文/吉林省の大法弟子
【明慧日本2018年9月15日】私とA同修は2000年に労働教養所で知り合いました。その時はちょうど弾圧の最も厳しい時期で、大法弟子達は固く法を信じ、大法の偉大さを実証し、師父の潔白を取り戻すため、次から次へと国家の陳情局に向かうため天安門に行き、国民の声、迫害の真相を伝えましたが、逆に大勢の仲間が拘禁されました。
私が労働教養所に閉じ込められた時に、教養所内のすべての同修がスタンガンで拷問されていました。それで私も労働教養所に入った途端、すぐに呼ばれて3本のスタンガンで電気ショックを受け、大法と決裂する保証書を書くように強要されました。その時、自分はまったく恐れず、最後まで大法を修煉する決意が、かえって悪徳警官たちをちっぽけなものにさせました。全身中から熱い流れが湧き出して、3本のスタンガンが身体に接触した時、ほんの少し揺れ動いただけで、すぐ止まりました。今思えば、師父がその巨大な災難を耐えて下さいました。
A同修は当時20歳を過ぎたくらいで、私と同じ監室に閉じ込められていました。彼女は若くて男っぽくて頭が良く、労働教養所を出た後、一緒に部屋を借りて衆生を救うプロジェクトを始めました。B同修とは拘置所で知り合ったのですが、彼女は拘束されて14日目でした。私も拘置所に拘束され、その苦しい環境の中で、私達はただ数時間の会話をしただけで、翌日に彼女は解放され帰宅しました。15日後、私は家に帰って彼女を訪ね、そして、チームを組んで今日まで歩んで来ました。C同修は2007年に法を得たお姉さんで、私達と知り合った時、彼女はすでに資料拠点を構えて活動していました。以下は私達がお互いに協力し、心性を高め精進した物語を話したいと思います。
2001年、A同修と一緒に部屋を借りました。当時、私達はまだプリンターがなくて、都会へ行って資料を持って帰らなければなりませんでした。主に1枚のビラのような資料で、1回受け取る分は約1万枚で、家に帰って折り畳んで袋に入れて、また他の同修にもこれらを分配しました。私達は完全に法の中に溶け込み、一粒子として全身全霊でするべき事をし、疲れや苦しみを感じませんでした。私達はよく夜になると出かけて行って、大法の福音を村の人々に漏れなく配りました。その時、何かをしようとしたら相談する必要がなく、論争したこともなく、皆が「いいですね、そうしましょう」と賛成してくれ、それから各自で準備作業に入ります。そして一夜のうちに、「法輪大法は素晴らしい」、「法輪大法は正法である」、「大法の師父の潔白を取り戻そう」などの横断幕が街の至る所に、掛けられました。時には屋上まで上って、屋上から長いのぼりを下ろしたりもしました。私達はいろんな方法で世間の人々に迫害の真相をはっきりと伝えました。しかし学法が少なかったため、修煉についての理解がまだ浅いことも原因で、一所懸命に盛んに大法の仕事ばかりをしていた結果、邪悪に隙に乗じられ、真相を伝えた時に連行されてしまいました。A同修は殴られ蹴られ、脱走した際に負傷したことによって、ひどい麻痺状態が残りました。一方私は、頭に真っ黒な布を被せられて拷問により苦しめられた後、懲役5年の実刑判決を宣告されました。
A同修は麻痺の後遺症がひどいため、家に返されました。その後、A同修はいかなる治療を受けないまま、大法の力と師父のご加護に頼り頑張り抜きました。何度も生死を乗り越えるための試練を受け、そこから脱出し、師父は毎回、彼女が生死をさ迷う中、助けて下さいました。彼女は毎回「絶対に死んだらいけない、大法に泥を塗ってはいけない」という強い一念を守り、師父の『洪吟』の中の「何も残らず」を黙念する中で、意識を取り戻しました。また、彼女は座れるようになると、資料の作り方やパソコンの技能を学び始めました。私は刑務所から帰って来た後、また彼女と仲間になりました。彼女は行動するのが不便であるため、私は彼女を背負って階段を登ったり、他の同修の機械を修理したり、衆生を救うために技術のサポートを提供しました。私達2人は手術する医者と看護婦のように、うまく息を合わせて協力しました。私は脇役になり、彼女がどんな道具を使い、次の段階に何が必要かなどをすべて熟知しています。手が空いたら、私はいつも傍で黙々と発正念しました。そして、衆生を救うことやプリンターなどの法器に向けて、師父が法を正すことを手伝うことを妨害する邪悪な要素を根絶しました。また、大法が私達に賦与してくださっている神通力で、各層の空間の邪魔な要素を取り除きました。このようにして、私達2人は今まで十数年間、協力し合って歩んで来ました。
