法を写し、暗記する過程で人心を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年12月5日】法を写すこと、暗記すること、または通読すること、どのように法を学ぶ形式であっても、最終的な目標は同じであり、法を得て大法と同化することです。心を込める度合いが異なれば、得られる効果も大きく異なります。

 2012年に連れ合いが亡くなり、師父の導きと同修の助けを受けて、私は法を写し始めました。最初に写し始めた時は、非常に大きな妨害があり、頭の中は雑念でいっぱいで、全く心が静まらず、考えが重く、心ここに在らずといった状態でした。字も大小バラバラで乱雑で、文字を追加したり抜けたりして、時には自分でも何を書いているのかわからないほどで、まるでいい加減にしているようでした。その頃はただ時間を潰すためにやっていただけで、大法の貴重さを理解しておらず、師と法を敬う気持ちもありませんでした。

 時が経つにつれて、写した回数が増え、だんだんと心が純粋になり、頭も冴え、書く文字もはっきりとしてきました。大法の法理が私に智慧を開かせてくれました。師父が説いた法の一文字一文字の背後には、幾重にも重なる佛、道、神がいることを理解した時、私は心の中で密かに誓いました。「これからは自分を正し、以前の師と法を敬わない態度を改め、心を込めて一字一字丁寧に書きます」。『轉法輪』のフォーマットに従い、24行、各行22文字の正式なノートを購入し、自分に厳しく心身一如を目指しました。水平垂直に線を整え、撇と捺を均等にし、構造を整えて書くようにしました。

 そのようにしてしばらく実践を重ねると、以前は半日で4、5ページ書けていたものが、今では半日でせいぜい2ページ、多くても1ページ程度しか書けなくなりました。以前よりもはるかに遅くなりましたが、心性が急速に向上していると感じ、常人の考え方を変え、容量を拡大し、同修を包容できるようになりました。もはや他人と争い勝とうとすることもなく、他人の状態が悪い時には批判や不満を抱かず、静かに自分を修めるようになりました。自分が本当にできるようになると、心の変化がすぐに表れて、周囲も変わっていくのがわかりました。

 2016年頃、私たちの地域では法の暗記が流行し始めました。同修の皆が影響を受け、私も暗記の仲間に加わりました。私は午前中は法を写し、午後は家事を行い、夜にはその日の交流文章を読み、最後に暗記して夜12時に正念を発するという計画を立てました。暗記は言葉で言うのは簡単ですが、実際に暗記するとなると決して簡単なことではありません。集中力を高め、心を純粋に保つ必要があり、特に高齢者にとっては、強い意志と師父の加持がなければ到底成し得ません。

 最初に暗記を始めた時は妨害が大きく、全く心を静めることができず、夜通しでようやく2段落を覚えられる程度でした。翌日にはすべて忘れてしまうこともしばしばでした。それでも忘れては覚え、覚えては忘れ、とにかく頭の中に法を詰め込むことを続けました。約9か月をかけ、ついに最初の一巡を暗記し終えることができました。

 第一回を暗記し終えた後、本を閉じると頭が空っぽで、何も残っていない感じがしました。しかし二回目を暗記し始めると、一回目の時とは全く違う感覚がありました。以前のような多くの妨害や思考の障害がなくなり、暗記すればするほど心が純粋になり、集中力も増していきました。ある段落では、一時間で二、三段を暗記することができました。暗記すればするほど暗記しやすくなり、よりスムーズに進むようになりました。三回、四回目に入ると、少しずつ背しやすくなってきたので、法を写すことと暗記することを組み合わせて、覚えている部分は本を見ずに直接暗記しながら書くようにしました。こうして、写す中で暗記し、暗記の中で写すことで、記憶が強化され、効果がとても良いと感じました。

