【明慧日本2025年1月13日】(前文に続く)
事例3、77歳の周桂香さんは拘禁されて死亡、すでに火葬されていた
貴州省貴陽市の77歳の法輪功学習者である周桂香さんは、2023年8月に孫娘と一緒にスーパーで衣服を買いに行った際、警察に連行され、貴陽市三江女子留置場に拘禁された。2024年10月23日に迫害により亡くなった。家族が通知を受けて駆けつけた際、周さんはすでに留置場によって火葬されていたことが分かった。遺体を引き取ることや、葬式を行うことも許されなかった。
周さんは貴陽市雲岩区長沖路40号に住んでいた。法輪大法の「真・善・忍」の教えに従って善良な人間として生きていたが、長年にわたり地元の公安による嫌がらせや迫害を受け続けていた。
2023年8月23日、周さんは市検察庁の検察官である陳娜娜と張本莉によって逮捕状を発付された。同じ日に、周さんは市三江留置場に収容され、護送に関与した警察官は周楊と張柱であった。
2024年夏頃、弁護士が留置場を訪れた際、周さんは非常に痩せており、三江病院で検査を受けた結果、肝臓と腸に腫瘍の兆候が見られることが判明した。しかし、留置場内の医療施設ではさらなる確定診断(サンプル採取)の手段がなく、また、周さんに健康回復に役に立つ法輪功の功法を禁止した。この状況を受けて、弁護士は「保釈」の意見書を作成し、留置場に提出した。
2024年10月23日、周さんは迫害により他界した。
事例4、不当に懲役11年の判決を言い渡された閆旭光さんは迫害により死亡
閆旭光さんの拘禁期間中の写真 |
遼寧省朝陽市の法輪功学習者の閆旭光さんは、法輪功迫害の元凶である江沢民を法的に告発したため、朝陽市公安警察に報復として連行され、さらに「朝陽地区の総調人であり、元党市委書記・王明玉が法輪功迫害に関して発表した機密文書『ただ殴る、ただ実行し、機密厳守』に関与した」との口実で迫害が加重された。閆さんは懲役11年の不当な判決を言い渡され、遼寧省沈陽市の第一刑務所で8年以上も迫害を受けた。2024年10月16日、迫害により命を落とし、66歳で亡くなった。
2023年10月、家族が刑務所を訪れた際、閆さんの精神状態や心理状態は正常だった。しかし、2024年10月12日、家族は突然、刑務所からの電話で閆さんが危篤状態であることを知らされ、急いで沈陽市第十病院に向かった。そこで閆さんを見た時、すでに意識を失っており、4日後に亡くなった。
事例5:二度の冤罪判決で計18年拘禁された、山東省の王忠実さんは刑務所で迫害により死亡
中共拷問刑具:小さいに腰掛けに座らせる |
山東省淄博市の法輪功学習者・王忠実さんは再び不当に懲役8年の判決を受け、2021年11月に山東省刑務所第11区に拘禁された。王さんは法輪功を学び、「転向」を拒否し続けた結果、今年7月22日に迫害されて死亡した。享年71歳。
王さんは2009年5月15日に連行され、その後、不当に懲役10年の判決を受けた。2010年1月には山東省刑務所第11区に拘禁され、長期間にわたる「厳管」(厳しい管理)迫害と残酷な拷問を受けた。出所からわずか1年余り経った2020年11月11日、王さんは再び連行され、不当に懲役8年の判決を受け、罰金4万元(約80万円)を強要された。2021年11月には再び山東省刑務所第11区に拘禁され、迫害を受け続けた。長時間にわたって小さい腰掛けに座らせる迫害され、トイレに行く回数も行動も制限されていた。
事例6:86歳の劉殿元さんは瀋陽第一刑務所で迫害されて死亡
遼寧省朝陽市にある凌源市の法輪功学習者・劉殿元さんは2016年、78歳のときに、法輪大法の真・善・忍の信念を守り続けたとして、朝陽市建平県裁判所の女性裁判官・李岩により、不当に懲役11年6カ月の実刑判決を言い渡された。劉さんは解放されるその日まで生き延びることができず、2024年の旧正月の元旦に瀋陽第一刑務所で迫害により死亡した。享年86歳。
情報筋によると、劉さんは生前に迫害により障害を負い、1年間は身の回りのことができなかったが、瀋陽刑務所は拘禁中に重病のための一時解放を拒否し、最終的に劉さんを致死させた。劉さんの遺体は現在、瀋陽葬儀場に置かれている。
劉殿元さん |
事例7:吉林省の王玉英さんは迫害され死亡 兄も拘禁され迫害を受けている
吉林省公主嶺市の法輪功学習者・王玉英さん(68歳女性)は、2024年8月、範家屯派出所の警官に自宅から連行された。同日、80歳の兄・王剣英さんも響水鎮派出所の警官に自宅から連行された。その後、兄妹はともに留置場に入れられ拘禁された。9月10日、王玉英さんは拷問を受け死亡した。兄の王剣英さんは現在、濡れ衣を着せられ検察庁に送検され、不当な起訴に直面している。
王玉英さんは定年退職の政府関係者である。王玉英さんは迫害で亡くなった後、警官は家族に口止め料として3万元(約60万円)を渡したが、家族はそれを受け入れず、弁護士に助言を求めた。しかし、弁護士は、証拠が取れないので、訴えられないと言った。家族にも、目撃者がいるとしても、誰も証言する勇気がないとわかっていた。
