子供弟子と共に精進する
■ 印刷版
 

文/アメリカの大法弟子

 【明慧日本2020年7月23日】大法弟子と縁を結んだ子供たちはきっと大法とも縁があると思います。私達は子供たちが本当はどの世界から来たのかを知らないので、彼らが穏便に修煉の道を歩んでいけるよう、そして、常人社会に惑わされず、大法とすれ違わないように、できる限り子供たちを導き、親としての責任を果たすべきだと思います。

 私には13歳の子供弟子がいますが、幼いころ、彼の修煉のことに関してあまり促していませんでした。2020年の初め、なぜ修煉をするのかと息子に聞くと、「師父と一緒に家に帰るの」と答えてくれました。これを聞いて驚きました。せっかく良い悟性を持っているので、私もまじめに彼を連れて共に修煉していかなければなりません。それからは、息子の学法の時間を増やしました。もう1人の同修が毎日息子と一緒に法を勉強してくれているので、非常に速いスピードで向上しています。普段の日常生活においても、私はよく大法を用いて息子を導きます。どのように法理を用いて社会現象をはかっていくのか、そして、本当の是非を認識する方法などを教え、また、息子と一緒に大法と関係のあるビデオも見ています。今では、修煉を日常生活に融合することができ、常に内に向けて自分を探せるようになりました。修煉において精進してきたので、息子の身にも色々と奇跡的な変化が現れました。先月、息子は若者弟子の交流会の中で自分のことについて交流しました。

 息子の修煉を促す過程は自分の心性の向上の過程でもあり、息子のおかげで根本的な執着が暴き出され、自分も精進しなければならないと常に気を引きしめていくことができます。「お母さん、僕たちはもう同修だよ。僕が気を緩めたらたらすぐに言ってね、お母さんが気を緩めたら、僕もすぐに言うから。お母さんと一緒に家に帰るの。ここに残っちゃだめだよ」と言われたこともあります。これまで、息子と多くのことを体験してきましたし、悟ったこともたくさんあります。ここで比較的、深く印象に残ったことを交流していきたいと思います。

 最近私は、今の仕事に対してだるさを感じ、このままでは何の発展もないと、新たな仕事にチャレンジしたくなりました。そのため、イライラしやすく、毎日ウェブサイトの応募を見ながら、自分に合う求人情報を探しています。ある日、息子に、自分は楽器の練習と修煉だけで十分だと言われて、まだ小さいのに、このような質素な生活をして、本当に良いのかと思いました。普通に生活することも大切で、極端に走ってはいけないと息子に言うと、「毎日修煉して、精進していくことに間違いはない。真・善・忍の教え通りに行なえば、皆に好かれるはずだよ」と言い返されました。

 この言葉を聞いて、自分の執着心に気づきました。やはり内心では常人のいわゆる幸せな生活を送りたいと思っていたのです。突然、「人間はこの世で生命の過程を楽しんでいるだけで、以前人間は気の毒だと話したことがあり、人間はこの世での生活の過程の中で感じたことを享受しているだけです。私のこの言い方は比較的正確です。どういう意味でしょうか?  「人間は自分で自らを司っており、自分のやりたいことを決めていると思っていますが、実はこれは後天的に養われた好みの中の習慣と執着であり、感じ方を追求しており、それだけです。本当に何かを行なうときに背後で作用を働く要素は人間の習慣、執着、観念、欲望などを利用して作用を働いています。本当の人体はこういう状況で、生活の過程で感じたことを享受しているだけです。甘いものを与えられたら甘いと分かり、苦いものを与えられたら苦いと分かり、辛いものを与えられたら辛いと分かり、つらいことを与えられたらつらいと分かり、幸せなことを与えられたら嬉しいと分かるのです」[1]と師父の説法を思い出しました。師父のこの説法を聞いた当初は、衝動を受けたのを今でも覚えています。この執着心があるからこそ、常人の社会での感じ方の追及を説いた師父の法に強い感銘を受けたのです。

 息子は今中学2年生です。ある日、性に関する授業を受け、様々な知識や自分の身を大事にすることなどを教わりました。私も師父がこの方面について厳しく要求していることを息子に言いました。すると、息子は「お母さん、心配しないで。僕は常人の生活など送りたくない。神韻に行きたいんだ。できれば和尚さんみたいに円満成就して、師父と帰るまでずっと神韻に居続けたい」と言ったのです。息子の話を聞いて複雑な気持ちになりました。喜んであげるべきでしょうか?  「自分で決めなさい」とだけ答えました。

 翌日、全体煉功に参加している時、もう少しで終わりの頃、私はじっと座っていられませんでした。目を開けて息子を見ると、彼は静かに坐禅していました。その時でした。「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」[2]と突然、師父の説法が頭の中に入ってきたのです。すると、涙が止めどなく溢れてきました。根本的な問題に触れたからだと思います。なぜ修煉するのか。なぜいまだに幸せな生活に憧れているのか。まさに師父が説かれたように「皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません」[3] なのです。

