迫害または度重なる迫害を受ける理由について(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年8月13日】(前文に続く)

 協調人が迫害されるケースもあります。私の周りで協調人が迫害されることが多く発生して、中には法を乱すことが原因だったケースもあります。地元の協調人のFさんは、迫害される前に既に様々な法を乱すことをしていました。例えば、自分が悟ったことを紙切れに書いて各学法グループに配ることが頻繁にありました。私のところに来た紙切れを見ると、Fさん個人の見解にすぎず、正しいか間違っているかも分からないので、配るべきではないと思いました。

 そのため、紙切れを渡してきた人にいつも「私は受け取らない、本人に返してください。これは師父の教えに沿っていない、法を乱す行為だ」と説明しました。記憶の中ではそのようなことは1、2週間おきに一度あり、私はその都度紙を返し、「こんな紙を配るのは駄目だ」と伝え、理由も伝えています。しかしその行為は止むことなく、今回はこの件を知らせる、次回はあの件を通知するというように、内容が変わったりしてずっと配られていました。幸いにも、私は『轉法輪』の多くの内容を暗記しているので、事がある時に師父の教えを思い出し、不正なことを拒むことができました。しかし、協調人のFさんは他の学法グループとの連絡も多く、多くのグループはFさんが書いたものを受け入れていると思います。

 Fさんがやっているのは法を乱す行為であり、紙切れを受け取った人たちは受動的に法を乱すことに関与して、不本意に混乱を広げてしまいました。その後、Fさんは勝手に『轉法輪』と経文の「誤字修正リスト」を作成して皆に知らせました(明慧ネットによるものではなく、Fさんが勝手に作ったもの)。私はFさんと交流を試みましたが、効果はありませんでした。また、Fさんは基準に合わない電子書籍などを多く流布しました。その結果、Fさんは真相を伝える際に告発され、不当に7年間の刑に処されました。「Fさんが大法の仕事そのものに執着していたために迫害を招いた」と思う同修もいますが、「そうではなく、法を乱したのが迫害を招いた原因だ」と私は心を痛めながら話しました。

 修煉において、真相を伝えることも、大法の仕事を行うことも正しいことで、一生懸命にやるのは迫害の理由になりません。そのような重い判決になるのは、法を乱す行為の罪が非常に重く、邪悪は当事者の漏れと業力に付け込んでおり、迫害の理由が見つかったからです。自分の問題がどこにあるかを分からなければ、迫害を否定することも難しいでしょう。

 Fさんの問題に関して、ここで『精進要旨』「永遠に覚える」の中の言葉を引用します。「今後、誰であろうとも、いかなる大法の各地の責任者や弟子の語った話であろうとも、録音、録画をしてはいけません。文字に整理したり伝えて読むことは、なおさらしてはいけません。これは誰それといった個人の問題ではなく、誰かを指摘しているわけでもなく、大法を修正しているのです。大法の学習者が法を学ぶ交流会、ならびに各地の輔導站が大法研究会の承認を得て行なった活動以外、大法の中で流布している、いかなる大法のものでないものもみな大法を破壊するもので、このことを覚えておいてください!」

 地元の同修のGさんは目の不自由な同修のHさんに同情し、2007年に発表された「オーストラリアの学習者に対して法を説く」というビデオをMP3に変換し、また明慧ネットの文章をソフトを使って音声化して聞かせています。その後、どうやら学習者内部の詐欺による資金集めにも巻き込まれたようです。とうとう当局に逮捕され1年間拘束されました。釈放後、私はGさんと交流して、勝手に師父の説法ビデオをMP3に変換することや明慧文章を勝手に音声化することが迫害の原因だと話しましたが、最初はGさんは信じていませんでした。話し合いを重ねるうちに徐々に理解し、法を乱したと認め、明慧ネットに「厳正声明」を出すと約束しました。釈放されてから両足を組むことがずっとできませんが、約束した翌日、両足を30分も組めるようになり、今度こそGさんは、「自分が過去に行ったのはやはり法を乱した行為だと心から認めます」と言いました。

 地元に男性修煉者のIさんがいます。Iさんは非常にひどい迫害を受け、地元では大きな影響を引き起こしました。その後、Iさんは他の地域に行きましたが、自分の問題は何なのかをずっと理解していませんでした。それは彼にとって解決できない問題となりました。明慧ネットから彼が再び迫害される情報を目にしましたが、助けの手を差し伸べることができません。ここでこの文章を借りてIさんと間接的にコミュニケーションを取りたいと思います。Iさんが迫害される理由は、講演して法を乱したからだと思います。

 かつて、真相電話のプロジェクトをしていた時、上手くいったため自己満足に陥り、Iさんはあちこちに行って講演をして自分の経験を広めようとしました。真相電話の経験を同修に紹介するのは間違っていませんが、法を乱す形を取ったのは間違いでした。彼の講演を聞いたり参加したりした人は、自分の過ちを認識しなければなりませんし、講演を行う当人はなおさら、自分の問題を認識する必要があります。そうしないと、どこに逃げても安全ではありません。