 法を写し、暗記していく過程で、心性を試されるような出来事にも直面しました。つまり、自分がどれだけ揺るぎない信念を持っているかを試されるのです。たとえば、私の周りのある同修が「同修○○さんが亡くなった」と話しました。同修Aさんが「あの同修はとてもよく修めていたんじゃなかったか? 法を写し、暗記していて、羨ましがっている人もいたのに」と言いました。同修Bさんが続けて「法を写すために写し、法を暗記するために暗記しても、何遍も写し暗記しても意味がない。法を得て法と同化することが重要なんだ」と言いました。そして同修Bさんは急に私に向かって、「『轉法輪』を何回も暗記しているそうですね。あなたは法と同化したと思いますか? 同修たちに話してみてください」と皮肉と軽蔑の目で問いかけてきました。この突然の問いかけに、私は言葉を失い、非常に気まずく感じ、自分の人格を侮辱されたように思いました。そこで、私は無愛想に「私は修煉が進んでいないので、悟りが足りません。考えがまとまったら話します」と答えました。

 同修の言葉が私を反省させました。「法の暗記は師父が肯定しているものであり、間違いであるはずがない」と。また、この方面について同修たちの交流文章も少なくありません。法をどれほど得て同化しているかについて、私自身は比較的楽観的であり、大いに恩恵を受けていると感じています。以下に、最近の法を写し、暗記して得た収穫を書き記したいと思います。

 まず、私が得た最大の収穫は、性格が改善されたことです。以前のように感情に流されることもなく、衝動的で無謀な行動もしなくなりました。物事が起こった時に冷静に対処できるようになり、大きな問題でも小さな問題でも、いつも自分を最も低い立場に置き、自分は大法弟子であることを認識しています。矛盾が生じた時には感情を抑え、正しいか間違っているかに関係なくまず自分を見つめるようになりました。これは以前にはできなかったことです。

 以前、私はこの悪い癖を直そうと試みたこともありましたが、効果はありませんでした。修煉する前、職場では口論を好む癖がついていました。修煉を始めた後も、この癖は改まらず、むしろ饒舌で自己中心的になり、人の背後で話題にし、自分の知識を誇示するようになりました。

 曾て改めようと何度も試みましたが、効果はなく、物事が起こるとつい口を抑えきれず、口論が始まることが多かったです。この口を制御できないために、同修との間に多くの不快な状況が生じ、自らも多くの口業を積んでしまいました。しかし、法を写し、暗記する過程で、知らず知らずのうちに競争心が薄れ、人の意見を聞くことができるようになりました。世間の騒がしい話を耳にしても、以前ならすぐに話を遮って、自分の意見を高らかに語り、自分の知識を披露していたのが、今ではそういった議論を聞いても心は動じなくなり、聞こえても聞こえなくても同じで、自分とは関係のないもののように感じるようになりました。

 さらに顕著な変化として、お金や利益に対する執着が薄れたことがあります。以前はお金の話になると、たとえ1円や2円でも細かく計算し、人と争うこともありました。しかし今の自分は以前とは全く違います。例えば、ある時、私は60元の牛乳箱を購入し、100元札を渡したところ、店員が60元のお釣りをくれて20元多くもらいました。すぐに戻って店員に事情を伝え、その20元を返しました。そして、「私は法輪功を修煉しています。私の師父は他人のことを考えるよう教えています。法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいと覚えておいてください」と伝えました。店員は感激して何度もお礼を言ってくれました。また、ある時、故郷から戻った際に、電動バイクのタイヤの空気が抜けていたため、近くの修理店で空気を入れてもらいました。料金は3元と書かれていましたが、手元には100元札しかなく、知り合いだったため支払いを受け取ってもらえませんでした。翌日、その3元を支払うために十数キロを走って店に行きました。

 このような些細な出来事は、修煉が精進している同修にとっては何でもないかもしれませんが、心性が低く、悟りが遅い私にとっては、十分満足できることです。もし師父の慈悲深い保護や、師父が与えてくれた智慧や心性の向上がなければ、私一人の力では成し得なかったことでしょう。

 だから、これから残された少ない時間の中で、師父の言葉を忘れず、精進し修煉を重ね、初めて修煉した時の心を取り戻し、より多くの法を学び、法と同化し、大法の超常性と師父の偉大さを実証していきたいと思います。

 以上が私個人の心得です。不適切な点があれば、ご指摘ください。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/10/21/481099.html
 
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