文/アメリカの大法弟子
【明慧日本2024年9月22日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
師父は私たちが修煉中の体験と悟りを分かち合うことを通じて、共に受益し、向上するよう励ましてくださいました。師父の教えから得た悟り、特に私が修煉の過程でどのように執着心を取り除き、心性を高めたかを共有したいと思います。
執着心を取り除く過程を重点的に話します。人心をよく修めなければ、私たちは人々を救うことで良い結果を得ることはできません。本気で執着心を取り除くとき、私たちの慈悲心や人々を救いたいという思いは、意図的ではなく、自然に出てくるものだと実感しました。
修煉を始める
私は2004年に法輪大法の修煉を始めてから、自分の心性がいかに真・善・忍から逸脱しているか、また、修煉者であるとはどういうことかを知りました。『轉法輪』を読んで、法輪大法は佛家の修煉体系の一部であり、学校に異なる学年があるように、各次元にはその次元の基準があることを理解しました。修煉者は人心を取り除くことによって自分の道徳的品行を高めることができて、初めてこれらの基準またはより高い次元の法理を理解することができることが分かりました。そして修煉の過程は、修煉そのものに対する理解の過程であることも理解しています。
『轉法輪』と師父の説法を繰り返し読んでいるうちに、師父がそばにいらっしゃることが分かってきました。だから、分からないところを読むたびに、師父がそばにおられるかのように心の中で質問していました。例えば、「どのように向上できるのでしょうか? 執着心をなくすにはどうしたらいいですか? 異空間とはどのようなものですか? 人々を救うとはどういうことですか? 旧勢力とは何ですか? そしてそれらはどのように人々を救うことに影響しますか?」など、たくさんの質問が出てきます。執着心を取り除き、心性を高めて、再び法を学ぶと、答えが自然に浮かんできます。次第に、私は師父が『轉法輪』と各地での説法で語られた多くのことを体験し、理解するようになりました。
私が初めて他の空間のものを見たのは、『轉法輪』を初めて読み終えた後でした。本を読み始めた私は、その内容に衝撃を感じ、自分の心性が師父の説かれた真・善・忍の教えとはかけ離れていることを強く感じました。私は4時間で本の半分を読み、次の日には読み終えました。数日後、夜中に目を覚ますと、私のベッドの6フィートほど前の空中に座って両手で印を結んでいる金色の姿が見えました。とてもはっきり見えましたが、さらによく見ようとすると消えました。
今見たものについて考えていた瞬間、師父が『轉法輪』の中での法身について語られているのが聞こえました。まるで師父がそばにおられ、大声で読み上げてくださるように感じました。その瞬間、私は自分が見ているものが分かり、見ている画像の変換速度の速さを理解しました。私の人心をさらけ出し、それを取り除くように、師父は毎日のように段取りをしてくださるのをはっきり感じました。
執着心を取り除き、人々を救う
執着心を取り除く過程について、師父の法から、衆生が生まれた後、お互いに社会的関係を持つようになると私心が生じて、その次元に居続けることができなくなることを理解しました。私心は業力を生み、さらに借りが出来、それによってさらに次元が落ちます。自分自身を振り返ってみると、業力は思想のある実体で、私の思考の一部になっているのです。そして、このような私心は次第に強くなり、執着を生み、自分の本質を変えていきます。人間としての生命は、借りを返済するために定められたもので、私たちがもっと悪くなれば、破滅に直面することになると理解しています。そこで、法理を学び、その過程で精進し、自分の言動を修めることで、師父は私が普段「良い」と思っている執着心を見つけさせてくださると分かりました。
師父は「どうすればよいのでしょうか? つまりそれを無数の部分に分けて、あなたの修煉の各次元に割り当て、それを利用してあなたの心性を高め、業力を転化させ、功を伸ばすことにするのです」と(『轉法輪』)と説かれました。
これらの借りは師父によって小分けにされ、それを利用して私の執着に触れるような出来事を手配されます。こうして私はその過程を通じてそれらに気づくことができます。心から執着に従わないことを願うことで、私は心身の試練を経験し、借りを返済し、業力を消すことができます。この過程は何度も繰り返し、執着心が取り除かれるまで続き、その過程で私の道徳的な品性が向上し、新たな次元へと昇華し、悟るようになると理解しています。
修煉の過程で、同修との交流を通して、執着心の強さは人によって異なることを理解しました。この教えは、師父が『轉法輪』の中で肉を食べる例を用いて説明されています。例えば、私の場合、家族や友人に対する情の執着を取り除くのに数カ月しかかかりませんでしたが、他の人にとっては、この過程が数年続くこともあります。私は修煉の初期にこの執着に直面しました。法輪大法の真理を理解し始めたとき、私は自然に強い願望を抱き、他の人も修煉できるようにと願いました。なぜなら、それこそ彼らがずっと待ち望んでいたものであり、滅びを免れる道だからです。これが、私が衆生を救うことに対して理解したことです。私は家族や友人への情の執着が現れ始めたのも、彼らが修煉できるように強く望んでいたからです。その当時、私はいつも家族や友人をどうやって修煉させるかを考えていて過度に興奮し、強く執着していました。毎週、友人や家族に会うたびに、どうやって法輪大法について話すかということばかり考えていました。
師父はいつも私たちが自分の執着心を見つけられるように導いてくださいます。それは数カ月後に父が私に言った言葉に現れました。「リチャード、私はこの修煉がとても良いものだとわかっているよ。君がどのように変わったかも見ている。でも、今はまだ私が修煉する時期ではないんだ」この言葉を聞いたとき、私は師父の示唆に気づかず、依然として執着心に駆られ、父が修煉をしたくないなら他の人に集中しようと考えていました。
次の1週間、母と話している時に、母が「リチャード、私はこの修煉が素晴らしいものであることを知っているし、それがどのようにあなたを変えたのかわかる。でも、今は私が修煉する時ではない」と父と全く同じ言葉を言いました。私はすぐに師父が両親を通して、私の執着を指摘してくださったことに気づきました。そこで、私は家族や友人、それに興奮に対する情や思考を認識し始めました。
ある日、私が執着を取り除く過程で、私の耳に師父の教えが響き始めました。師父は転生の過程について次のように説かれました。「また他にも、親戚や友人、教え子や弟子、或いは人と人との恩怨で結ばれた縁で、あなたたちは一つの家族、または一つの集団になることがあります。そして、社会で互いに繋がりを持つ中で、人と人とのトラブルの中で恩怨が報われるようになります」(『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」)。私はすぐに気づきました。たった五千年でもどれほど多くの転生があったのか、ましてや100万年となると尚更です。ある一つの転生はたった10年しかないかもしれず、次の転生は40年、その次は70年といった具合に、それぞれの転生では業力や借りによって役割が変わっています。また、これらの転生には動物や無機物、さらには複数の空間を跨いだ他の惑星でのものも含まれていることを理解しました。
これらを悟った後、家族や友人に対する偏狭な感情がなくなり、私の心はすべての衆生に対して開かれるようになりました。彼らが皆法を得るのを待っているのが見えます。今までの修煉の過程で、私はある感覚を体験しました。例えば、ショッピングモールで通り過ぎる見知らぬ人も、他の世では私の非常に親しい友人や家族だったかもしれません。また、これらの光景は、私が再び家族や友人に執着するかどうかを試すためのものであることも理解しました。
(続く)