文/中国の大法弟子 善縁
【明慧日本2023年11月1日】私と夫は法輪大法を修煉しており、日用品を扱う小さなスーパーマーケットを経営しています。 その中で、小さなことのように見えますが、人の心に触れるようなこともあります。先日起きたあることは、未だに記憶に新しいことです。
私たちは、低価格で物を販売するので、あまり利益がありません。ある顧客は、2元(約40円)の安い商品を買う時も、ポケットに入るサイズにもかかわらずレジ袋(無料)を求めてきたり、中には、大きめのサイズのレジ袋を求める顧客もいます。その時、私はいつも「この人はどうしてこうなんだろう。2元のものは利益が出ないのに、レジ袋を欲しがるなんて。もし、みんながこのような顧客なら、私はお金を稼ぐことができないだろう。本当に人のことを配慮できない人だ」と心の中で不満に思ったりしましたが、顔には出さず平静を装っていました。
私は大きな出来ことに遭遇する時は、いつも「自分は修煉者だから、人と争うようなことはしない」と自分に言い聞かせていましたが、このような小さなことがあった時は真剣に考えず、自分が悪いとも思いませんでした。 ある時、自宅から近いスーパーに野菜を買いに行った時、スーパーでレジ袋を買わずに、手に野菜を持ったまま出ました。しかし、肉を買い忘れたので、隣の店に肉を買いに行きました。ところが、お店に入るなり肉屋の奥さんが、野菜を手に持っている私を見て、慌てて息子に「早くおばちゃんに野菜を入れる袋を渡してあげて」と言いました。 私は、奥さんの優しさに胸が熱くなり「素敵な人だな」と感心しました。帰り道、私はずっとこのことが頭から離れませんでした。たった一枚のレジ袋なのですが、肉屋の奥さんの突然の行動は、私の心に触れ、私の心を温め、そして奥さんの優しい人柄が深く印象に残りました。それ以来、私はいくつかの肉屋を通り過ぎて、敢えて彼女の店に肉を買いに行き、彼女の店の前を通るたびに、レジ袋をくれたことをいつも思い出していたのです。
師父は、肉屋の奥さんのささやかな親切な言動を通して、私に他人の立場で物事を考え、言葉と行いの大切さを気づかせてくださいました。「真の善とは、意識的に行うものではなく、無意識の言動に現れるものである」と分かりました。
師父は「皆さんは覚えていると思いますが、私はいつもこういうことを皆さんに話しています。つまり、大法弟子は如何なることをする時でも、まず相手を考えるべきです。あること、ある情況が起きた時、それが非常に小さいことであっても、私の第一の念はまず相手を考えるのです。それがすでに自然となったので、私はまず相手を考えます」[1]と説かれました。
そして私は「自分が間違っている!」と気づきました。私は自分の損得ばかりを考えており、自分の視点から物事を考えていたのです。相手が何を必要としているかを考えず、自分の基準で他人を量り、相手がすべて間違っていると考えていたのです。そのため、不満や非難が生じてしまって、それを無理に我慢していたのでした。
それ以来、私は自分自身を変えるために努力し、できるだけ相手の立場に立って考えるようにし、自分の言動、表情にも注意を払うようにしました。もし、顧客への不満が生じると気づいた時は、すぐに自分の内心に向けて探しました。客が手に何かを持っているのを見ると、すぐにレジ袋を持って行って上げました。また、客が買った商品が気に入らず、返品や交換に来た時は、私はできるだけ顧客の要望に応えるようにし、より思いやりのあるサービスを心掛けるようにしました。交換や返品に来る顧客が言いにくそうに見えたりすると、私は客が安心するように丁寧に対応しました。また、商品を紹介するときは、自分の利益の面で考えるのではなく、お客が本当に必要なものは何かと考えました。 あるとき、小さな女の子のために、ビニール袋を持って行った私を見て、嬉しそうに「おばさんは、毎日いいことをしているのね」と言いました。
私は常に自分を正し、真・善・忍の基準で自分を量り、本当に心からお客のことを考え続けています。お客からは「あなたの店に入ると居心地がいいですね。サービスもよく、品物の質もいいので、何度でも来たいお店です」と好評で、売り上げも右肩上がりになりました。
私が、無理に笑顔を作ることから、相手のことを心から考えることができるようになったのは、師父の教えのおかげです。 大法の慈悲の心が私を溶かしてくれたのです。 私は毎日喜んで接客し、彼らの言動が私を傷つけるかどうかをもう気にすることはありません。寛容な心を持って接しており、お客が壊した商品をそっと元の場所に戻したり、商品を盗んだりするのを監視カメラで見た時も、もう恨みを感じることはありません。むしろ、世の中の道徳が低下している今、大法を学べた私は本当に幸運だと思うのです。大法の恩恵を受ける機会がない人や、悪党の嘘に毒されている人たちは本当に哀れだと感じるのです! この気持ちはとても言葉では言い表すことはできないのです。
私たち夫婦は、物質主義や利益主義が蔓延する今の世の中で、誠意と優しさをもって、人々が本当に安心できる店として経営していきます。 私利私欲に溺れ、視野が狭く、不平不満ばかりを言っていた私を、利他的で心が広く道徳的に高揚した人間に変えてくださったのは師父であり、心から師父に感謝いたします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:「各地での説法二」『二〇〇二年ボストン法会での説法』