 煉功後、「煉功している時、頭から熱いエネルギーが注ぎ込まれて、体全体がぽかぽかしていた。師父は僕のことを見ているのかな?」と息子が聞いてきたので、「師父はずっとあなたのそばにおられますよ」と答えてあげると、彼はうれしそうに笑いました。「今日一日、心性を守らないと煉功が無駄になってしまうから気を付けないと」という純粋な心を持つ息子を見て、返本帰真について更に深いところまで悟ることができました。返本帰真とは何か?  つまり、常人社会に汚されていない先天的な自分を取り戻すことです。子供たちは埃を被った宝珠なのです。拭いてあげると本性が現れ、先天的な自分を取り戻しやすくなります。しかし、私たちは隙間なく泥に埋もれ、厳しく磨かなければ、本性が現れません。「修煉は子供のたわむれ事ではなく、常人のいかなることよりも厳粛で、思うようにはならないものです。いったん機会を失ってしまえば、六道で輪廻して、いつ再び人身を得るのですか!  機縁は一度しかなく、放下できない夢幻が過ぎ去ってから、初めて何を失ったかを知るのです」[4]と師父は説かれました。根本的な執着に気づかせてくれたこの小さな子供弟子に感謝しなければなりません。

 精進して修煉しなければならないと息子も分かっているけれど、時には心性を守れない場合もあります。私は様々な面において息子を厳しく教育しています。毎日学校の宿題の他、楽器の練習もあり、そして、規定外の宿題などをやらせたりしています。時々、息子はなぜ規定外なことまでやらなければならないのかと文句を言ったり、「なぜ師父は僕をこの厳しい家庭に按配したのかな」と不満をこぼしたりもします。ある晩、彼は規定外の宿題をしたくないので11時過ぎまでぐずぐずしていました。私は息子の考えを見抜いて、きっぱりと「終わらせなければ寝かせないわよ」と言いました。すると、息子は苛立ち、私を恨み始めました。深夜1時過ぎた頃、突然、巨大な黒い影が押し寄せてきたのを感じました。それは息子の形をした影であり、怨恨に満ちていました。息が苦しくなり、パッと目が覚め、すぐに息子を起こして、このことを伝えると、彼も驚いて怖くなり、体も冷たくなりました。早く発正念するよう、そして、「実は物質と精神は同一のものです」[2]と師父の説法を伝えてあげました。また、怨恨心が別空間で巨大な黒い物質を形成し、魔の作用が働き出したので、この物質を発正念で除去してこそ慈悲の心が生まれることも教えてあげました。

 私は息子と一緒に発正念し、その後、体が回復し始めたと彼が言いました。息子は私のそばに跪いて真剣に謝りました。昼間、規定外の宿題をせずにスマートフォンを弄っていたと教えてくれました。「師父は『常人の中で捨てられないような心を、全部あなたに捨てさせなければなりません。どんな執着心であれ、それを持っているかぎり、さまざまな環境の中でそれを少しずつ削り落とさなければなりません。さまざまな失敗を経験させ、失敗の中で悟らせることこそ修煉なのです』[2]と説かれた。さっきあれほど怖かったのは、あなたの怨恨心と、昼間スマートフォンを弄って生じた悪い物質が別空間の黒い物質を形成し、あなたがそれを滅しようとしているのを恐れ始めた。別空間では、あなたの正と邪の両面が戦っているのよ。悪い思想を取り除くと、別空間の黒い物質も同時に消えていき、そして、心性が高まる。これが修煉の過程よ」と息子に教えました。「本当になくなったよ。さっきよりずっと楽になった」という息子の顔には、もう暗さはすっかりなくなっていました。そして、喜びながらすべての宿題を終わらせて眠ったのです。翌日、私はこのことに関する師父の説法を探し出して、息子と一緒に勉強しました。

 今回のことを通じて、師父が説かれた物質と精神は同一のものの法理についてより一層深く理解することができました。まだ時間が残されている今、一刻も早く自分の思想を修め、そして、他人に対し、良くない考えをなくすことです。頭によくない思想が生まれた時、別空間ではそれに応じて黒い物質が生じ、魔性も拡大されてしまいます。他人を傷つけるだけでなく、自分も業力が増やされ、修煉にいらない障碍を設けてしまい、さらに苦を嘗めなければいけなくなるのです。

 師父は「なぜその境地の基準に達するまで修煉して、やっとその境地に行くことができるのでしょうか? その次元にその次元の法があり、その境地には生命への要求と生命の環境に対して基準があるからです。身体に業力があり、その空間の環境に符合していなければ、それではいけません。汚い身体では決してそれほど次元の高い空間に行くことはできないのです。ですから、必ずそれほど高い次元の境地における身体の状態に符合しなければならず、つまり業力がないということです。業力がないだけでなく、この身体の物質はそれほどミクロになり、それほどきめ細かくならなければいけません。このことは着実に修煉しない人が求めて得ようとしても得られないので、修めるしかありません。苦を嘗めて厳しい修煉を経てやっと得るのです」[5]と説かれました。

 息子はよく「お母さん、大法を修煉して本当に幸せだね」と言います。私たちは心の底から師父に感謝しています。息子は「師父への恩」が大好きで、音楽が流れる度に「師父は本当に偉大な方です!」と感動しています。

 子供弟子を連れて修煉することには大きな責任が伴います。私たち自身が精進し、自分をしっかり修煉していくことこそ、子供弟子を正しく導き、共に向上していけるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「警告の言葉」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「退職した後に修煉する」
 [5] 李洪志師父の著作:『スイス法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/12/408464.html)
 
関連文章