【明慧日本2025年5月12日】定年退職後、私は工場を開きました。その間、私はある加工業者に製品を加工してもらい、加工費は月ごとに精算していました。加工賃のうち約1,500元がすでに2か月経っても業者からの請求がありませんでした。その後、加工の仕事を全て彼が引き取っていきましたが、その工賃について何も言いませんでした。きっと彼は忘れたのだと思います。私は心の中で「自分が払わないではなく、彼から請求が来ないからだ。もし請求が来たらきちんと払うつもりだ」と思っていました。
しかし、師父は「われわれは、人が他人に良くないことをすれば、その他人に大きな徳を代償として与えると言っています。これは普通、他人の物を横取りすることを指しています」(『轉法輪』)と説かれています。そこで私は加工業者に電話を掛けて、漏れたこの請求について知らせました。
電話をかけた後、これで心が安らぐはずだと思いましたが、特に軽くなった感じはしませんでした。内に向けて探すとやはり人心が残っていることに気づきました。相手が気づいていないお金を返すのは一体何のためでしょうか。心の中で「徳を失うのが怖い、次元が下がるのが怖い、修煉の向上に影響するのが怖い、圓満成就できなくなるのが怖い」と答えました。全て「私、私、私」のためでした。まるで立派な理由で他人のものを占有しなかったかのようですが、実際にはなぜ自分のことしか考えないのでしょうか。こんなに長く修煉して来たのに、なぜ何かあった時にまず他人を思いやる心性がまだ身についてないのでしょうか。なぜ、相手が私のためにどれほど苦労し、どれほど汗を流し、どれほど気を使ったかを考えられなかったのでしょうか。同じくお金を返すことで、旧勢力の私利私欲の道を歩んでしまったのです。本当に狡猾でした。
師父は私たちに「私」を取り除くように教えておられます。旧宇宙の根本は「私」です。もっと深く掘り下げてみると冷や汗が出ました。「毎日たくさん煉功すれば病気にならず、身体が丈夫になり、食事も美味しく感じ、生活を楽しめると思っていた。多く発正念をして邪悪を取り除き、邪悪に迫害されないと思っていた。たくさん資料を配らなければ、将来自分の世界が空っぽになり、繁栄しなくなると思っていた。たくさん法を学ばなければ、圓満成就できないのではないかと心配していた」。もちろん執着心を持ったまま法を学んでも、法理を悟ることはできないのです。
今日、私はすべてこれらの狡猾な心を暴露して、表面上は三つのことを行っていて、精進しているように見えますが、しかし基点は全て「私」のためであり、まさに旧勢力の道を歩んでいたのです。私はこれから徹底的に変わらなければなりません。
私は他人が漏らした請求を返しましたが、それが法を実証することにはなっておらず、狡猾な人心に覆い隠されてしまっていました。これからは、世人が大法に対して抱いている誤解を打ち破るために、どんなことをするにも必ず法を実証する基点にしなければなりません。世人の前に立つとき、私たちは大法の真相そのものであるべきです。
不適切なところがあれば、同修に慈悲なるご指摘をお願いします。