文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年12月1日】近年、魔難や関を乗り越える過程において、特に病業を乗り越える過程の中で、肉体的に非常に迫害されている修煉者を多く見てきましたが、その修煉者は、常人の間で形成された悪の観念を変えようとしませんでした。例えば、夫(妻)や家族を怒りや不快感で見ていたり、修煉者に対して理解が得られなかったりすることで、悪い考えが出てきたり、恨みが出てきたりすることもあります。魔難の中の同修は、自分が正しいと思っていて、迫害されてこの世を去っていった人もいますが、それでも、自分を変えようとはしませんでした。
様々な人心が現れてきたとしても、自分を修めることはしていません。長年の修煉を経て、外部からの圧力(以下、外圧)は大法に対する確信を変えることはできませんが、外圧の中で、常人の環境では法の基準や要求に基づいて実行しなければ、自分自身を向上させることはできません。ですから、人間的な面ではっきりと理解しなければならないのです。常人の中の善と悪、良いか悪いかは、私たちに執着心をもたらす可能性があることを理解する必要があります。
なぜ旧勢力は今のような迫害をしているのでしょうか? 彼らの次元が足りないのですか? それとも、彼らには物事の経緯がはっきりと見えないのでしょうか? 私たちはどちらでもないことを知っています。彼らは私たちとは違います。彼らは迷いの中ではなく、他の空間のことがはっきりと見えています。しかし、なぜ彼らは相変わらずそうするのでしょうか? それにしても凶悪です。師父の説法を彼らは、はっきりとわかっているのにそれでも妨害してくる、彼らを滅しようとしても、彼らが改変しないのはなぜでしょうか? 個人的には、彼らは自分に向かって探さず、歴史の中で様々な環境で形成されてきた認識や考え方で物事を見ているが、それを変えようとしない、自分の私心を見抜くことができないと理解しているのです。私心の作用の下で、彼らが見ているのは他人の欠点や不足ばかりです。旧勢力は、自分たちも法を正す中で、変えるべき生命であることさえ認識できてないのです。現在、旧勢力は大法や大法弟子に悪事を行っている中、大法や大法弟子の向上に協力していると思っており、そのため迫害を続けているのです。
大法弟子として、私たちはまだよく修めていない面があり、法の基準を満たしていませんので、まだまだ修煉を続ける必要があります。今日の複雑な環境は、修煉には良い機会ではないでしょうか? 法を正すことが終わり、天象が変わり、人々が目覚めたら、法輪功迫害の実態を語ろうとする必要はもうないでしょう。修煉したいと思っても、もう環境がないのです。
今日、旧勢力の邪悪な手段によって、悪とは何かを理解するように、宇宙にはなぜ法を正す必要があるのか、私たちは救われない生命に遭遇したときに何をすべきかを知っています。旧勢力の仕業が現れていなければ、私たちは邪悪とは何かを理解することができますか? 旧宇宙で形成された生命は、成住壊滅という法則を理解しなくてもいいのですか? 私利私欲を取り除いてこそ、最終的な結果が見えてくるのです。私たちは決して忘れてはならないのは、心性を高めることが修煉の基本であるということです。
私たちはトラブルに直面したとき、内に向かって探し、善の念を守り、私心や悪い念で物事を見てはいけません。実のところ、これが一番難しいことだと理解していますが、それは私たちがしなければならないことです。
個人的な理解ですが、適当でないところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。