至るところに 試練は存在する
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 【明慧日本2020年4月6日】この前、明慧ネットにこのような報道文章がありました。ドイツのある女の子の大法修煉者が自身のエネルギーで、病毒の細菌を滅することが出来るというのです。このことについて同修の間で波紋が起き、意見が別れました。一部の同修は、大法修煉者の持っているエネルギーは細菌を滅することが出来る、という報道を見た中国共産党が、さらに多くの修煉者を連行して、血液を抜き取り研究することになるのではないか、そして、そのことがさらに臓器を強奪することにつながり、修煉者の身に危険を及ぼすと言うのです。このことから大紀元時報、ならびに新唐人テレビは報道を取り下げました。師父の新経文の発表後、私は1人の同修と交流しました。その交流内容について、皆さんと分かち合いたいと思います。

 師父は経文の中で、このようにおっしゃいました。「本当の大法弟子はエネルギーがあり、業力とウイルスを滅することができ、最後の時期に衆生を救い済度するための使者として、人を救い真相を伝えるとき理性的に行動するのです」[1]

 長年来、中国共産党の医者は生体から臓器を強奪することに参与しています。彼らは大法弟子の身体は健康であることを知っており、そのために臓器の摘出をずっとやり続けています。この臓器の摘出が続いているからと言って、法輪功が病気を取り除くことに、奇跡的な効果がある事実を否定していいのでしょうか? それで大法を広めることが出来るのでしょうか? これでは法理に対する理解が出来ていないほか、恐れる心があると思います。大法弟子は師父の法身に見守られており、このことについて師父は明示されています。「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[2]

 大法弟子は金剛のように動かされることなく、いかなる状況下においても、生死を放下することが出来れば、誰があなたを動かすことが出来ますか? もし、多くの同修が修煉者の身体には、病毒を滅するエネルギーがあることを実証する際、邪悪な中国共産党に薬を作る実験材料として、血液を抜き取られてしまうと思えば、それは自らが求めていることになりはしませんか? 「相は心より生じる」と言われているように、旧勢力がそれを理由に同修を迫害するのです。大法弟子の修煉は最後の最後に来てしまいましたが、心の奥深くに、わずかでもこれらの事を恐れる心がありはしませんか? 生死を放下できるか否か、これは人間と神の境目ではありませんか?

 私のわずかな認識です。不適切な所があれば、慈悲を持って指摘ください。

 ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『理性』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/3/25/402913.html)
 
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