 Iさんが逮捕される前、私は彼に関する夢を見ました。夢の中で彼は高くて真っ黒な石炭の山の前に立っていて、山は猛烈に燃えていました。その時は夢の意味が分かりませんでしたが、後になって、法を乱すことで生じた業は山のように積み重なり、危険が彼に迫っていると分かりました。

 具体的な例を挙げるのはここまでにしたいと思います。とても多くて、どれも大きな教訓であり、どれも迫害された修煉者が嘗めた苦しみが染み込んでいます。

 長期間拘束された修煉者に詳しく聞くと、多くの場合、法を乱すことを行った経験があります。法を乱すことは様々な形で現れていますが、本質は、師父が行っている法を正すことを妨げ、修煉者の修煉を妨げ、衆生を救い済度することを妨げ、修煉の原則に反しています。もし修煉者に大きな問題がなければ、邪悪は迫害する勇気がありません。これは、私が現在のレベルで見たことです。

 旧勢力が按排した迫害は無秩序なものではなく、非常に順序よく行っています。理由もなく迫害されることがあり得ますか。長期間にわたる迫害の背後には、旧勢力が何かしらの弱点をつかんでいるのです。迫害の原因を明らかにし、旧勢力に隙を与えないようにしなければなりません。正確に原因を特定できなければ、強い恐怖を感じるようになり、修煉や今後の「三つのこと」を正常に遂行することに影響を及ぼします。

 次に、比較的軽い嫌がらせや迫害について話しましょう。これらは基本的に人心が引き寄せるものです。大きな原則的な過ちがない場合、人心を狙って施されたこれらの嫌がらせや迫害は、実際は旧勢力が恐れる心を利用して修煉者を脅かすものです。心を正しく持てば、旧勢力は近寄ってこなくなります。

 また、顕示心や怨む心が迫害を引き寄せる場合もありますが、これら外来の迫害はそれほどひどくなく、通常、旧勢力は大胆な迫害を敢えてしません。警察がドアをノックしたり電話をかけたり、数日間の拘留に留まることが多いのです。旧勢力は修煉者の執着心が強くなったのを見て、短期間の拘留をしたりしますが、実質的な迫害に踏み込めません。このような例は数え切れないほどあります。

 もう一つは病の形で迫害を実施することです。私が接触した修煉者の中には、もともとの寿命が尽きた人もいれば、無意識に迫害を認めてしまった人もおり、肝心な一瞬に心を正しく持てない人もいれば、怨む心が強い人もいて、様々な理由があります。また、法を乱すことを行った人もいます。修煉初期のことでさえ、旧勢力は記録しています。そのため、内に向けて探す時にこれら過去の問題も思い出して、不足を認識する必要があります。

 さらに、さまざまな非典型的な迫害もあり、悪質でありながら気付きにくいものです。例えば、家庭内暴力に長年苦しんでいる修煉者がおり、大怪我をしているにもかかわらず、周囲の同修は耐え忍ぶよう助言していますが、これは実際に加害を助長しているとも言えます。他にも様々な形の迫害があり、区別するのは難しいですが、破壊力が非常に強く、多くの修煉者がそれで足を引っ張られています。迫害の原因を突き止めないなら、文章に書いたり意見を述べたりすることを控えたほうがいいと思います。

 師父は『精進要旨二』「妨害を排除せよ」に「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」と教えておられます。

 自分の間違いを認識するには、大法の基準に照らすしかないと思います。長期間迫害されていた同修には、釈放されてから『精進要旨』と『精進要旨二』を暗記することを勧めます。また、過去数年間に明慧編集部が発表した文章も全て暗記したほうがいいと思います。師父の法で照らすと、悪霊や邪悪な存在は隠れ場所を失います。暗記するうちに、自分のどこが間違っていたかが分かって、迫害の根本原因を見つけ出すことができると思います。

 私は『精進要旨』、『精進要旨二』、明慧編集部の文章を暗記して心に刻みました。法を乱す行為に遭った時、法理に照らし合わせて、どう行動すべきかを法理が教えてくれました。暗記することで師父の言葉がしっかりと心に留まり、重要な時には自然と現れて、自分自身で何かを悟る必要はありません。人間は自分の頭で何を悟れるというのですか。

 以上は私が地元で見た状況にすぎず、全てのところに通用するとは限りません。迫害される本当の原因を探すには、自ら体験し分析する必要があります。この文章を書いたのは、迫害は怖くなく克服できるものであり、自分の不足を見つけて正しい念を持ってこそ、はじめて本当に安全でいられることを皆さんに伝えたいのです。

  (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/29/478121.html)