地域で発生した口を修めることについての考察
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年2月14日】私たちの地域では、長年、同修の口を修めることができていないという問題があり、全体的にとても奇怪な現象が起きています。何かを同修に話すと、それはすぐに全ての同修の耳に入ってしまいます。さらに奇怪なことに、たとえ全ての人がそのことを知っていても、そのことに関わっている当事者の同修だけは知らないのです。なぜなら、誰も当事者の同修にそのことを言わないからです。まるで皆が口を修めているかのようですが、実際には誰も当事者の同修に言わないため、安心して裏で議論しているのです。これは師父が説かれた口を修めるとは全く逆であり、修煉者として当然守るべき真誠さや善良さに全く逆行しています。

 長期にわたってこのような状態が続いているため、全体として小さなグループがいくつもできてしまい、人と人との間、地域と地域の間で隔たりができています。お互いの間で噂話が飛び交い、真偽も定かでない情報が拡散されています。実際には、これは他人に対する執着の表れであり、心の中で他人の欠点を手放せないことの現れです。同時に、自分の優位性を示したい、人より多くのことを知っているという心理や、嫉妬心、他人を見下す心を持ち合わせているのです。中には、自分の理解に基づいて、誰と誰に男女関係があるといった噂を流す人もいますが、それは真実とは限らないのです。このようにして、自分自身も次元を落とし、業を作ってしまうのです。

 具体的な例を挙げます。ある日、昼食の時間になり、男性同修が市場で買い物をしていると偶然女性同修に出会い、男性同修の妻が不当に拘禁されていることについて話しました。その時、女性同修は急いで自分の店に戻る必要があり、男性同修に「あなたも1人でしょう? 私も1人なので(女性同修の話の意味は、配偶者の食事のことをもう考えなくても済むという意味)、私の店で一緒に食べましょう」と言いました。女性は、店を見ながら男性同修と食事をしながら交流できるという意味でした。男性同修はそれを断り、2人は別れました。

 女性同修は何も考えずに、この件はもう終わったと思っていました。しかし、この男性同修は女性同修の意図を誤解し、女性同修に色欲の心があると考えました。男性は妻が家に帰ってから、妻に「自身が色欲の関を乗り越えた」と言いました。この件は後に、当事者の女性同修本人に伝えられた内容はすでに加工されており、「あなたも1人、私も1人、私たちは独身で、一緒に食事をしましょう」という言葉になっていました。この女性同修はそれを聞いて、非常に腹を立て、心性を守ることができず、怒って激しく息を切らせました。つまり、たとえその男性同修が自分で女性同修の言葉を直接聞き、直接見たとしても、話した人の意図を本当に理解できるとは限らないのです。もちろん、女性同修にも責任があります。話し方が厳密ではなく、意味をはっきりさせなかったため、男性同修に誤解を与えてしまったのです。

 修煉者として、物事を正念で捉えるべきであり、このようなマイナスの情報を伝えるべきではありません。普通の出来事を不自然な方向に分析すると、分析すればするほどそう見えてしまうものです。例えば、ある人を見て、見るほどにその人こそが斧を盗んだように思えるのです。しかし、自分で斧を見つけた後に改めてその人を見ると、どう見ても斧を盗んだ人には見えなくなるのです。

 本来、この文章を書くつもりはありませんでした。しかし、今日は師父の説法が頭に浮かびました。「すなわち彼の身のまわりの空間場の範囲内にある物質すべてが、彼の意識によって演化するからです。それは『心による変化』とも呼ばれます」(『轉法輪』)私は悟りました。同修の間で他人の不足を議論したり、虚偽の情報や根拠のない噂を口にすると、その念を起こした瞬間に、自分の空間場の中でその念に従って対応する良くない物質が現れるのです。そして、それを他の人に伝えることで、この良くない物質を他人にも伝えてしまいます。本当に、人を害し、自分をも害する行為をしているのです。個人にとっても、全体にとっても、百害あって一利なしなのです。

 私たちはよく、同修から「妨害がある」、「学法中に眠くなる」、「正念を発すると手が垂れてしまう」、「病業のような現象がある」といった話を聞きます。そして内に向かって原因を探しても見つからないことがあります。もし本当に、こうした真偽が分からない情報をそのまま伝えた結果、妨害を招いてしまったとしたら、その原因をどのようにして見つけられるでしょうか? もし私たちが法に基づいて互いに交流し、法に合致していれば問題ありません。修煉が良好な同修は、話す言葉一つ一つが「口から蓮花を吐く」ように清らかだからです。法を正す時期がここまで進んだ現在、私たちは一度考えてみましょう。自分がもう一度やり直せる機会がどれほど残されているでしょうか? 法を正す時期が終わる前に、漏れのない全体を形成する機会はまだあるでしょうか? これは、私自身を含め、誰もが悟るべきことだと思います。

 この記事を書くにあたり、意図したことは交流を通じて共に向上することです。文中で触れている同修については、どうか包容し、理解してください。また、もしこの文章に登場する人物が誰か分かったとしても、それを話題にしたり、非難したりしないでください。私たち全員が向上すれば、この出来事自体が修煉の過程になります。新たな執着を生じさせることなく、当事者のマイナスの要素をさらに重くしないようにしましょう。この機会に自分の口を慎み、以前聞いた不実な情報を自らの思考の中で修正するだけで十分です。それが、自分に対して、そして全体に対して責任を持つということです。

 以上は、私個人が限られた次元で悟ったことにすぎません。不足や誤りがあれば、どうか同修の皆さんにご指摘をお願いします。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/10/490550.html
 
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