4.25陳情 中央信訪弁公室も認めた合法的な集会
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文/顧願

 【明慧日本2025年4月14日】

 西洋社会では「沈降」という言葉はあまり見かけません。市民は自由に意見を表明する手段を持っており、大統領府の前に10万人、50万人が集まってデモ行進することも珍しくはありません。2020年には全米各地から約100万人がワシントンDCに集まってトランプ氏を支持しましたが、軍や警察との衝突はなく、緊張感はありませんでした。

 一方、太平洋の向こう側の中国では、ここ100年近い歴史の中で、このような光景が見られたのはたった一度だけです。1999年4月25日、1万人以上の法輪功学習者(以下、学習者)が中南海西門の「国務院信訪弁公室」(陳情受付窓口)に行きました。彼らは終始、道路の土手の上で静かに平和に待機し、歩行者や車両の妨げにならないよう配慮し、スローガンや横断幕はなく、大声で騒ぐこともありませんでした。警察官たちはそばでリラックスして会話を交わし、最終的に対話を通じて問題は解決しました。これは「中国史上、規模が最大で、最も理性的かつ平和で、最も円満に解決した陳情」と呼ばれ、国際社会からは「4.25」の中南海での学習者の1万人陳情事件における双方の平和的かつ理性的な態度は、中国の歴史上前例のないものだった」と評価されています。

 しかし、今日の中国の多くの人々の印象では、「4.25」陳情は中南海への攻撃であり、それが中国共産党(以下、中共)による法輪功弾圧の直接の原因だとされています。中共と近い関係にある西洋人の中にも、「政府を包囲することはどの国でも許されない」という中共の論調を受け入れている人がいます。

 今日は、いくつかの基本的な概念を明確にしたいと思います。

 一、国務院信訪弁公室と北京市公安局による主張の真偽

 まず、中国での陳情は法的に認められており、国務院信訪弁公室は中南海西門にあります。中南海の正門は長安街に面した新華門ですが、陳情に来た学習者は1人も新華門に向かいませんでした。したがって、中南海を襲撃したという事実はありません。 

 次に、「4.25」から2カ月余りの間、当時の中央弁公庁・国務院弁公庁信訪局と北京市公安局はこの陳情事件について「公告」を発表する中で、陳情者が中南海周辺に「集まった」と表現し、「中南海包囲」とは性格づけていません。

 「4.25」の翌日、1999年4月27日、国務院信訪局の責任者は新華社記者のインタビューに応じ、学習者が北京に「集まった」と述べ、「様々な気功による健康活動について、各レベルの政府は一度も禁止したことはない。異なる見解や意見を持つことは許されている」と指摘しました。これは「4.25」が合法的な陳情であったことを示しています。

 2カ月後の6月14日、中央信訪弁公室と国務院信訪弁公室の公告が中国の新聞、ラジオ、テレビで同時に放送され、いかなる気功団体も禁止したことはないと表明しました。

 これは当時、法輪功に対して高圧的な措置や迫害を行うかどうかについて、最終的な結論が出ていなかったことを示しています。数年後に明らかになった情報によると、中共の常務委員7人のうち6人が法輪功弾圧に反対していました。法輪功の性格付けについては、江沢民が中共機関紙『人民日報』の8月13日の記事で、「4.25」陳情を学習者による「中南海包囲」に改めました。

 二、江沢民の嫉妬による権力乱用

 学習者はなぜ中共の政治的中枢の近くに集まったのでしょうか? これは中共への挑戦だったのでしょうか? 「4.25事件」は中共が法輪功を根絶する決意をした根本的な原因なのでしょうか?

