文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年8月31日】私の義母は6歳の時に母を亡くし、19歳で嫁ぎました。義父の実家には女の子はおらず、男の子が4人もいて、また義父が長男だったため、義父の両親は義母を娘のように甘やかしました。私の義母は非常に有能で、強くて頑固な性格で、物事をズバズバ言う気質があり、伝統的な考えは、党文化の環境の中でほとんど失われていました。
私は伝統文化の家庭に生まれましたが、党文化の影響と洗脳によって深く毒されていました。思考モードは、「愛憎がはっきりしている」「人が自分を侵さなければ、自分も人を侵さない」という闘争哲学一色だったので20年以上も義母との調和が取れませんでした。そのため、お互いに対立することが多く、関係は行き詰まっていました。
中国共産党が広めた嘘とプロパガンダのせいで、義母は聞く耳を持たず、法輪大法の真実を信じませんでした。
私が違法な労働教育を受けている間に、夫と息子はマルチ商法の罠にはまり一家の財産は全てだまし取られ、借金が山積みになっていました。一家がこのような大きな困難に直面しているときも、義母は常に悪党のプロパガンダを信じ、私に対する不当な仕打ちや、労働所での非人道的な状況にはまったく関心がなく、息子の家の窮状にも関心を示しませんでした。当時、70歳近くの義母は、のんびりとウェディングフォトを撮り、「美しい」人生を謳歌していたのでした。
義父母に早く真実を理解してもらうため、費用は私が負担することで、新唐人テレビ衛星受信機の設置を義母と話し合うと同意してくれました。ところが、取り付けて間もなくして、義母は義父に外させました。私は義母がしたことを気にせず、もう一度、同修に再設置するよう頼みました。設置中、義母はずっと機嫌が悪く、同修につらく当たっていました。
同修は義母の態度など気にも留めず、辛抱強く設置と調整をしてくれました。取付後、義母はまた冷たい態度で、はしごを元に戻すよう同修に要求したのですが、幸い同修は心性が高く、こうなることも、義母が真実を知らないので仕方がないとわかっていました。
あるとき、義母から電話があり、家に行ってみたら指輪を紛失したとのことでした。私は着用して外出していない限り、家の中で紛失することはないため、もっとよく探すようにと言いました。
「2人で何度か探したが見つからなかった」と義母が言いました。私は、「心配しないでください。落ち着いたら、家を片付けるとき、見つかるかもしれません」と言い、義母を少し慰めただけで、あまり深く考えずに家に帰りました。その後、義母はタオルケットの中から指輪を見つけました。後から知ったことですが、義母はそのとき、私が指輪を取ったと思っていたようでした。
2014年ころのある朝、私が床を掃除をしていると、義母が家の中でも家の外に出ても罵り続けていました。理由を尋ねると、義母は「お金をなくした」と言いました。どこに置いたのかと尋ねたら「敷き布団に縫い付けていた」と言いました。私は「覚え違いではありませんか? うちには客が来ないので、私たちと子供は、お義母さんのものを取ったりしませんよ。よく探してみたらどうですか? 私は他人からの礼金さえ欲しくないのに、まさかお義母さんのものを取るなんて…」と説明しました。義母はまったく聞く耳を持たず、怒ってこう言いました。私の夫を指しながら「一人ではできないよ、布団を解したとしても、どうやって縫い合わせるのか?」と言いました。要するに、夫が布団を解体し、お金を取った後、私が布団を縫い合わせた、私たち夫婦が一緒になって、義母のお金を盗んだことを意味します。このような全く根拠のない出来事は頻繁に起こりました。
義父の死後、義母が孤独になることを心配し、また面倒を見やすいように、私たちは義母と同居しました。義母は平屋に住んでもらったのですが、脳梗塞の後遺症があり、行動が不便なため、家をリフォームする際、出入りがしやすいように外玄関をあえて手すり付きのスロープにしました。トイレも義母が使いやすいように高いものを選びました。義母の機嫌が悪くなるたびに私を叱りますが、私は気にしていません。義母の理不尽を前にして、涙することはありますが、その後も相変わらず義母に良くしています。義母のために、シニアカーやステッキ、常夜灯などを買い与えました。
義母に真実を理解してもらうため、別のプレーヤーを買い与え、いつでも聴けるように大法の真実と伝統的な物語を予め録音しました。また伝統文化の短編物語を聴くよう説得し、「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」を唱えれば、義母の心身の健康に良いと言いました。そして、義母が病気になると、義母のためにおいしい食事を作り、洗濯をするなど良くしています。私は大法師父の教えを覚え、師父の指導に従い、真善忍を基準に善を行い、義母を大切にし、どこにいても良い人でいるようにしました。
義母は徐々に変わりました。孫が車を買うと言うと、自らお金を足しました。新年には率先して年を越すためのお金をくれました。あるとき、私は法輪功迫害の真実を明かす際に連行されました。そのため、義母は私を心配したため高血圧になったことが一度ありました。このことを知った同修は降圧薬を買い、義母を見舞いに来てくれました。
その時、雑談の中で同修は、真実の物語をもっと聞くことが健康に良いと教えました。すると、義母は「どうしてこの小さなもの(小型プレーヤーのこと)はそんなに凄いのですか? 体調が悪いときは、ただプレーヤーの中の話を聞くだけで、すぐに良くなります。大法は人々に親切であることを教えています。私は言われていることを聞くのが好きで、言っていることはすべて正しいです!」と嬉しそうに言いました。そして義母は「急いで(小型プレーヤーの)電源を入れてください」と同修に頼みました。義母は同修が家に来ると、「また家に遊びにきてくださいね」と親切に誘うのです。
大法の真実と私が義母の世話をすることは、義母の大法に対する見方を変えました。そして、彼女の人生の理念を目覚めさせました。それ以来、義母は真実が書かれたお守りを身につけています。義母は旧正月の前に一度、友達に贈るために真実が載ったカレンダーを私に頼んだこともあります。
義母を知っている近所の人たちは皆、「大法は義母に良い嫁を与えてくれた」と言います。義母も人々に「法輪大法は素晴らしいです!」と言うのです。