子供弟子から青年弟子になるまで
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年5月30日】私は1999年7月に生まれました。母は1996年から法輪大法の修煉を始めていました。私は幸運なことに生まれてから大法の中で成長し21年が経ちました。師父の慈悲に感謝いたします。昔、両足の結跏趺坐で涙を流す子供弟子でしたが、今は大学生になりました。歩んだ道には、とても多くの不足がありますが、同修たちと修煉の中の体得を交流したいと思います。

 母は、私がまだお腹にいた時、ずっと大法の音楽を流して私に聞かせていたそうです。幼い頃、頻繫に母と真相資料を配布しに行きました。自転車に乗って真相資料を配布しに行った時、風がとても強く、道の両側の木が揺れていましたが、私たちは風の中を通り抜ける感じで抵抗は感じませんでした。また神韻DVDや真相小冊子も母と一緒に配布し、あの頃の私は毎夜、母について行って真相資料を配布することを楽しみにしていました。

 成長してから、夏冬の休みには資料拠点を探して、同修のおばさん、おじさんと一緒に資料を作りました。夏休みはいつも自転車で同修の家に行き、背中は汗でびしょびしょになりますが、それでも真相CDや真相小冊子、それぞれの資料やお守りなどを、午後に行った時、装丁するのがとても楽しみでした。

 小さい頃、学法のとき集中力がなく、法を読む時いつも間違えて、見落としたり、飛ばしたりしていました。母と同修たちが私と交流して「法の全ての文字の背後には幾層もの佛道神がいて、私たちが法を読むとき、天上の幾層もの神々は聞いている、だから必ず厳粛に、真面目に法を読まないといけない」と言いました。しばらくの間、母と一緒に『轉法輪』を学び、読み間違えたら、また初めからその一段を読み直しました。だんだんと字を見落としたりすることが、少しずつ、少しずつ、減っていきました。

 大法の中で成長できたことは本当にとても幸福な事でした。あの頃、私は勉強では親に心配をさせないようにしていました。なぜなら師父は私たちにどんな時でも一人の良い人間になるように教えてくださったからで、私たち子供から言うと、よく勉強することは子供弟子の責任です。ですから、学校の先生はいつも私に好感をもってくれました。小学6年生の時、道徳の教科書に大法を中傷する内容のものが出現し、ある時テストに○✕テストが出て、先生は「答案に間違いの文があれば正しく直すように」と言いました。そのとき私が見たのは、一段落に法輪功は×教と書かれていて、私は「法輪功は×教ではありません」と修正し、「法輪功は正法で、社会に百利あって一害なし」と書きました。授業が終わってから、先生に事務室へ呼ばれ、私は先生に「教科書に載っているのは嘘で、法輪功はそのようなものではありません」と言いました。

 中学生になってから、私は美術を学ぶことに決めました。2年生のとき、美術学校で専門の勉強をしました。成長した環境は変化し、身近な同修も減りました。この期間、専門技能は向上しましたが、だんだんと大法から離れて、常人社会の染め物がめの中で汚染されていきました。

 高校生になったら、母は私が学校で大法の本読みや煉功の環境も無いと思い、タブレットを買って、大法の本、煉功音楽、伝統文化の物語などを入れました。私は学法や煉功をだんだんと弛めてしまっていましたが、慣れない環境の中で、師父がいてくださり法があることを思うと、とても安心しました。とりあえず、私はタブレットに明慧ネットを登録して、幾つかの歌をダウンロードしました。しかしあるとき人心に妨害され、インターネットが突然切断されてしまい、明慧ネットに上がれなくなりました。今考えると本当にあってはならないことでした。大法弟子が修煉の環境から離れ、精進して三つのことが出来なければ容易に常人の中に迷ってしまうのです。

 私は美術付属高校に入りました。この間、明慧ネットに投稿された同修の文章『最初のパリコミューンと新古典主義美術』を読みました。また伝統絵画や美術教育に関する交流文章を見て、私は突然はっきり分かりました。小さい頃から学校で注ぎ込まれた芸術の視点は全く変異したものでした。絵画の技法を例にとると、付属高校が受け継ぐのは、ロシアのレーピン学院からのもので、現代の変異した観念と、党文化の思想が充満しており、色は暗く濃く、重くなりがちでした。外で写生していたとき、先生は私たちに印象派を教えました。そのタッチは感情を放任する刺激的な色使いで、デッサンは人体に実際に存在しない、合わない筋肉をつけて、際立たせ、いわゆる「社会主義の力量感」としました。速写が強調する雰囲気も、綺麗というよりは汚いほうが良いという変異した魔性の美学で……、これは、学法をゆるめていた時には気づくことがとても難しく、むしろこれが正統な学院のスタイルだと思ったでしょう。

 私と同じような昔の子供弟子に目覚めてほしいのですが、私たちは常人の変異した社会環境の中で絶えず汚染されています。ですから多く学法し、法をもって交流すれば、現代の観念と迷いを突破することが出来ます。

 高校では、多くの名利と色に関係した魔難と試練がありました。正念が強い時は、関を乗り越えられますが、良く乗り越えられなかった時もありました。法を聞き、本を読み、宿舍で静かに煉功していましたが、子供の頃のような純粋さはありませんでした。それでも師父はずっと私を手引きしてくださったので、トラブルに遭遇した時、私は自分が修煉者だと思い出すことが出来ました。

