の不足を発見し、それを取り除き、修煉の道をより良く進むことができました。
私が自分自身を正し続けるにつれて、病業の虚像も消えていきました。このようにして、私は師父の慈悲と保護を受け、この試練を乗り越えました。危なかったのですが、大事には至らなかったものの、損失が大きかったのです。娘と20日ほど、真実を語りに行けず、人を救えなかったのです。
私は法を正す時期の大法弟子であり、衆生を救い済度する責任を負っています。これからは私自身をしっかりと修め、使命を果たし、師父の慈悲深い救いに応えなければなりません。