「4.25」の光 道徳的記念碑
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 【明慧日本2025年4月18日】今から26年前、1999年4月25日の早朝、北京の府右街には、次第に多くの人々が集まってきた。彼らは互いに面識がなかったものの、共通して「国務院陳情弁公室」の場所を尋ねていた。そして彼らは道の片側に静かに立ち並び、行き交う歩行者や車の邪魔にならないようにしていた。

 4月24日の夜、ある法輪功学習者の自宅の電話が鳴り、警察官の友人が人づてにこう伝えてきた。「奥さんを家に縛ってでも、鍵をかけてでも中南海(陳情弁公室)には行かせてはダメだ。上からの指示で、明日は誰が来ても見かけたら全員逮捕することになっている……」。その学習者は、友人の善意に感謝しながらも、翌朝にはやはり府右街の路肩に立っていた。

 彼らの中には60代、70代の年配者もおり、三反運動、五反運動、農村の合作化、公社化、大躍進、増産節約運動、反右派闘争、文化大革命など、中国共産党(以下、中共)が起こした数々の政治運動を経験している。これらの「運動」の中では、大勢の人前での批判や闘争、個人攻撃は日常茶飯事であった。

 彼らの中には、20代、30代の若者もいた。10年前、1989年6月4日に起きた天安門事件の虐殺の影は、まだ完全には消えていなかった。中共はすでに「国民のために奉仕する」という仮面を剥がし、戦車と拳銃で「反腐敗」と「改革」を求める大学生たちを武力で弾圧した。

 また、彼らの中には中共体制内の幹部もおり、中共の国民を抑えつける手段ややり方を熟知しており、中には元実行者さえいた。暴力革命によって誕生した中共は、奪い取ったすべてを暴力によって維持しようとしている。

 彼らは皆、法輪功学習者である。

 法輪功は1992年、李洪志先生によって長春で伝え出された。「真・善・忍」を修煉の原則とし、心身を修め、道徳の向上を目指すものである。わずか数年のうちに、修煉者は一億人を超えるまでに広がり、『中国経済時報』や『中国青年報』、『羊城晩報』などの各紙も、修煉者に現れた心身の奇跡について相次いで報道した。

 しかし、1996年以降、功績を焦る中共の政法委は法輪功の調査を開始し、内部的に「邪教」と位置付け、局所的な封鎖と弾圧を始めた(訳注:中国の法律では法輪功が邪教であるとは言っておらず、江沢民による誹謗中傷である)。そして1999年には、天津で法輪功学習者が不当に連行される深刻な事件が発生した。このような流れから、法輪功の全面禁止、学習の取締りが現実となる可能性が濃厚となっていた。

 修煉者たちは利益に対する執着もなく、政治的な要求も一切ないため、ただ「真・善・忍」に従い、良い人になろうとしているだけなのに、政府はそれすらも許さないわけがないだろう。一部の政府部門が長い間、法輪功学習者の穏やかな修煉環境を妨害しているのを目にし、学習者たちは「良い人間であろうとすることが、何か間違いがあるだろうか? きっと政府が事実を知らないからに違いない、だから自分たちの本当の気持ちを伝えよう」と思った。修煉を通して心身の健康を得た人、真・善・忍の教えをもとに仕事や家庭に真摯に向き合うようになった人、かつては無気力に日々を過ごしていた人が積極的な考え方になった人などが、それぞれの思いを伝えたいという気持ちで、皆が自然と集まったのだ。

 生後7カ月の赤ちゃんを抱いて来た母親、大きなお腹を抱えて来た妊婦、また家族全員で一緒に来た人たちは、ただ「法輪功は良い功法であり、人々を心身ともに健康にし、良い人にする 」と言いたかったのである。

 法輪功学習者はビニール袋を持ち、食べ残した果物の皮などをまとめ、他の人がうっかり落としたゴミを集めて拾い、警察官が捨てたタバコの吸殻を拾ってゴミ箱に入れた。

 彼らはそれを誰に言われるでもなく、静かに、淡々と行っていた。彼らが会社員なのか、農民なのか、あるいは教授や科学者なのか、人々は知る由もなく、それはもはや重要ではない。彼らは法輪功学習者という共通の身分を持っていた。

 当時その場で秩序を維持していたある警察官が、地面を指さしながら仲間の警官にこう言った。「見てごらん、徳とは何なのか、これが徳というものだ。これこそが、徳だよ」

 当時、多くの通行人が立ち止まり、「中国には希望がある!」と感嘆の声を上げた。また、学習者にこのように話した地元の住民もいた。「私たちはずっとここに住んでいて、泣いたり、叫んだり、怒鳴ったり、喧嘩したり、駆け込んだり、いろんな人を見てきたけど、あなたたちみたいな人たちは初めて見ました。こんな光景を見られるなんて、この人生は生きる価値があると感じました」

 世界最多の人口を抱える中国という国で、道徳が衰退しつつある時代にあって、これほど多くの人々が、利害や恐れを超えて、同じ日に、同じ場所へ、誰に言われるでもなく自然に集まり、真理と人としての良心を守るために自らのすべてを顧みずに立ち上がった。「4.25」は、まさに一つの壮大なそびえ立つ道徳の記念碑である!

 北京市民や現場で秩序を維持していた警察官たちまでもが、法輪功の学習者たちに親指を立て称賛した。法輪功は、まるで清らかな一筋の流れのように、久しく失われていた善良と誠実を何億もの人々の前に鮮やかに映し出したのだ。中国の伝統文化には、「身を捨てて義を取る」、「天を敬い、徳を修める」といった精神が脈々と受け継がれている。また、西洋文化には、「真理と正義を守る」という理念が根付いている。哲学者フランシス・ベーコンも「正義があるところに聖地がある」と言ったことがある。高潔な道徳は、人の心を目覚めさせ、ぼんやりと生きるのではなく、しっかりと道義を守り、流行や風潮に流されず、状況に左右されることもない。順境であれ逆境であれ、同じ姿勢で在り続ける。

 なぜこの人たちはこんなに違うのか? 法輪功とはいったい何なのか? 人々は考え始めた。

 文化大革命の10年間は、人間性が引き裂かれた時代であり、中国人の心に深い傷を残した。「乱逆は正義」と掲げられ、子と親は戦い、生徒と先生は敵となり、夫婦さえも憎み合っていた。紅衛兵は孔子廟を打ち壊し、孔子の一族の墓を掘り起こし、骨までも砕いて灰にして撒き散らした。

 伝統と道徳は、中共が次々と引き起こした政治運動の中で消滅させられた。「道徳なんて、1キロいくらの価値があるのか?」という言葉は、人々からよく言われる言葉となった。世の中の風紀は急速に堕落し、利益に目がくらみ、人々が騙し合うようになっていた。

 乱世の中で、一部の人々は鉄の肩に正義を背負い、かつてない勇気で良心と正義を守っている。まるで曇り空が突然光を見たように、中共が数十年間建設した鉄の幕が法輪功学習者の善良と勇気の前で破られた。無敵の中共が「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」法輪功学習者と向き合ったとき、中共に対する人々の恐怖は消え始めた。

 「真・善・忍」三文字に込められた道徳の力は、千鈞どころか、計り知れぬ重みを持っている。

 しかし、悪魔は善良に心を打たれることはない。世紀をまたぐ虚言と残酷な迫害の嵐は、すでに静かに計画していたのだ。そして、法輪功学習者の26年間にわたる迫害の実態を伝えることや、迫害に反対する歩みが、いよいよ歴史に刻まれるだろう。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/4/16/492659.html
 
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