文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年2月27日】私は2010年4月30日、土を満載した三輪車で帰宅途中、家まで後5分ぐらいの地点で、マイクロバスに追突されました。私はマイクロバスの下に巻き込まれ、意識を失いました。
気が付いた時、周りから多くの人々の話し声が聞こえてきました。皆は力を合わせてマイクロバスを片側に寄せ、押し倒したあと、私が丸くなり血だまりの中にいるのを見つけました。
私は頑張って目を開けようとしましたが、何も見えませんでした。後で聞いた話ですが、その時、私の瞳孔はすでに開いていたそうです。ある人が私を知っており、家族を呼び、私は病院に搬送され、救急処置を受けました。医師は検査のために採血しようとましたが、血液の泡しかとれませんでした。レントゲン検査の結果、肋骨が4本折れ、骨盤も骨折し、大腿骨と頭蓋骨の3分の2にひびが入り、そこから血液が滴り落ちており、手術が必要でした。
しかし、このような状態でも、輸血も手術もすることなく、ただ頭部を縫合しただけでしたが、私は奇跡的に一命を取り留めました。
実は、私は死を全く恐れていませんでした。交通事故に遭う2年前、私はすでに「死」の準備をし、わざわざお寺に行き、1年半そこで「死」を待っていました。当時、病院へ行って検査したことは全くありませんでしたが、何となく、自分が最期に近いと感じました。その時の症状は、舌の根元が黒くなり、血圧が異常で、最低血圧140 mmHg、最高血圧160 mmHg、しかも、気管、心臓、肺にまで深刻な問題があり、足も腫れ、押すと大きくへこんでなかなか元に戻りませんでした。私の家系で、叔母と父が肺がんで亡くなったので、自分もこの運命から逃れられないと知っていました。しかし、病気で苦しみながら死にたくありません。高僧たちの「涅槃」のように足を組んで座ったままの状態で死にたいと望んでいました。
実はその時、私は法輪功が自分の病気を完全に治すことができるのを知っていました。2人の遠い親戚が法輪功をよく修めて健康になったからです。当初、2人とも不治の病気を患い、漢方や西洋医学、民間療法などを試し尽くしましたが、役に立ちませんでした。最後に法輪功を学んでからすぐに回復しました。当時、中国政府は法輪功を支持していました。法輪功が江沢民に弾圧された後、私は2人を訪ねて直接聞いたことがあり、2人とも法輪功を学んだから治ったと話しました。
その後、私はもう1人の法輪功修煉者に出会ったことがあります。その修煉者は「この功法はとてもいいですよ。両足を組んで座ると、本当に心地いいです!」と教えてくれました。
私にとって最大の長所は、正直で率直であり、自分の意見を大胆に言うことができるところです。当時、法輪功について詳しくは知りませんでしたが、法輪功は病院でさえ治療できない病気を治せるところからみて、これは良い功法で、テレビで中傷する宣伝と違うと信じていました。そして、後に二度も法輪功を誹謗した人に出会った時、私はすべて勇敢に立ち上がって法輪功のために声を上げることができました。その人に「でたらめを言わないで下さい。法輪功はとてもいいですよ。本当に病気を取り除きます! 誰が本当に人の病気を治すことができますか? 法輪功だけです! 私は何人もの人が法輪功を学んだ後に病気が治ったのを知っています」と言いました。
残念ながら私は法輪功とは無縁で、仕方なく寺に行って死を待つしかありませんでした。しかし、1年半経っても死なず、また家に帰りました。そして、今回の事故が起きたのです。
入院して二十数日目、同じ病室の患者と付添人たちが世間話をし、各自がお寺で知った「法理」について話していました。彼らは私に「あなたは法輪功を練っていませんか?」と聞きました。この話を聞いて、私は怒りを抑えきれなくなり、「この中国共産党が私に法輪功を練るように言うことができますか? もし、法輪功を学んでいたら、ベッドに横たわることはなく、絶対にありません!」と憤慨しながら大声で言いました。心の中では「もし、あなた達が法輪功を学んでいたら、ここで苦しみを嘗めなくてもいいはずだ」と考えました。病室の中の十数人はしんと静まりかえって、みんな私の話を聞いていました。
40日後、私は退院しました。身長165センチで、かつて体が大きくがっちりしていた私がその時、体重は45キロしかなく、顔色も黄色でした。私はよく窓の外を眺めながら考えました。「通常であれば、今回の災難で自分はとっくに押しつぶされていたのに、しかし私は生きている。一体どの神が私を救ってくださったのか? 阿弥陀佛? 違うようです。その神は私のボロボロになった体をどうして残されたのでしょうか?」
