文/インドの大法弟子
【明慧日本2019年12月21日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は2011年に修煉を始めた後、メディアで文章を書き始めました。
私は当時はラジオ局で仕事をしており、当時ラジオ局は資金を準備中で旅行禁止だったので、私たちは家で仕事することが許されていました。こうして私は英文大紀元のインドウェブサイトのために、文章を書くためのさらに多くの時間がありました。
私は同時に新聞に文章を書き、出かけるついでに資料を収集しました。このように仕事をして2年が経ちました。その後、ラジオ局の資金は完ぺきにはそろわず、いつもこのように行なうのも不適切だと感じました。
英文大紀元の仕事を行なえるようにするために、私はその他の多くの機会を放棄しました。私の心は衆生を救うことにあります。大紀元の仕事を行なう時に認識するエネルギー、思惟、知恵はみな他の仕事では感じません。メディアのために仕事を行なうことは、私の昔からの誓約であることを私は知っています。
私たちはかつてインドの大紀元新聞を試行したことがありますが、成功しませんでした。私がインドで行なうことが出来るのはただ英文大紀元のために文章を書けるということだけです。毎回の報道、毎回の旅行はみな、真相を伝える機会であり、修煉において私が向上することも助けます。
その後私は別の街に引っ越して仕事を探し、毎月15日間働き、残りの15日間はもっぱら私たちのメディアのために行なっています。私は一心にメディアの仕事をしたいと思います。
2014年4月、私はニューヨークで2カ月間のトレーニングを受けました。インドに戻った後、首都のニューデリーに引っ越しました。なぜなら、私たちのメディアがニューデリーでの記者センターを希望したからです。
私は生活の上で大きな調整をしなければなりませんでした。これ以前の数カ月間、私には適当な住居がありませんでした。夏は暑くても空調がなく、床の上で寝ました。
続く9カ月間、私は毎日18時間仕事し、同時に英文大紀元と新唐人のために原稿を提供しました。
私の仕事は大きな体力を費やす必要があり、大きなカメラバッグを背負わなければならず、込み合ったインドのバスに乗らなければなりません。多くの場合、道でインタビューするのに長時間かかります。仕事を一日行ない、夜寝る時には、腰痛や肩こりになります。カメラバッグのせいなのかはわかりません。断言できることは、これは私が修めなければならないことだということです。翌日私はまた積極的に仕事に投入し、インタビューと連絡はみな順調に行きます。
新しい街に着いて記者になり、すべてが最初から始まりました。生活条件はどちらかと言えば苦しく、そこには修煉者はいませんでした。私も他の人の支持と助けを得られません。現在(訳注:2019年)思い返してみると、どうってことはありませんが、しかし当時は、修煉が苦しく感じました。
師父は「修煉とは実に難しいものです。天が崩れ、地が陥没し、邪悪が狂ったように迫害し、生死に関わるときであっても、依然、あなたの修煉の道を確固として歩み続けられるところに難しさがあります。人類社会のいかなる出来事も修煉の道を歩むことを阻むことはできないのです」[1] と説かれました。
半年後、私たちのメディアは私が行なっているような原稿提供方式の停止を決定し、私はインドで報道する必要がなくなり、失業しました。なぜなら資金面が厳しくなったためで、他の何人かのスタッフも仕事がなくなりました。
私は落ち込み、一心にメディアで仕事を行なってきたのに、なぜ突然にこんなに大きく変化するのかわかりませんでした。私は当時ニューヨークから遠く離れており、誰かに聞きたくても答えられる人はいませんでした。
私は新しい街でどのように過ごせばいいのでしょうか? 請求書を払わなければなりませんが、どうしたらいいでしょうか? 師父が見守ってくださったいたので、私は半月以内に仕事を見つけました。私の経済状況はすぐに改善しました。
その後の2年間、私は仕事で毎月インドの異なる地方に、出張に行かなければなりませんでした。こうして私は異なる街で真相を伝える機会があり、電車の中や空港でいつも真相を伝えることができました。
新しい仕事が落ち着いてきた時、私たちのメディアは再び私に連絡を取り始めました。フルタイムで仕事をしてほしいということでした。というのもインドで新唐人を立ち上げなければならないということでした。
過去のメディアにおける経験と教訓があり、難しい状況にも遭遇したので、私は不満を抱き、管理層に対して不信任を抱きました。私は行なうことができますが、私は管理層を信任していません。再び厄介なことに巻き込まれることを心配し、さらに自分が損失を被ることを心配しました。自分が経験したことがすでに大きすぎるのだと私は思いました。
私は資料を配り、また大法の活動に参加しますが、メディアに対する誓約は忘れました。
師父は「悪者は嫉妬心によって、私のため、怒りのために、自分が不公平だと言います。善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦をもって楽とするのです。覚者は執着心がまったくなく、幻のために迷っている世人を静かに観ています」[2] と説かれました。
