真・善・忍を修煉した張萍さん 不当に懲役5年の実刑判決
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 【明慧日本2024年10月10日】甘粛省蘭州市の法輪功学習者・張萍さんは、不当に懲役5年の実刑判決を言い渡され、2024年1月末、甘粛省女子留置場に拘禁された。8月中旬まで、家族は張萍さんと会うことを許されなかった。彼女は非常に痩せており、ずっと「厳しい管理」で迫害を受けている。

 張萍さんは1969年生まれで、今年55歳になる。元甘粛省信託投資会社証券部(現・華龍証券会社)の職員で、蘭州市城関区に住んでいる。

 2022年5月9日、張萍さんは法輪大法の良さを市民に伝えたために連行され、彼女は蘭州市第一留置場で拘禁され、背中を縛り上げる(訳注:両手を背中で手錠をかけ、両膝を跪かせ、両足に足かせをつけ、同時に手錠と足かせを鉄線で最短距離で繋ぎ合わせる)「背串」という拷問を受けた。その後、張萍さんは蘭州市城関区検察院の検察官・趙新宇に連行され、2022年8月4日に蘭州市城関区裁判所で起訴された。

 およそ1年後の2023年4月7日、城関区裁判所で張萍さんの不当な裁判が行われた。審理と弁護の過程を通じて、事実と法律の両面から張萍さんは無罪であることを明らかにしたが、劉冬郁、騰霄琼、馬鑫燕らの3人からなる合議制は法律を無視し、張萍さんに懲役5年の実刑判決と2万元の罰金を言い渡した。

 張萍さんは判決を不服として上訴し、訴状を蘭州市中級裁判所に提出した。しかし2023年11月13日、蘭州市中級裁判所は刑事裁定書(2023)を出し、原判決維持となった。

 2024年1月末、張萍さんは甘粛省女子留置場に送られ、そこで引き続き拘禁されている。彼女は蘭州市に独りで住んでいるため、2024年3月、遠方に住む息子が留置場を訪問したが、留置場側は張萍さんが「転化していない」という理由で、息子との面会を許可しなかった。また、衣類を送ってもらったり、金銭を差し入れることも許さなかった。

 6月、家族は張萍さんから留置場内からの電話を受けたが、その通話はわずか10分にも満たないものだった。

 8月中旬、遠方から家族が甘粛省女子留置場を訪れ、張萍さんと面会したが、その面会時間はわずか10分だった。張萍さんは非常に痩せており、家族に対して自分の体重が10キロ以上減り、十分に食事が取れていないことを話した。家族が差し入れたお金は、使用が制限されていると伝えられた。

 留置場側は、張萍さんが依然として「厳しい管理」下にあり、その管理がいつ終了するかは告げていなかった。

 看守所で不当に拘禁された際に拷問を加えられる

 2022年5月11日、張萍さんは不当に蘭州市第一留置場の第11隊(隔離隊)に拘禁された。2022年5月16日の夜、張萍さんが法輪功を煉功していたため、11隊の責任者である隊長や指導員の王燕らにより、「背串」という拷問を受けた。その拷問は20日間続き、2022年6月1日にようやく解除された。この間、彼女にはわずかな水しか与えられず、他の人が彼女の用を足す手助けをすることも許されなかった。

 2022年6月8日、張萍さんは第13隊に移送された。13隊の責任者は朱美婷で、協力指導員は王燕だった。彼女らは張萍さんに、体操に参加させ、毎日昼と夜に2時間ずつ出るよう命じ、さらには4回に増やすという過酷な計画も企てた。

 張萍さんはこの迫害で脚が腫れ上がり、さらに隊長らは彼女を脅し、再び「背串」という拷問を用いると恐喝した。彼女は迫害を受けて髪がすっかり白くなり、非常に痩せこけてしまった。

 繰り返される拷問 過去にも5年の不当判決を受けた

 1999年7月20日以降、張萍さんは何度も不当に拘禁され、残虐な拷問を受けた。例えば、鉄製の椅子に座らせられ5日5晩眠ることを許さない拷問や、何度も拘禁されたあげく、釈放された後は中国共産党により指名手配され、最後には家を離れることを余儀なくされた。

