大法を修煉し 強情な私は変わった
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 【明慧日本2020年8月26日】私は今年71歳で、法輪大法の修煉を始めて22年になりました。修煉を通じて私は人生の究極の真理を知り、他人のことを考え、他人のためになることは貴い状態であると分かるようになり、自分自身に大きな変化が生まれました。

 一、修煉をして私は変わった

 私は小さい時から強情な性格で有名でした。頑固で気が強く私がかんしゃくを起こすと、親を含めて誰も私を説得できず、時には自分の頭を壁にぶつけ、死んでも曲げようとしませんでした。子どもの頃から私の物なら、例えば櫛など、母でも妹でも、誰にも触らせませんでした。

 また、私は潔癖性なので、私の弁当を誰かが一口でも味見したら、私はお腹が空いても絶対に食べようとしませんでした。結婚した後、夫と食事をする時にも別々の皿を使い、一つの皿におかずを盛っても、自分の手前のものだけを食べ、夫の箸が私のところでおかずを取ると、嫌で食べられなくなり、すぐ皿に残っていたおかずを全部捨てていました。

 子どもが小さい時、私は毎日早朝3時頃に子どもたちを起こしてから掃除を始めます。布団を片付けた後、床も窓もきれいに拭き、3人の子どもを小さな椅子に座らせてベッドに触らせませんでした。夫が夜勤を終え家に帰っても、きれいに整えた布団を使わせず、夫はベッドで小さく横になるしかありませんでした。

 私は中国共産党(以下、中共)の党文化の影響で、中華民族の伝統的な美徳を知らず、女性は善良でやさしく賢く、夫を思いやるべきであることも知りませんでした。家で私の言うことを聞かない者はいないと思う程、実に利己的で自己中心的でした。私は自分のことしか考えておらず、他人の気持ちや、他人を傷つけることなど思ったこともありませんでした。

 法輪大法はそんな私を変え、生まれ変わったように私の人生が変わりました。

 1998年7月12日は私の人生の分岐点となりました。その日、我が家の経営する小さな工場に取引先の社長夫婦が訪れ、私に法輪功を紹介してくれました。木工工場の社長さんは以前に遭遇した火事の話をしてくれました。彼は所有していた古い2階建ての建物を事務所として使っていました。ある日の夜、突然配電盤から出火しました。夜勤の人は老人で、火が燃えているのを見て、慌てて火元の配電盤にバケツの水を撒いてしまいました。その結果、火がたちまち勢いを増して広がり、建物がほとんど全焼しましたが、社長室だけが無事でした。それはテーブルの上に置かれていた1冊の法輪功の本、『轉法輪』のお陰だと言いました。また、奥さんは以前お腹に腫瘍があり、治療するために5、6千元もかけましたが治りませんでした。しかし、法輪功を修煉してから間もなく完治したと言いました。さらに、子どもさんも大法の奇跡を体験して、今は一緒に修煉していると教えてくれました。

 社長夫婦の話を聞いて、法輪大法はそれほど超常的で、素晴らしいと感じ、私も書店に行って『轉法輪』を買おうと思いました。奥さんは私に「先ずあなたに1冊お貸しします。読めるなら縁があるということです。読んでも頭に入らなければ、縁がなくダメなのです」と言いました。

 翌日、奥さんは私に1冊の『轉法輪』を持ってきました。当時、私はミシンで枕のカバーを縫っていました。私は本を受け取りその場で読み始めました。すると、頭のてっぺんから石のようなものが圧して来たように感じたので、原因を聞きました。奥さんは私の根基がいいかもしれないと言いました。根基って何かとさらに聞くと、奥さんは笑顔で「あなたには縁があるかもしれないから、学んでみてください」と言いました。

 奥さんから、我が家に近い公園に煉功する場所があると聞きました。興奮して一晩も眠れず、このことばかりを考えていました。以前、私は中共の無神論の影響を受け、神も鬼も信じませんでした。その日、私は早朝の3時頃に起きて公園に行き、南のゲートから入って探した結果、北のゲート付近で煉功場を見つけました。たくさんの人が煉功をしているのを側でずっと見ていました。

 輔導員は親切に私に煉功を教えてくれ、また集団学法の場所も教えてくれました。私は午後4時から教えてくれた場所を探し、午後6時頃にやっと見つけて、皆と一緒に学を始めました。それから今まで22年も続けています。

 夫は私と同じ日によその地域で大法に出会いました。以前、夫は長春の第一招待所と第二招待所の内装工事をしている時に、他の人から法輪功を紹介されましたが、信じなかったので機会を逃しました。大法を学び始めてから、私は「なぜこのような素晴らしい大法をもっと早く学ばなかったのですか」と夫を責めました。

