師と法を無条件で信じ、敬うことが必要不可欠
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 【明慧日本2023年9月18日】師父は二つの経文を続けて発表され、弟子に法を説かれ「師父はあなたに借りなどありません! 大法は衆生を救いにきたのであって、中にあなたも含まれています! あなたを救っているのに、あなたに借りがあるとでも言うのですか?」『険悪を遠ざけよう』。明慧編集部門も連続して文章を発表しました。弟子として誰一人として、避けて通ることはできません。

 師父は『険悪を遠ざけよう』で「宇宙で法を正すことも末後の時期に入り、この時期が終わったあと、厳しい選別と淘汰の過程があります。しっかりと自覚をもって行なってください!」と説かれました。

 生死の決断を迫られるこの重大な時に、正法時期の大法弟子として、かつて神としての命と引き換えに師父と約束を交わしたのです。創世主への約束を果たすべきであり、自分の天国衆生を救う約束を引き受けなければなりません。

 私たちの為に師父は数え切れないほどの苦労をなさり、私たちを導いて様々な役割を演じさせ、岳飛の「忠」、劉、関、張の「義」、韓信の「義」と「信」、修煉とは何かを教えてくださり、私たちが従うべき文化を作ってくださいました。本日で大法を理解できるよう、救い済度できるよう、同時に私たちに威徳を樹立させ、全ては私たちを救い済度する為です。

 師父の無条件の与えや負担は、どれも師父自身の為のものではありません。弟子として取り除かれてない人心、人念、人情と魔性に操られ、師父に対して不敬、不信、不忠な態度を取ることができるのか? なんと背信的なことか!

 宇宙の最低層である人間の理である「一滴の水の恩に涌き出る泉のような大きさで報いる」を誰もが知っている、まして宇宙の最高特性である真・善・忍を水準とする私たちは言うまでもありません。

 師父が私たちの身体を浄化して下さり、病気がなくなった時、私たちの魔難を肩代わりしてくださり、関門を乗り越えた時、自分あるいは親戚が危機の中で師父に守られた時、私たちが何かを失い、師父がそれを手助けしてくださった時、そんな時だけなのだろうか。言い換えれば、自分が恩恵を受けた時に初めて、自分の感性の中で師父に感謝するのだろうか。

 急いで人心を放下し、葛藤を利用して内に向け探し、しっかり自分を修め、向上させ、急いで自分の神の命と引き換えに交わした約束を果たしてください。そうでなければ誰に顔向けできるのですか。法を得た後の喜び、法理を理解した後の悟り、師父の慈悲深い恩恵、どうしてそれを忘れることできるでしょうか。私たちは師父と衆生の期待に応えなければなりません。

 師父は『北米での巡回説法』で「皆さん考えてみてください。新宇宙を純金に喩えるとすれば、不純な生命が一つでも中に入ってしまえば、新宇宙は不純になるのではありませんか? このようなことがどうして許され得るでしょうか?」と説かれました。

 私たちの修煉の過程は、純金を精製する過程でもあります。急いで内に向け探し、根本的な執着と各人心を取り除いてください。私たちは新しい天体宇宙の真・善・忍の基準を満たした時にのみ、未来の宇宙は私たちに引き渡されて、圓満不滅を保証するのです。

 弟子として真剣に自問しなければなりません。「師と法を信じること、師と法を敬うこと」において、私たちはどれだけできなかっただろうか。真に修め、実の修めにおいて、私たちはまだどこか上手くできていないところはないですか?

 他人がどうであるかは見ないで、急いで自分自身がよくやることです。頂点は師父の期待に背かないこと、底辺は衆生の期待にも背かないことです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/9/14/465259.html)
 
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