神韻は人類に道徳的価値を取り戻させる
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文/ブラジルの大法弟子 

 【明慧日本2025年1月27日】私が、初めて神韻を観たのは2012年、アルゼンチンのブエノスアイレスでした。私はブラジルに住んでいますが、当時、ブラジルでは神韻の公演はありませんでした。神韻を観て、私は本当に衝撃を受けました。公演の舞踊と音楽を通して人間の道徳観が生き生きと表現されているのが感じられ、心身が浄化されたようでした。

 公演を見終わって、ホテルに戻った後、私は法輪大法功法を煉りました。その時、体がとても軽くなり、雑念が少しもなかったのです。体も心も楽になりました。翌日、小さな衝突があったとき、法輪大法は「常人の中で人に罵られても、黙って平然としています。殴られても何も言わず、一笑に付するだけで済ませてしまいます」(『轉法輪』)と説かれていたので、私はその関を簡単に乗り越えることができました。あるとき、神韻の演目で男子たちが踊っている場面を思い出した瞬間、彼らのたくましい姿が、私の体の詰まっているエネルギーを開通させたようでした。そのとき、エネルギーが詰まっているのは自我に対する執着だと理解しました。その場面が再び浮かんだとき、体が再度浄化され、自我への執着が徐々に消えていくのを感じ、安堵と感謝の念に包まれました。

 ブラジルに帰ってから、法輪大法の本を読んでいたとき、突然、聖なるラッパの音が耳に鳴り響きました。それは今まで聞いたことのない音楽で、神聖で荘厳なものでした。

 このような経験を通して、神韻は単なるパフォーマンスではなく、失われた道徳的価値を人間界に取り戻す神聖な演出であることに気づきました。公演を見た後の私の心の幸福感は、言葉では言い表せないほどでした。

 より多くの人に神韻を鑑賞してもらいたい

 それ以来、私は神韻のプロモーションを手伝っています。ブエノスアイレスには、神韻の宣伝のために2度も行きました。アメリカでの博士課程の間、ノースカロライナで神韻のパンフレットを配り、ポスターを貼りました。ついに神韻がブラジルにやってきたとき、私はそのプロモーションに全面的に関わりました。これらすべてが私にとって貴重な経験であり、そこから多くを学びました。

 残念ながら、神韻はある新聞や中国共産党に中傷されました。しかし、神韻は舞踊と音楽を通じて、すべての観客に高い道徳的価値を伝え、この道徳的な向上が現代社会で切実に必要とされていることを私は知っています。また、神韻は人々の健康を増進させることができます。それは私自身が経験したことでもあります。ですから、神韻をもっと多くの人に観てもらいたいと願っています。

 偏ったプロパガンダに振り回されることなく、人々が自主的に考えてほしいのです。何よりも、このショーを自分の目で観て、そこから自分なりの結論を導き出してほしいのです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/24/488952.html
 
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