酷刑演示:铁椅子

拷問実演:鉄イス

 2002年8月13日、張萍さんは警官の魏東や陸某、および蘭州市公安局の複数名らに、張萍さんの自宅に侵入されて、暴力的に拘束された。魏東は彼女を殴打し、幅約30センチの布で彼女の口を縛り、ロープで首も縛り、4~5時間にわたって拷問を加えた。その後、張萍さんは市局の国安処に連行され、一晩中尋問を受けた。翌日、彼女は蘭州市西果園留置場に送られた。

 留置場では、張萍さんに何十キロもの重い足かせと手錠をかけられ、身体を丸めて過ごさなければならなかった。彼女は1日に1晩しか食事を与えられなかったが、体を殴られて食事を摂ることができない状態になった。留置場はすぐに彼女に鼻からの栄養補給を行ったが、殴られて顔に深刻な傷を負っていた彼女は頻繁に嘔吐し、その多くは血だった。その後、留置場は彼女を市局の国家安安全部の病院に送った。治療は40日以上続き、退院後、彼女は陕西省に送られて引き続き迫害を受けた。

 2005年6月、張萍さんは正体がわからない者に通報され、再び蘭州の華林坪留置場に連行され、迫害を受けた。彼女は「王倩」という偽名をつけられ、家族にも通知されなかった。連行時、警官は彼女の身ぐるみをはぎ取り、3万元以上が入っていた銀行カードを押収した。

 2006年、張萍さんは蘭州市第一留置場に不当に拘禁された。彼女は何度も断食をして不当な拘禁に抗議したが、そのたびに警官は彼女に管を挿入して迫害した。

 2006年4月中旬、張萍さんは管を挿入された後、嘔吐が止まらず、8日目には労改病院に送られた。断食の期間中、警官の田慶萍は看守らに命じて、張萍さんに背中で手錠をかけさせ、彼女の手足を縛り続け、労改病院に送られるまで大小便の自立もできない状態に陥らせた。

 2006年7月11日、蘭州市西固区裁判所は第3裁判所で張萍さんに対する裁判を行った。張萍さんはこの裁判中、検察の起訴に対して正面から論述し、結果として検察官は反論できなくなった。裁判所が指定したいわゆる弁護人はその場で嘘をついた。張萍さんは、「偽りの天安門焼身自殺」事件の真実を暴くビデオを分析し、いくつかの疑問点を指摘した。また、蘭州市公安局の魏東警官など26名、および陝西省戸県の警官による悪行を告発し、裁判所に対しこれらの警官の犯罪行為を法に従って追及するよう要求した。

 この裁判で、張萍さんは無罪を主張したが、それにもかかわらず5年の実刑判決が下され、甘粛女子留置所に拘禁された。留置所に入れられる際、張萍さんは「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、直ちに独房に送られ、1ヶ月間迫害を受けた。その後、第3エリアに移され、さらなる迫害を受けた。

 第3エリアの元長官、王富坤(音訳)は非常に残忍で、張萍さんは手錠をかけられ、昼間は作業場で働かされ、夜は眠らせてもらえず、監視員が付いて監視された。この状況は約10日間続いた。

 2006年11月、甘粛省女子留置場の悪意を持った者が「張萍さんが夜に修煉をしている」と告発したため、張萍さんはさらに刑具を装着され、14日間にわたって迫害された。その後、張萍さんは2007年12月に大沙坪病院に送られ、その後引き続き迫害を受けた。刑務所は家族との面会も許さなかった。

 張萍さんは長年にわたる残酷な迫害を経験し、2010年4月22日に5年間の不当な拘禁を終え、甘粛省女子留置場から釈放された。

 現在、55歳の張萍さんは再び5年の実刑判決を受け、再び冤罪で監禁されている。彼女は修煉を堅持し、「真・善・忍」の信念を放棄しなかったため、現在も独房で迫害を受けている。

 2006年7月11日、蘭州市西固区裁判所は第3裁判所で張萍さんに5年の実刑判決を言い渡した。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
 
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