文/米国東部の大法弟子
【明慧日本2025年3月21日】大法に対する犯罪や、師父への不敬、神韻への攻撃などの話を聞くたびに、私はとても悲しくなります。ある同修が私に交流を求めてきましたが、私は彼女に「今の私は状態が悪く、心が乱れていて、泣きたい気持ちでいっぱいです」と話しました。
ある日、学法グループの同修が私に尋ねました。「あなたたちは、正念を発する以外に何かしましたか?」私は言葉に詰まりました。何もしていなかったのです。いや、それどころか、正念を発することすら思い出していませんでした。その時初めて、自分が人間的な感情に惑わされていたことに気づきました。そこで、私は正念を発し始めました。しかし、同修の問いかけがずっと耳に残り続けました。「私はまだ何をすべきなのか?」と自問しました。なぜなら、ただ正念を発するだけでは不十分だと分かっていたからです。
1月4日の明慧ネットで発表された「私たちの師父」という記事を読み、師父がこの世のことをなさっていることを知り、さらに胸が締めつけられるように苦しくなりました。そして、師父がかつて説法の中でおっしゃった一節を思い出しました。「そうなると、師父は法を正すことをする傍ら、この世のこともしなければなりません。私一人でとてもできません。そうではありませんか?」(『各地での説法二』・「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」)。これは、師父が早い時期から大法弟子に託していたこの世のことでした。しかし、結局のところ、またもや師父が弟子たちの代わりにやってくださっていたのです。私は良い弟子ではなく、師父に行わせてしまいました。しかし、自責の念に駆られても仕方がありません。今からは、私の主元神を奮い立たせなければなりません。
まず私が思ったのは、自分自身をしっかり修めることでした。常に内に向けて探し、修煉の面で師父に心配をかけないようにすることです。そして、政府、議員に真相を伝え、さまざまな方法を用いて常人のメディアに真相を伝えることを考えました。そんな時、同修が私の元を訪れました。この同修の考えはまさに私がやりたいと思っていたことと同じだったのです。私たちは意気投合し、それぞれの役割を分担して行動を開始しました。
その結果、私たちは議員から返信をもらい、地元メディアからも反応を受け取りました。同時に、次のステップについての計画も立てました。私たちが行っていることは、まさに別の空間にある邪悪を取り除くことであり、師父が法を正すことを手伝うことなのです。師父は、これらのことをより偉大なものへと導いてくださるでしょう。
師父は私たちのために計り知れないほどの苦しみを背負い、多くを捧げてくださいました。だからこそ、私たちは師父とともに世間で法を正すことを行えるこの機縁を大切にし、時間を惜しんで精進し、実修を続け、法を正す時期の大法弟子の名に恥じないようにしなければなりません。明慧ネットの記事の中で、「法を正すことがまだ終わっていないのに、私はすでに後悔している」と書かれているものがありました。もし私たちがまだしっかりと行動しなければ、おそらく後悔する機会すらないかもしれません。