 法輪功を修煉する前、私は肝臓、腎臓、気管などの病気を患っていて、腰椎の四つの骨のヘルニアが原因で、自力で起きることが出来ず、足と腰の痛みで苦しんでいました。また、毎年冬になると、気管支炎の注射をしないと息苦しくなり、ひどい鼻炎で頭痛を起こしていました。鼻からのどまでナイフで切られたように痛く感じ、黄色の膿が流れました。

 修煉を始めてから、『轉法輪』を学ぶ時、師父が私のために身体を浄化してくださいました。ある日の夜、私はうつらうつらしている時、石のようなものが頭のてっぺんから下へ押してきて、鼻のあたりが圧迫されてつらく感じ、我慢できなくなったときに、突然、鼻にいきなりそよ風が通ったように感じました。その日から鼻炎が完治し、それから1カ月後には腰と足の痛みも消えました。

 ある日の夜、私は眠ろうとしている時、突然自分の身体の脈の太さが指ほどになり、しかもそれは雪のように白かったのです。私はふとベッドから立ち上がり、夫に教えると、夫は「それは素晴らしい事だ。師父があなたのために脈を通してくださっているのだ」と言いました。それから全身の病気がなくなりました。

 今日まで22年間、私はすでに薬と無縁になり、心身ともに健康になり、この喜びはお金では買えません。

 法輪大法は本当に素晴らしいです。気が強くて強情な私を完全に変え、大法の「真・善・忍」は私を善良で寛容な人間に生まれ変えさせたのです。

 二、大法の奇跡を体験する

 私は少し太っていたため、最初、坐禅をする時、片足を組むことが出来ませんでした。当時、娘はすでに結婚し、他の2人の子どもは地方で勉強していて、夫も県外で内装の仕事をしていました。私は1人で家にいて、毎日夜遅くまで足を組む練習をして、何度も何度も失敗しても諦めず、ようやく1カ月後に片足を組んで坐禅が出来る様になりました。

 両足を組んで坐禅をするために、私はさらにベルトやネクタイで足を固定して首に掛けて練習しました。2カ月ほど経ったところでやっと両足を組むことが出来るようになりました。まだ2分しか組めませんでしたが、私にとって大きな躍進でしたので、とても嬉しく思いました。

 足を組む時間を毎日少しずつ伸ばしていくうちに、10日余りで30分の坐禅が出来るようになりました。夫や子供たちが家に帰って来ると、私はダイニングキッチンで椅子やテーブルを移動してから煉功をしました。ある日突然、師父の法身が私を囲んで座られているのが見えました。法身の髪は巻いていて、道士の風貌の法身もおられ、身長は普通の人と同じように見えました。

 表現し難いこの素晴らしい光景を自分の目ではっきり見てから、私はさらに精進するようになりました。煉功のほかに、毎日家事をしながらも師父の『洪吟』を暗唱し、忘れたところがあれば、その場で本を開いて確認してから続けました。

 しかし、1999年7.20以降、江沢民は中共を利用して法輪功への残酷な迫害を引き起こしました。私は不当に判決され、人間界の地獄とも言われる黒龍江省の女子刑務所に監禁されました。刑務所の中で、受刑者たちは指示されて私を殴ったり、罵ったりし、私を暗くて冷たい小さな部屋に閉じ込め、両手を後ろからベッドの柱に縛りつけ、早朝から夜9時まで座らせました。寒い冬でしたが、素足で靴下も履かせないし、敷き布団も掛け布団もない冷たい板のベッドの上には虫が這い回っていました。

 やっと夜9時になって寝ることが許されても、両手を後ろから縛られ、さらに手錠でベッドの柱に掛けられた状態で仰向けに寝ると、十数分間だけで背中が硬い金属の手錠にふれ痛くて我慢できません。身体を横にして肩を板に付けると、しばらくして腕がしびれてきます。それに私の腕は短いので、身体を横にすることができず、両手は大きく腫れました。私は毎夜毎夜座って寝るしか出来ず、私を監視する受刑者も見るに耐えられなくなり、そっと入って来て、手伝って私を寝かせようとしましたが、どうしようもできませんでした。私はこのように昼も夜も縛られて、座ったままでまる8日が経ちました。8日目に、奇跡が現れました。私はどうやって身体が横になったか自分でも分からず、とにかくその夜はとてもぐっすりよく寝ました。私の身体に一枚の布団が掛けられ頭の上に暖かい光が私を照らしているように感じました。その素晴らしさは言葉で言い表し難いものでした。しかし、目が覚めると布団もなく、その暖かい光もありませんでした。目に見えたのは依然として暗くて冷たい牢獄でした。