その後、私は徐々に歩行できるようになり、よく叔母の家に行きました。叔母の家で、偶然にもう1人の法輪功修煉者に出会いました。彼女の夫は警備員でした。彼女と会う度に法輪功の話をしました。ある日、彼女は大法の本を持って来てくださり、私はちょっとめくってみて、「お、法輪功は佛家功ですね」、すぐ本を下に置いて、読もうとしませんでした。自分はすでに多くのことを知っていると思っていたからです。
2010年9月末から10月初め、私は早くも厚手の帽子や冬服を身に着けているにもかかわらず、冷たい風が耳元から頭の中に忍び込んでいるように感じました。しかし、その修煉者はショートパンツとサンダル姿でした。彼女に「寒くないですか」と聞くと、「寒くないです」と答えました。不思議に思い、好奇心にかられ、『轉法輪』の本を読んでみたくなりました。
彼女は、『轉法輪』はすでに他の人に貸したと言い、『各地での説法』を持って来てくれました。私はそれを家に持ち帰り、足を組んで真剣に読み始めました。読んでいるうちに夜になり、突然「パン」と何かが爆発したような大きな音がしました。私は驚いて「これは何? 電球が破裂したのか?」、部屋のライトは大丈夫でした。座ったまま、身を乗り出して周囲を見ましたが、ライトは明るく、何事もありません。私はまた本を読み始めました。
読み始めた時、突然、それはいつもと全く違っているのに気づきました。本の中の小さな文字をなんと全て読むことができるのです! その時、私はすでに150数度の老眼で、大法の本の大きい文字でさえ見づらいのに、今は、小さな文字がはっきり見えるのです。私は大変驚きました! うわー、これは宝の本だ! こんなに短い時間読んだだけで、私の老眼は爆破され、よくなったのです!
私は興奮して叔母の家に駆けつけ、この出来事を話しました。そして、その法輪功修煉者に「師父の全ての説法と最初から今までの大法書籍を家に持って来てください。私は法輪大法を学びます!」とお願いしました。
私は飽くことなく説法を読み、読めば読むほど理解が深まり、読めば読むほど心は明るく広くなります。師父の「常人が今日『法輪大法が良い』と言ったら、師父も彼を守るようになります。彼がこのことを言ったので、邪悪の中で私は彼を守らずにいられないのです。皆さん修煉者はなおさらです」[1]の説法を読んで、なるほど李洪志師父が私の命を救って下さったのだとはっと悟りました。
師父はまた次のように説かれています。「大法弟子が全力をあげて真相を伝えることによって、多くの人は本当にこの全てを認識し、正念は充足されています。私が思うには、これらの人はただ一般的に大法を認識しているということではなく、逆に彼らは大法のために公平なことを言うかもしれません。それによって彼は実は既に自分のために素晴らしい未来の生命の基礎を築き上げたのです」[2]
「もし大法弟子ではない普通の常人が、法輪功を迫害しないでくださいと法輪功の良さをもう一人の常人に教え、その人が本当に法輪功を迫害しなくなり、今までの影響を挽回したら未来に入ることができるかもしれず、法がこの世を正す時に法を得るかもしれません。彼の生命は高い次元から来たものなので、修煉も速く進み、彼の圓満成就は当初真相を教えてあげたその人と直接関わっています。あの普通の常人も、私が思うには圓満成就すると思います。このような道理ではありませんか?」[2]
師父はずっと前から私を見守ってくださっていたことを、私はますます確信しました。私が他の人に「法輪功はとてもいいですよ」、「でたらめを言わないでください」と話した時、師父はすでに私を守り始めてくださっていたのです。その時、私は何も知らず、多くの回り道をしました。私はとても苦労して師父を探しましたが、師父が私を大法の入り口まで導かれるのも大変ご苦労されたことでしょう! 今、師父が私の人身を残して下さったのは、私に法を得させ、修煉させ、師が法を正すことを手伝い、人を救うためです。この全てが分かり、しばしば涙がとめどなく流れます!
現在、大法を修煉して10年近く経過しました。体重は75キロになり、顔はつやつやして赤く、生き生きとして、毎日無限のエネルギーに満ち溢れています。春夏秋冬に関わらず、私は無病で全身が軽く、毎日法を学び、人を救い、師が法を正すことを手伝っています。