私はメディアの仕事の一部を兼任し始めました。毎日仕事が終わった後、夜中まで原稿を書きます。その後メディアの集団学法と交流に参加し、修煉の時間の緊迫さを感じました。私はまた人を救うことの初心を見つけ出し、人を救うことができるという着実な感覚を見つけ出しました。自分もまた誓約を履行する方向に沿って歩むことができると感じています。毎日修煉の変化を感じることができます。
常人の仕事の中で多くを学びましたが、常人の仕事の中で修煉の変化を感じることはありませんでした。再び大法の力を体験し、手元にある仕事を終わらせた後、私たちのメディアでフルタイムで働こうと決心しました。
師父は「しかし修煉者としては、他の人にとってはとてつもなく大きいと思われることを、あなたはごくごく小さいことだと見なします。あなたの目標はとても永久なるものであり、遠大であり、あなたが宇宙と齢を等しくしようとしているからです。振り返って見れば、そういうものはあってもなくてもよいものであり、大きく考えれば、そういうものはみな放下できるものなのです」[3] と説かれました。
私がインドの新唐人に参加した時、明確な仕事の目標はありませんでした。私は家で仕事をし、私たちは過去にインドの人々に対してものを書いたことがなく、現在人々に対して書こうとしており、どのようにすれば、アクセスを引き付けられるのかを試しました。
ある日、ニューデリーの街を歩いていると、突然空からたくさんの法輪が落ちてくるのを私は見ました。師父はここでの新唐人テレビ局を用いて、インドの人々を救い済度しようとなさっていることに、私は気づきました。
私たちはまだインドで神韻を上演したことがなかったので、新唐人は師父が私たちに与えてくださったインド人を救い済度するための贈り物でした。法を正す進展が飛ぶように進んでいることに私は気づき、もし、私たちが誓約を全うしなかったなら、法を正すことも必ず成就し、師父は解決方法をお持ちです。現在、師父は私たちにこのような機会をお与えになり、私たちに修煉させると同時に、自らの世界を圓満させてくださるのです。
1カ月後、他の修煉者がインドのメディアに加わり、他の修煉者たちは会社の規則と制度を定め、事務所を設立しました。3カ月後、私はニューデリーからバンガロールに引っ越し、常人を募集し始め、なぜなら書き手と編集が必要であり、私たち修煉者の人手が不足していたからでした。
募集からトレーニングまで、有効的な作業の流れが制定され、毎日私たちにとっては修煉と知識を増やす過程であり、なぜなら、私たちは全くわからないところからスタートしたからです。しかし、私の頭ははっきりとしていると感じ、エネルギーがみなぎり、頭にはっきりとした指令が届き、すべてが私の修煉と密接に関連していると感じました。
私たちも常人の従業員に向けて、はっきりと真相を伝えようという意識があり、常人の従業員に煉功を教えています。しかし常人の従業員たちは大きな挑戦に直面しました。私たちの2人の編集者はみな苦しい立場に追い込まれました。1人の編集者の両親の家と商店が焼け、もう一人はいつも様々な小さな事故に遭い家庭に多くの面倒なことが起こりました。
私は自分が2人の編集者に対して責任があると感じたので、善の心で2人の編集者の面倒を見ました。2人の編集者は修煉していないので、必要であり遭遇する問題はすべて常人のことでした。1人の編集者はいつも病気がちでした。私は編集者の1人に『論語』を読むように勧め、煉功するように勧めようと決心しました。
ある日、私は編集者の1人に一緒に座禅してみないかと聞きました。その編集者は仕事の主力で、私は正念でその編集者を支持したいと思っていました。
その後その編集者は、私たちと一緒に座禅した時、暖かい毛布の中にいるように感じた、と私に話しました。このことでその編集者の大法に対する信念が固くなり、大法の超常的な力を経験しました。
師父は「皆さんが真相を伝える事の作用は必ず連鎖反応を起こします。ある人がいったん真相が分かり、それを知るようになったら、『そういうことなのか、大法はこんなに素晴らしいのだ』と思うようになります。真相が分かった人の中に修煉しようと思う人もいれば、同情してくれる人、自らの行動をもって支持してくれる人もいます。真相を伝えることによって引き起こされた反応も、人から人へ、心から心へと広く伝わっています」[4] と説かれました。
私たちは有効的な作業工程を制定し、長期的なトレーニング計画を立てましたが、内部には多くの心性の試練があり、目標を達成できていません。その頃に私の妹の婚約が取り消されました。そのことで、私の家庭の関はさらに大きくなりました。
私たちの地区の管理層は、ベトナム事務所へ見学に行き、トレーニングと指導を受けてくるようにと私たちに要求しました。ベトナムには大きな事務所があり、ベトナム人同修の修煉環境はとても良いのです。
グループの発正念の時、私は多くの物が片づけられるのを目にしました。交流の時、常人の中で私は仕事でいい成績を上げてきたのだと思い、自分の虚栄心が強いことに気づきました。私は精進していない同修との間でもトラブルがあります。私はその後「すべてのこの状況はみな、自分の修煉状態の反映なのだ」と認識しました。