 私が超常的な奇跡を体験したことで、中共の宣伝してきた無神論は人を騙すもので、人を害するものだとはっきり分かりました。

 三、心性を高めてくれる嫁に感謝する

 次男はある大学でコンピューターを専攻し卒業してからも、彼女を探そうともせず、もちろん結婚しようともしません。この状態のまま40歳になりました。

 数年前、次男は仕事の関係である女性と知り合いました。女性の夫は既に亡くなり、大学生の息子がいました。次男はその女性と意気投合し、ついに結婚することを決めました。お正月前、次男が家に帰って来た時に私に話してくれました。私は女性に会いましょうと電話で伝えましたが、承諾してくれませんでした。

 私は次男に「2人の事に干渉しませんが、一つだけ条件があります。それは法輪大法に反対しないことです。なぜなら、人間は神によって造られたからです。西洋にも東洋にもこのような伝説があり、神が人間を造る時、人間であるべき基準や決まりを与えました。しかし、現在、中共の無神論の操りの下で、人々の道徳が失われ、神佛に反対し、佛法を誹謗し、そして佛を迫害する事で大きな罪を犯しました。将来、大疫病などの災難が起きて人間を淘汰する時には、このような人が最も危ないのです」と言いました。

 大法を修煉していなかったら、次男のこの結婚相手に賛成しなかったと思いますが、今の私は他人のことを考えるようになりました。私は将来の嫁が大法に反対しないことで、良い未来があるように願っていました。

 次男は正月の4日に女性の家を訪れましたが、10日には、我が家の前に1台の大きなトラックが停まりました。トラックには女性の荷物が積んであり、そして次男は女性とその息子をいきなり家に連れて来ました。私は自分の部屋を空けて、他に居場所を探し、昼は家に戻って来ました。

 私が家で発正念をする時、嫁は静かにしてくれます。時々、私が作った料理を嫁は食べようとしませんでした。後で分かったのですが、私はコーンスープが好きでよく作りましたが、嫁は嫌いなので食べませんでした。それから、私はできるだけ嫁の口に合う料理を作るようにしました。

 しかし、私も心中穏やかでない時があります。夫は大法の修煉を放棄しないため、中共に迫害されて亡くなりました。娘と長男は結婚してそれぞれの家庭を持っています。今まで私は一人暮らしなので、生活の中にトラブルがほとんどありませんでした。嫁が来てくれて、私の修煉にプラスとなり、私は内に向けて探して心性を向上させることができると考えて、私は嫁とのトラブルから、自分を修めるようになりましたので、心性を高めてくれる嫁に心から感謝する気持ちになりました。私は嫁に大法の真相を伝え、『三退ハンドブック』や『金の種』などの迫害の実態の資料も読ませたことで、嫁は中共の共青団と少年先鋒隊から脱退し、彼女を良い未来に進ませました。

 嫁は次男に早く住宅を買うように催促しました。寒い正月にも関わらず、私は毎日物件を探し回りました。ある日、偶然に40年も会ってない昔の会社の上司に会いました。すでに老境に入っていた元上司は私を家に招き、私は老夫婦に大法の迫害の実態を伝えました。大法の素晴らしさを知り、元上司と奥さんは揃って三退をしました。元上司はとても熱心で、私を手伝って良い物件を探してあげると言い、私の電話番号をメモしてくれました。結果として、元上司の助けで、ついに理想的な物件が見つかりました。私は節約して貯めたお金で、次男に家を買ってあげました。

 私は嫁との縁を大切にしています。次男夫婦が仕事で忙しいので、私はいつも昼に買い物をして、仕事が終わった後にそれを持って行くようにしています。たまに娘が肉や魚などを持って来ると、私はそれを次男たちに持って行かせるのです。嬉しいことに、嫁の息子も中共から脱退しました。その子は今実習に入り、今年のお正月に家に帰って来た時、私にもお土産を買ってくれました。私がお年玉をあげると、「おばあちゃん、ぼくは働いてお金があるので、お年玉は要りません」と断りました。私は「あなたはまだ実習中なので、正式な仕事ではないのだから」と笑って言いました。

 次男夫婦は給料日になると、必ず私に果物やプレゼントを買ってくれます。ある時、私は不意に実家である山東省の柿が好きと言いました。それを聞いて、嫁は勤め先の上司が食べたのを思い出して、どこで買ったのかを聞き、その日のうちに私に買ってくれました。

 現在、次男夫婦はほかの地域で共稼ぎをしています。お正月や祝日になると、必ず500元か、1000元のお金を送ってくれます。小さなことですが、大法の迫害の実態を知った嫁は、中国の伝統的な親孝行という美徳を重んじるようになったのだと実感しました。

 特に今、この中共ウイルスが蔓延している中で、私は大法の迫害の実態を知る家族や親友たちの健康を心配しません。なぜなら、彼らは大法の素晴らしさを知り、中共の組織から脱退したので、いかなる災難からも逃れることが出来、素晴らしい未来に進むことができるからです。                 

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/17/410600.html)
 
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