事例8:吉林省延吉市の谷今芬さんが刑務所で迫害されて死亡
吉林省延吉市の学習者・谷今芬さん(以下、学習者)が、2023年10月1日、吉林省の女子刑務所で迫害されて死亡した。享年66歳。
2023年4、5月に、谷さんは、人々に法輪功迫害の実態を伝えていた。しかし、中共が法輪功に対する嘘の宣伝に騙された人から通報されたため、延吉市北山街派出所の警官に連行されたが、その後、解放されて帰宅した。しかし、その後、北山街派出所は証拠を捏造し、濡れ衣を着せ、谷さんを検察庁に送検した。
谷さんが帰宅して数日後、検察庁の検察官から、自分が起訴されたことを告げられた。谷さんはその迫害を避けるため、放浪生活を余儀なくされた。ある日、谷さんが帰宅したときに、警官に連行された。その後、谷さんは判決を言い渡された。公安、検察、裁判所は秘密裏での操作により、谷さんが具体的にどのように陥れられたのか、また、何年の判決を受けたのか、いまだに不明である。
2023年、谷さんは吉林省女子刑務所第8区(学習者を迫害する専用監区)に送られた。谷さんの11居室には、吉林省白山市出身の受刑者李玲玲が室長で、逮捕される前、散打(さんだとは、中国武術においてスパーリングや組手あるいは試合に類する行為)を学んでおり、看守は学習者を特別に迫害するために谷さんを第8区に移送した。谷さんは亡くなる前、すでに失禁しており、身体はすでに深刻なダメージを受けていたにもかかわらず、受刑者たちは谷さんに対する迫害を止めなかった。
事例9:75歳の田玉春さんが長春市第一留置場で迫害により死亡
吉林省長春市の学習者・田玉春さん(75歳)は、2024年4月18日、長春市二道区金銭堡派出所に不当に家宅捜索され、連行された。そして、長春第一留置場で拘禁された。田さんは、同市朝陽区検察庁に不当に起訴された。7月24日、迫害によって死亡した。その後、朝陽区裁判所の裁判官は、さらに田さんに懲役3年の判決を下すと述べた。
拘禁される前、高齢の田さんには高血圧と硝子体剥離が見つかり、ほとんど目が見えず、身の回りのことができない状態だった。しかし、金錢堡派出所の荘警官は、「留置場が引き取るということは、大丈夫だということだ! ネットで暴露しても無駄だ」と脅した。
田さんはかつて何度も拘禁され、1年の労働教養処分を科され、朝陽溝労働教養所に拘禁されていた。
事例10:李鳳蘭さんは解放されてからわずか1カ月で他界
甘粛省白銀市平川区の69歳の学習者・李鳳蘭さんは、非合法な有罪判決を受けてから1年8カ月後の2023年2月17日に拘束され、蘭州女子刑務所に連れて行かれ、拘禁と迫害が続けられた。同年11月に乳がんが転移していたが、平川区の公安局は保釈をを許さなかった。李さんはかつて国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官に身柄を拘束され、写真を撮られ、署名と拇印を強要され、さらに2回トラの椅子に座らされた。
拷問イメージ図:トラの椅子 |
2023年12月、李さんの家族は弁護士を雇い、人民代表(地方議会に相当する部門)と政治協商機関の人脈を通じて、李さんを刑務所から連れ戻した。その時の李さんは、すでに死期が迫っており、食事も摂れず、水も飲めず、病院に入院し、点滴で生命を維持するしかなかった。最終的に病院も李さんを受け入れなくなり、家に連れ帰らせた。数日後、李さんは2024年1月10日の朝、冤罪が晴れないままこの世を去った。
事例11:長沙女子刑務所で10年以上迫害され、釈放され数日後に死亡した女医、劉東賢さん
湖南省常徳市の学習者である劉冬仙さんは、不当に1年9カ月の労働教養を受け、3回の判決で計16年の実刑を科された。そのうち、2016年12月に連行されて懲役9年の実刑判決が言い渡され、湖南省長沙女子留置場で激しい迫害を受けた。彼女は最後までいわゆる「転向」を拒否したことで、長時間にわたり強制的に立ったままや、しゃがんだままにさせられ、さらに、両手を後ろ手に縛られて5日5晩も立たされ続けた。零下5度の気温の中で、服を脱がされ、窓を開けて強風に15分間さらされた。7日7晩トイレに行くことも許されなかった。その結果、両手は完全に機能しなくなり、黒ずんで壊死し、自立した生活ができなくなったという。2024年5月頃に留置場から自宅に戻されたが、数日後に72歳で迫害により亡くなった。
中共の拷問イメージ図:電気ショック |
2001年、劉さんは法輪功の無実を伝えるために上京し、北京海淀区留置場の警官2人に同時にスタンガン2本で5時間にわたり電気ショックを加えられた。警官たちは劉さんの身体に椅子を押し付け、全身を殴りながら電気ショックを加えスタンガンの電池切れになるまで続けた。
(続く)