 1998年12月、上海テレビ局は次のようなニュースを放送しました。「今日の早朝、上海スポーツセンターは人で溢れ、市内の約1万人の法輪大法愛好者が一堂に会して普及公演を行いました。法輪功創始者の李洪志師父は1992年に社会に向けて功法を公開し講義を行い、多くの人々から歓迎されました。6年の間に、この功法は練習場所や時間に制限がなく、また意識的な誘導が不要であるなど、他の気功とは異なる全く新しい内容で人々を魅了し、独自の地位を確立しました。現在までに、香港、マカオ、台湾を含む全国各地に自発的な大衆煉功組織が存在し、欧州、米国、オーストラリア、アジアの4大陸に広がり、全世界で約1億人が法輪大法を学んでいます。これは当局記者の報道です」

 法輪功は1992年に社会に公開されました。1992年5月13日、李洪志先生は長春で最初の法輪功学習クラスを開講し、「真・善・忍」を原則として学習者の心性を高め、5式の穏やかで柔らかな動作を教えました。国家体育総局は1998年5月に法輪功について全面的な調査を行いました。9月には医学専門家グループがこの調査に協力し、広東省の1万2553人の学習者を対象にサンプル調査を実施した結果、病気治療と健康増進の総合的な有効率は97.9%でした。

 退役した老紅軍から中央高官、軍人、一般労働者、大学教授に至るまで、法輪功は短期間で人々の心に浸透し、広く高い評価を受けました。

 法輪功は中国で宗教として現れたのではなく、気功として公に大衆に向けて広められました。そのため、当時の中共幹部の中には、気功は体を強くする運動法の一つであり、イデオロギーのレベルにまで引き上げて大げさに扱うべきではないと考える人が少なくありませんでした。もしこのような見解が共通認識になっていれば、中共にとって、歴史的に犯してきた多くの罪悪から脱却する機会になったかもしれません。

 「4.25」から2カ月余りの間に、内部でどれだけの意見の相違があったのかは不明です。しかし、中共指導者の江沢民は、法輪功が民衆の支持を奪っていると考え、億単位の人々の好意と称賛が、自分を「王様」だと考えていた江の嫉妬の炎を燃え上がらせました。すでに1996年に、江は中共公安部に法輪功に注目するよう指示し、1997年、1998年には全国各地で学習者が不当な扱いを受けていました。1999年になると天津市で数人の学習者が逮捕され、この時点で法輪功の書籍はすでに出版禁止となり、一部地域では公開での煉功が許可されなくなっていました。このままでは全国範囲で法輪功は禁止される危険性がありました。法輪功の修煉によって恩恵を受けた学習者の一部は自発的に北京へ陳情に行き、通常の修煉環境の回復を望みました。

 「4.25」陳情では、当時の朱鎔基首相と学習者の間の対話は良好で、全ての問題が解決し、陳情者は静かに立ち去りました。しかし、江沢民はすぐにこの成果を否定し、2カ月後の1999年7月20日に法輪功に対する大規模な逮捕を開始し、それによって今日まで26年間続く残酷な迫害が始まりました。

 三、江沢民による「4.25」への誹謗中傷 道徳的底線崩壊の旅の始まり

 1999年以降、中共の陳情制度や条例は、1999年「4.25」の学習者による平和的大規模陳情を無視した後、完全に悪法と化し、「人民のために訴える」、「人民のために主張する」という表面的な体裁さえ取らなくなりました。

 中共は陳情制度を利用して、市民に一縷の望みを持たせていますが、彼らを待っているのは中共が張り巡らせた網状の、「楓橋経験」と呼ばれる人が人を監視する密なネットワークです。

 過去26年間、中国の人々は中共が設計した陳情という道で自分の権益を守ろうとしてきました。その理由は多岐にわたり、強制収用、偽ワクチン、汚職官僚の告発、悪の摘発、退役軍人の陳情、親族捜索の陳情、冤罪や誤審の陳情などがあります。

 結果はどうでしょうか? 周知のとおり、中共は大量の専任スタッフを組織し、大量の財政資金を投入して陳情を妨害し、その後、陳情者を秘密刑務所に収容し、さらには労働教養所送りにしたり、刑を言い渡したりしています。中国の陳情システムの完全な崩壊の起点は、まさに江沢民による学習者の「4.25」平和陳情に対する中傷、中央信訪弁公室と北京市公安局による「集会」証言の抹殺、そしてそれを口実として3カ月後に開始された「真・善・忍」への中傷と法輪功根絶のための全国的政治運動にあるのです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/6/492355.html
 
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