 高校最後の年に推薦試験があり、毎年高校を卒業する200人の中で選ばれた40人は全国の美術学校の大学試験を受けなくても良く、直接400~500点のセンター試験の成績で美術学院に入学できます。とても多くの人がこのために手段を尽くし、前期で絶えず教師に贈り物をしたり、お金を贈ったり、コネを使ったりしていました。私は普段から成績は悪くなく、第1回の200人から60人への試験で、デザインで2位の成績になりました。しかし60人から40人への試験の時、同級生によって匿名で通報されました。(以前私が休みをとって外出した事を勉強をおろそかにしたと指摘した)これは明白に「除名」のための手段で、私の推薦を白紙にさせるためです。本当に心性の試練でした。私はすぐにどういうことか分かりました。私は修煉者で、得るべきものであれば失うことは無く、得るべきでないものなら執着すべきではありません。周囲の同級生は皆「誰々があなたを通報したのよ」と言い、私にやり返すように言いました。もし法理をもって考えるなら、落ち着いて、逆に匿名で通報した同級生を可哀想に思うでしょう。この事で、同級生達は皆その人の人柄を知り、一時の利益のために失ったものは更に貴重なものでした。

 あの事を経験して、修煉していない父や身内は私のやり方にとても驚きました。大学入試を前にして、その事で動じることなく、きっぱりと放下して感受したのは、大法が私の成長に巨大な影響を与えていたのでした。

 推薦の騒ぎを経験した後、私が更に感じたのは、師父が私を更に広々とした道へ導いてくださっていることでした。私は某美術大学に、600点を上回る成績で合格し入学しました。常人の環境ではありますが、高校の時のような官僚的雰囲気が濃い、偽の芸術環境に比べれば、大学で学ぶ芸術の環境は少し単純でした。

 中共ウイルスで、1月末に実家に帰ることになり、実家で学法や煉功をするのは中学以来でした。また同修たちと交流する環境もあって感じたのは、自分はすでに法から遠く差が大きいことで、時間も緊迫していると分かりました。

 母と私は、携帯と電子機器についての問題を交流しました。多くの青年同修はこのような問題にあったことがあると思います。特にする事が無い時、携帯をいじるのが好きで、動画を見たり、常人の友達と雑談をしたりしました。

 師父は「パソコンやゲームに依存する場合も同じ作用が働いています。同じ仕組みです。やめてしまえば、この私を死なせる気かと承知せず、どうしても画面を見るようにあなたをコントロールするのです。見ないのですか? 仕事に対しても勉強に対してもやる気がなく、頭はパソコンやゲームのことでいっぱいで、夢にまで出てくるようにするのです」[1]と説かれました。

 私が分かったのは、携帯で暇つぶしをして寛ぐのは、決して本当の自分ではなく、娯楽を享受する中で形成されたのは、強烈な現代の変異した観念で、それは常に自分を制御して、変異した思想を考えさせるのです。学法する中で悟ったのは、現在の一分一秒は、全て師父が巨大な苦に耐えられ、弟子たちのために、修煉と人を救うために与えられた時間です。あろうことに私は感染症が早く終わって学校に戻って常人の日々を過ごせるようにとばかり思っていました。

 根元を追求して発見したのは、とても深く隠されていて、師父と法を信じない心です! なぜなら小さい頃から大法を修煉してきて、私はこの方面において深く掘り下げて自分を探しておらず、自分が100パーセント確固として師父を信じていると思っていたからです。その背後には安逸心、修煉の厳粛性が分からない等があり、真に正しく大法弟子の位置におらず、あれこれの未練や執着があったからです。本当に師父に申し訳なく思っています。

 私は系統的に学法し始め、法の中で分かったことは、自分の現代の変異した観念の影響がとても重いことでした。師父がおっしゃったのは、中国から出てきた修煉者は、国際社会での表れと行為がいつもおかしいことです。自分を振り返ると、本当にとても多くの党文化の下で形成され変異した観念がありました。例えば、口を開くと嘘が出てきたり、親しくない人にいつも疑いを持っていて、心から他人を信用出来なかったり、欲望を刺激するインターネットの汚染の下で、たびたび汚い思想が生じたり等々でした。本当に多く学法する事だけが、執着を排除することが出来、何が修煉者に属していないのか、外来の邪念なのかを認識することが出来るのです。

 この投稿文は、自分の修煉過程の振り返りと整理です。以前、同修が、私に修煉過程を書いてみるように言われましたが、私は本当に法を実証することが出来ていないと思っており、大法弟子の要求に符合しないことばかりなので、書かなかったのです。でも後から分かって来たのは、これは一種の妨害であり、ずっと自分の良く出来ていないことばかりを見せ、どのようにして法の中で正し、さらに良く行なうかを考えず、悔しさと自責の中に浸って抜け出せないのです。しかしこれは師父がご覧になりたいものではありません。師父は私たち弟子に一人も落ちてほしくなく、ただ旧勢力だけが私たちに修煉させようとしないのです。もう一つは、同修の前で自分の不足を暴露する勇気がないことです。しかしそれは、この弱点をさらに拡大することになり、恐れて言えない心、強烈な面子も修煉の中で取り除かなければならないのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/5/18/406487.html)
 
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