【明慧日本2020年5月14日】1998年、私の家と隣人の家は共に新築することを決め、私の耕作地と隣の宅地と交換することにしました。当初は1メートル対1メートルで交換すると約束しましたが、具体的に土地を測っておらず、隣人は先を争って家を建てました。その2年後、私が新築の手続きをする時に、隣人は私が2メートルで自分は1メートルで交換しなければ、家を建てさせないと当初の約束を破りました。
経緯を知っている村人は皆それはいじめであると言って、義理の姉もわざわざ来てくれて、「相手が約束を守らなければ、交換しなくてもいい。あなたの耕作地に建てたあの人の新宅を壊せばいい」とぷんぷん怒って言いました。隣の息子が新宅でもうすぐ結婚するとは思いましたが、「私は法輪大法の修煉者だ。常人の彼らと同じにはならない」と自分に言い聞かせました。
隣人の背信行為に舅も怒っていました。私は舅に「じいちゃんは80歳も過ぎ、20年前から新築するのが夢だったけど、ずっと叶わなかったよね。今度こそ新しい家を建ててあげるから、安心して待っていてくださいね」と慰めました。舅は「お前なら大丈夫だ、信じるよ」と言ってくれました。
この話を聞いていた隣人も、自分に非があると分かっていても、土地を多めにもらおうとする気持ちは変わりませんでした。夫と隣の奥さんは互いに譲らず、夫は「あなたの家は約束を守らない」と言いました。それでも隣の奥さんは繰り返し、2メートルで交換しなければならないと主張し、話は平行線のままでした。それを見ていた私は隣人に「10メートル多めにあげますが、どうですか?」と提案すると、やっと同意してくれました。
その時、興味津々に事態を見ている村人もいましたが、大きなもめ事もなく解決したのを見て、「さすがに法輪功の人は普通の人と違うね」と言う人もいました。また、私は「大法を修煉していなかったら、このようにすることは出来なかったと思います。そうでないと、私の修煉は口ばかりね」と思いました。周りの人達は「今はちょっとした事でも争ったり、闘ったりする人が多いけれど、大法を修煉する人は、損をしても何も文句を言わないのですね。皆が大法を修煉すれば、喧嘩なんかしなくなると思います」と言いました。「大法の師父が私達に教えてくださいました。そうでなかったら、今回の事もどんな結末になったか分かりません」、こうして土地の問題が解決され、家を建てることが出来ました。当時は、自分がよくやったと思いました。
しかし、表面的には譲ることが出来ましたが、心が大法のさらなる高い基準に達していませんでした。2005年の春、試練が再びやって来ました。ある日、私が畑に水を撒いている時、東に住む隣人が来て、「隣の家にどれぐらいの土地を譲ったの? 人の土地を奪ったヤツに、罰が当たらないなんてと皆が言っている」と言いました。その話が隣の奥さんに聞こえてしまい、大きな声で罵倒してきました。その後、彼女の夫と息子夫婦も加わって来て、近所の人達も喧嘩を見に来ました。2人の年配者が隣人に「あなた達は恥も知らないの? これはいじめではなくて何なのですか!」と厳しく言いました。それを聞いて、隣人はようやく静かになり、家に戻りました。
皆が帰った後、隣の息子は手に包丁を持って来て、私に向かって「何をするつもりなのか!」と怒鳴りました。私は「畑に水をかけるところです」と淡々と答えました。その時、師父の詩が浮かびました。「多くの人間の乱れし事 重々なる恩怨を経歴す 心は悪く業は大きく望み無し 大法はすべての淵源(えんげん)を解く」[1] 。私は彼に「包丁を置きなさい。もうすぐ父親になる者がそんなに興奮してどうしますか」と諭すと、彼は包丁を地面に落としました。隣の嫁も出て来て、妊娠しているにもかかわらず、私の畑を歩き回りながら罵っていました。私はずっと黙っていましたが、彼女は「大法を修煉する人が悪い事をしている」と叫んでいました。私は「あなたは今妊娠中でしょう。赤ちゃんのためにも、あまり興奮しない方がいいわよ」と注意を促すと、嫁はすぐに静かになりました。その日の夜、隣の奥さんと嫁は一緒に我が家に来て、昼の事について謝りました。それで、今回も一件落着しました。
それからしばらくして、私は坐禅の中で、隣の嫁の赤ちゃんが浴槽に座っているのが見えました。数日後、またしても坐禅をしていた時に、胎児のへその緒が首に巻きついているのが見えました。その後、さらに3回目に見えたのは、お腹にいる赤ちゃんがぶら下がっている状態で、小さな足だけが羊水につかり、息が切れている光景でした。私はとても驚き、黙っていられませんでした。「赤ちゃんには罪がない。私に見えなかったのなら仕方がないが、何度も見た以上は知らんふりをして、死なせるわけにはいかない」と思いました。
私はすぐに坐禅をやめ、隣人の家に行って、嫁に早く病院で検査を受けるように勧めました。隣の嫁はその日に病院に行き、検査した結果、赤ちゃんはすでに羊水から出ている状態で、半日遅かったら親子ともに命の危険がありました。嫁はそのまま入院し、帝王切開手術で出産しましたが、母親の方は集中治療室に12日間入院し、赤ちゃんは28日間も保育器の中で観察され、出産と入院の費用は4万元(およそ60万円)近くかかりました。村人の中には、修煉者をいじめた罰が当たったのだと言う人もいましたが、私は親子が無事に退院した後、祝い金を渡し、「この子は真の佛に守られて来てくれたので、『法輪大法は素晴らしい』と覚えてください」と伝えました。その後、隣人の全員が「三退」をしました。
それから20年余り経ちました。その土地をめぐって、三度目の試練が訪れました。この間、息子が家の前の道を固めようとしていた時、隣の奥さんは自分の家にも所有権が半分あり、道路の半分を分けてもらわなければ、工事には同意しないと主張しました。その話を聞いて、私は心性を守れず、感情的になって、彼女に「当時、あなたの家を建てる時には、数メートルの土地を全部分けてあげたでしょう? なぜ今になって、うちの道の半分もあなたの家のものになるのですか?」と言い残して、その場を立ち去りました。
私は同修とこれらのことを交流しました。同修は「これはあなたの心性が試されているのではありませんか? 心の容量をさらに拡大させるべきだと思います」と指摘してくれました。家に帰って、私は内に向けて真剣に探しました。この20年余り土地をめぐって、表面的には放下しましたが、内心は平気ではありませんでした。師父は「一応は耐えられたとしても、内心では落ちつかないようでしたら、それでも駄目です」[2] と説かれました。また「表面的な変化は、他の人に見せるものであって、あなたが済度されうるかどうかは、自らの心の変化と昇華によるもので、それが変わらないかぎりは向上できませんし、何も得られません」[3] と説かれました。師父の法を思い出した私は、心から放下することが出来て、心身ともに軽くなりました。
私が家から出てみると、隣人の夫婦と息子はすでに道を測り終わっていました。もちろん相手が主張したように、私側の2メートルと向こう側の1メートルと交換することになりました。私は相手の主張のまま譲るように家族を説得して、無事に解決しました。私は心から変わりましたので、現在、隣人の家族と仲良くなりました。師父は「一歩引き下がれば世界が広々と開ける」[2] と説かれました。師父の教えられた通りに私が放下できると、本当に「柳暗(リュウアン )花明(ファミン )又(ユウ) 一村(イーチュウン)」[2] でした。
師父、ありがとうございます。私はこれからも法を正す道を歩み続け、さらに精進してまいります。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「大劫を解く」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「大法は利用されてはならない」