この世に来たのは師が法を正すことを手伝うため
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2019年8月11日】私は90年代後半生まれの海外の大法弟子です。最近同修との交流をここに書き出して更に多くの同修と交流したいと思います。

 私は子供の頃、ベランダにいた時に宇宙天体の再建と解体の雄大な光景を目にしました、実に真に迫っていたその光景は今でも鮮明です。幼い時に母から『轉法輪』を読み聞かせてもらいましたが、幼なかった私は母と一緒に修煉できませんでしたが、幼い時から病気にかかったことはありませんでした、業力をあまり帯びていなかったのかもしれません。しかし、成長するにつれて、常人社会に深く迷い込みました。そのことについて師父が法の中で言及されましたが、私は修煉の事を大切にしませんでした。

 18歳の年に、私は正式に修煉の道を歩み始めました。はじめの頃、執着はあまりなく、心はとても純粋でした。毎日衆生を救いたいという強い信念だけを抱いていたため、真相を伝えれば、相手も三退に賛同してくれました。しかし、社会人になり、名利情の誘惑に負け、徐々に私は精進しなくなり、仕事に対する使命感に執着し、男女の情に妨げられ、時々刻々に精進する状態を保つことができなくなりました。今、自分にできることはただ、最後の機会を掴み、まだ修めてない処をよく修めて、できる限り力を尽くして、もっと多くの人を救いたいと思っています。

 平日、仕事の後に残業がなければ、私は真相ブースに行き、真相を伝えるか煉功することにしています。ブースに行けない日は真相を伝える仕事を見つけてします。帰宅途中にすれ違う人々に真相を伝えて、毎日三つのことを必ず実行するように努めています。真相ブースに行った帰りに、いつも屋外のベンチに腰かけて、法を暗記します。毎日『轉法輪』を3ページ、『洪吟』1篇或いは『精進要旨』半篇の進度で暗記することに決めています。状態の良い時には1、2時間でできますが、状態の良くない時に数時間かかります。法を暗記した後に、自分が持っていたたくさんの執着も突破できるようになり、自分は何故状態が良くなかったのか、修煉の中で何に躓いているのか、どの執着がそれを招いたのかを悟ることができました。法を暗記すれば、修煉状態は直ちに改善されます。真相ブースから帰宅した後、自分が眠気に襲われ、さぼることのないように、必ず帰宅前に、法を暗記することにしています。法を暗記することを続けていると、自分にある多くの常人の思惟方式が変わったことが分かります。毎日上の次元を目指して著しく躍進していることも実感できました。自分を変えたいという一念を発した時に、各次元にいる自分も変わり始めました。その次の日の朝の発正念の強度も増して、そのエネルギーが広い範囲を覆うことができます。数カ月前の自分を振り返って見て、自分がいた次元は低く、自分が信じがたい言動をとっていたことが分かります。

 法を暗記し始めたら心はとても落ち着きました。まるで自分の精進が約束された宝を得た気分でした。ですので、ここで、特に若い同修に法を暗記することをお勧めします。

 これは最後の機会であり、師父が私に長期に亘って良く修めてない部分を早く修めてほしいのだと感じました、ゆっくり修める時間などありません。例えば、私は何を行なうにも、自分の計画通りに実行できず、言葉を発する前にあまり考慮せず、相手の立場に立って物事を考えずに話します。私は「真」を修めることもあまり良くできません。仕事や生活の中で、自分の考えと実際にとった行動が不一致な時があります、自分の体面を守るためです。色欲の心もしっかり取り除くことができていません。また、週末は寝坊する癖があります、食べ物は美味しいものだけ好みます。これらの執着は自分が十分承知していますので、今こそこれらの執着を修め、取り除く決心をしなければなりません。

 この数日悟ったことですが、今から自分を円満成就した神の基準で律しなければなりません。一人の神として、どうすべきかを想像して、神ならこのように考えるだろうと自問して自分を規正します。特に情を取り除くことについてですが、神は平等であり、ある人に対し、他の人より優しく扱うとか、あることを好んで行なうとか、情に動かされ何かをすることはしません。そのため、私達は衆生を救い、慈悲を持ちたければ、情から脱しなければなりません。そうしなければ、人を救う力が足りず、救えない人が現れてきます。修煉状態が良くなければ、たった一日だけでも、衆生を救い済度することに大きな損失をもたらします。私が伝えた真相を観光客が拒否して去っていった時に、心の中はとても辛く感じ、今の次元にいる自分の無力さを思い知らされます。ある日、自分の考えを検閲してみました、自分が発した念は情のためのものが多く、行なったことの多くも情が混じっていたとわかりました。例えば、同修と交流するのが好きなところに情があり、自分を実証する心がありました。また、この仕事をしたい、あの仕事をしたくない等の考えはみな情なのです。そして、時間を無駄にする原因も情なのです。情は修煉者の理性を失わせ、修煉者を朦朧とさせ、時間を衆生の救い済度することに有効に使わせなくするのです。

 現在、法を得たいと自ら望んでいる人は大勢いると感じました。毎日出会う人々の中に、一部の人達は大法を広める対象です、残りの人達は真相を伝えて、救わなければならない人々です。道を歩いている時、列に並んでいる時、法を待ち望んでいる人々に出会います。会話は僅か二言三言だけですが、相手は修煉に対する興味を示してくれます。以前、真相を伝えたことのある同級生は今も法を学びたいと私に尋ねてきます。同僚の中にも大法の本を読みたいと興味を示してくれた人は十数人います。中には既に大法の法を読み始めた人もいました、また師父の説法の動画を見ている同僚もいます。法がこの世を正す時期が間近に迫ってきていることは明らかです。

 俗世間の名利情の虚像に惑わされないように、これらはみな夢幻なのです。法を多く学べば、主意識がおのずと強く持てるようになり、自分が行なうべきこと、どのように行なえばよいか分かるようになります。ここで私と同じように、師の法を正す手伝うためにこの世に来た青年弟子に呼びかけます、私達の救い済度を待ち望んでいる衆生の期待に背かないように、最後の時間を大切にして精進しましょう。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/28/387936.html)
 
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