文/黒龍江省の大法弟子
【明慧日本2019年10月26日】最近、私は大手会社に就職してから、色欲心の邪魔や試練に遭いました。新しい仕事は楽でしたが、男性の同僚との付き合いの中でなかなか心がうまく制御できませんでした。
自分の色欲心は修煉によって取り除かれているので、もうほぼ無いものと思っていました。しかし新しい会社に入ると、ここの同僚は全て優秀な人材の中の精英達で、その中の1人の男性の同僚がどうしても気になりました。それでこの優秀な男性が好きだ、という色欲心を取り除かなければなりません。
最初の1カ月、私は色欲心に操られて良くない思想や、良くない行動をとってしまいました。頑張って法を暗記しても、愛慕する気持ちが湧いてきてなかなか制御できずにいました。明慧ネットに掲載されている、心を修め欲望を取り除く文章をいくら読んでも、効果は少ないと感じました。集団学法に参加して多く学法をすると、心が少し静まると感じましたが、根本的には取り除くことが出来ませんでした。
昨日、二つの夢を見ました。それは警察官が私を捕まえようとして、いろいろな所で私を探しており、一生懸命に逃げてもなかなか逃げ切れないという夢でした。煉功の時、どうやってこの色欲心を根本的に取り除けるのかと考えていると、一瞬にして、思想上で見分けることが出来ました。
それは色欲の思想は本当の私ではない、後天で形成された観念や執着であり、それが自分だと思ってその思想に従っていました。この色欲心を取り除きたいのなら、まず思想上の色欲によって湧いてきた各思想が、自分ではないことを見分けられるようにしました。本当の私は心静かで自然に任せる状態です。今思想の中に湧いてきた各感情や思想、それに画面の全てが色欲心によって湧いてきたもので、消去すべきものです。私はこれらの思想を消去し、色欲の霊体も消去し、さらに、旧勢力が押し付けてきたモノも全て消去しました。この瞬間に私の思想がやっと静まり、徹底的に色欲心のコントロールを振り切ったように感じました。
師父は、「修は己にありて、功は師父にあり」[1] と説かれました。色欲心を取り除く過程で、私はこの法の意義をもっと深く理解しました。修煉者として私たちは必ずその執着心である色欲心を取り除こうとする願望や努力があって、初めて、師父は私たちの執着心である色欲心を取り除くことができます。師父は、「修煉では必ず自分を見つけ、自分を修めなければなりません。もし自分をわきまえることができれば、あなたは『これは私ではない。あなたは勝手に考えなさい。本当の私は入静する。あなたがむやみにいつまで考え続けるのか見てみよう』と考えればいいのです。つまり、それを他人の考えだとするのです。もし本当に自分を見つけ、それをわきまえることができれば、この方法でもいいのです」[2] と説かれました。
しかし時々この執着心が強い時、自分に錯覚を与えて、思想の上で本当の自分と執着心を見分けたとしても、役に立たないという錯覚を感じますが、実は多くの執着心と良くない思想が一層一層で取り除かれているのです。まだ取り除いていない層があるから、この執着心がまだあるように感じます。だから、常に見分けられることと常に各執着心を取り除くことが大事です。執着心が大きくなったら、修煉者に良くない状態がもたらされます。もし、私たちがその執着心に従って良くないことを行なえば、邪悪の迫害の口実にもなります。また、私たちが常人の基準で自分を測ると常人と混同することにもなります。
私たちは正法を正す時期の大法弟子なので、大法の基準だけに照らして何事も行なうべきです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会での説法』