ベトナムの事務所に見学に行く前に、常人の方法で物事を行なうことに執着し、ただ仕事だけをしていました。ベトナムの同修は、毎日修煉の基準を上げ、私たちが常人の方法で問題を解決してはいけない、と私が認識するように助けてくれました。私たちにとって、すべてが修煉と関係しています。
過去に、私は眠らなくてもよくなり、それでも時間を見つけて仕事を終わらせなければなりませんでした。しかし学法と煉功に対して、ベトナム人の同修のような態度はとっていませんでした。もし2時間の五式の功法をやり終える時間がなくても、私は大丈夫でした。集団学法に参加しさえすれば、任務を全うしたことになりました。
このような態度が、私の周囲の環境に反映される可能性があります。新唐人の事務所で問題に遭った時、ベトナムグループの社長はいつも長い時間学法して、私に気づかせます。しかし私には当時まだ常人の執着があり、映画を見る時間を作りたいと思っていました。まったく社交的な生活がなく、つまらなく感じました。
私の責任は大きく、毎日多くの人の面倒を見て管理しなければならず、同修たちの生活の中のことも含め、私はたださらに精進し、その他に近道はありませんでした。
師父は「必要なとき、あなたは理性をもって、冷静になり修煉者らしく振舞わなければならず、自分の責任、自分の正念が主導的になるようにしてはじめて、あなたの本当の善が現れます。これは修煉者と神との違いです」[5] と説かれました。
私は学法の時間を倍に増やしました。毎日4時間学法します。私がベトナムから帰ってきた後、妹はもともと婚約していた人と結婚しました。妹は婚約し、別れ、また結婚ということになり、私は大法の素晴らしい力を経験しました。心優しい雰囲気が婚礼に参加したすべての人を包んでいました。
私の頭の中では常に「法輪大法は素晴らしい」という声が響いています。頭の中の他の雑念が取り除かれました。
私は「精進して三つのことを行なえば、そして一心に人を救いたいと思えば、他のことは師父が携わってくださるのだ」ということを悟りました。
時には私たち修煉者が常人の生活の中のことを心配することがありますが、実際それらのことは、私たちの修煉と直接関係しているのだということを忘れてしまいます。適切に処理したいと思っても、自分をしっかり修めるしかなく、私たちの生活のすべては修煉と関係しています。
師父は「これはみな常人社会の仕事であり、仕事は修煉ではありませんが、あなたの修煉は仕事に反映されます」[6] 、「師父は大法弟子が行なった事を認めています。皆さんが法を実証し、衆生を救い済度するという願いから行なうことは、私はすべて認めるのです。しかも、私の法身にしても、神にしても、あなたが行なってさえいれば、行なったことが更に偉大になり、更に素晴らしくなるようにあなたを助けます」[7] と説かれました。
メディアが真相を伝える内容はインドの数百万人に見る機会を与え、ある映像は1千万人以上が目にします。すべての数字が大法の力であり、一つの心を打ったことを意味しています。さまざまな映像がインドの修煉者がより多くの人に接触する助けとなります。人々の中には私たち修煉者が学校やその他の地方に行って、大法を紹介するよう誘う人もいます。
私たちのメディアグループの運営が危機に陥ったので、インドの新唐人は閉めました。ニューデリーに戻って来る前に、同修たちはいくつかの街に行って、修煉者の修煉物語を書くよう私に頼みました。私は「師父が私をその地方に行かせて、真相を伝えさせようとなさっているのだ」ということに気づきました。
ニューデリーに戻って数カ月後、私はまたニューヨーク本部へ行き、3カ月のトレーニングを受けました。私は現在(訳注:2019年)ニューヨーク・ネットワークチームの書き手です。
メディアとは特殊な修煉環境であり、特殊な場所であると私は感じます。生活、仕事、業務、すべての小さなことがみな法の原則に則って、私たちが成し遂げ計画を立てるよう要求するのです。
これは小さなことではなく、過去にメディアのような場所はありませんでした。メディアに携わるプロの人材は、常人社会のメディアの形式を通して、無私の心で衆生を救い済度し、これは過去にはなかったことです。未来の人は仰ぎ見るでしょう。意見の相違を取り除き、不満を取り除き、この機会を大切にしましょう。
ありがとうございます、師父! ありがとうございます、みなさん!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「道」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」
[3] 李洪志師父の著作:『法輪功』「第三章 心性を修煉する」
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
[5] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
[6] 李洪志師父の経文:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
[7] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」
(2019年ニューヨーク法会の発表文章)