私達は数え切れないほどの資料を作りました。DVD、小冊子、シール、展示パネル、横断幕、のぼり、お守り、卓上カレンダー、壁掛けのカレンダー、壁の印章、また、同修のために多くの大法書籍を作りました。運ぶ仕事は私が担当します。彼女の技術は高く、素早く5、6台のプリンターを同時に操作し、需要が多い時には、私達は遅れないようによく夜中まで作業しました。部屋の中には、いつも修理待ちのプリンターがいっぱい並べられており、2人は1台ずつ外しては修理しました。手が毎日、各種の色に染められ、時には何回外しても直すことができず、その時、師父が彼女の頭の中にアイディアを浮かばせたり、彼女の手を壊れている部品に接触させたりして、教えて下さいました。同修のために機械を修理する中で、これらのことは心性を修める過程でもありました。悩みがある時、自分の不満の心や焦る心、自分を実証する心などの執着心がみなさらけ出され、お互いに気づかされながら、学法を通してこれらの良くないものを取り除きました。そして私達は「師が法を正すことを手伝い、衆生を救うことができるのは、天上の神々もみんな私達を羨ましがっています!」と笑って、これらの辛さや困難さを吹き飛ばしました。
B同修はよその都市に住んでいます。そこで同じく多くの衆生を救うプロジェクトを行っており、何かの必要があれば、私達2人は全力でフォローし、仕上げてから持って行きます。その地区の機械が故障したら、皆がB同修の所に持って行きます。私達は時間がある時に行ってまとめて修理し、パソコンの技術問題を含めて、学びたい同修には積極的に教えました。B同修の言ったように、師が法を正すことを手伝うことなら、誰でも関係なく困ることがあれば、すぐに手伝いに行きました。B同修はとても精進していて、毎日午前中に学法して、午後から出かけて真相を伝え、帰って来た後、自分と他の同修の使う資料を作り、夜12時まで寝ないで法を暗記し、明慧の修煉文章を読み、毎日少なくとも10回もの発正念をします。
C同修が加入したことで、私達の衆生を救う力はなお一層よりよく発揮できました。C同修は真面目で積極的に取り組むタイプで、他の同修の所に解決して欲しい問題があれば、彼女は四方八方手を尽くして解決できる同修を探します。彼女は遅い時期に法を得たとはいえ、真相を伝え、衆生を救うことに全身全霊で参加し、伝達と連絡の役割を果たしました。私達2人は忙しい時、C同修はお姉さんのように黙々とご飯を作って、生活上の細かいところまで行き届いて援助してくれます。彼女はいつも謙虚に「私は他のことができないから、自分のできることをやっているだけです」といつも言います。
私達の間には人心による摩擦や突然トラブルが発生したりしました。たとえばある時、B同修の必要とする資料を、私達2人がカバーできないため、他の同修に任せました。結果的には、B同修は資料の品質が気に入らず、「大法はこんなに神聖なのに、精巧で美しい資料の方が相応しい」と考え、衆生に対する責任感で、その資料を受け取りませんでした。当時、両地区の通信が不便なため、誤解を招いてしまいました。私はその資料を他の地区に発送するしかなく、C同修は文句も言わず黙々と協力してくれ、なんとか資源の浪費にならずにすみました。その後、隔たりをなくすように、私はB同修の所へ交流しに行きました。まだ誤解しているB同修を見て、自分も人心を引き起こし、2人はそれぞれ自分の理を主張して、お互いに譲らず、相手が法の立場で考えていないと思いました。その上、彼女が理解してくれないことで、自分の心の中は大変残念で辛く感じ、結局、喧嘩別れになり、しばらくの間、連絡を取らなくなる事態にまで発展しました。
家に帰って学法を通じてだいぶ落ち着くようになり、この事の中で、自分は必ずどこかに間違があると明確に悟りました。表面上では、まだ自分の問題を見つけていませんでしたが、しかし、同修との隔たりを取り除かなければ、衆生を救うことに影響し、邪悪が喜びます。師父にも喜ばしい事ではないと法の中で分かりました。誰が是か誰が非かを考えずに、ひたすらに内に向けて探し、ついに自分の悔(くや)しさの背後にある同修に対する情、とても深い「情」を見つけ出しました。私は彼女と一緒に何かを行うのが好きで、好きで、衆生を救うことの出発点が純粋ではないことに気づきました。この心が見つかると、自分の空間場はパッと澄みきっていき、不平を感じなくなり、心の中では師父と大法に対する感謝と同修に対する感謝の気持ちでいっぱいになりました。再度、B同修に電話をすると伝わってきたB同修の声から、私達の間の間隔がすべて取り除かれていることを感じ取れました。大法の中で作り上げられた生命だからこそ、ここまでやり遂げられることができたのです。
A同修は十数年来ほとんど私の家に住んでいました。行動が不便であるため、一部の事を手伝わなければなりません。彼女の親戚までが「大法弟子は本当に良い人で、普通の常人なら、兄弟姉妹でさえここまでできません」と感心しました。実は、私は人心が湧いてきてもがく時もあり、利益の心で彼女と別れようと何度も考えたことがあります。しかし彼女がいなくなったら、多くの衆生を救うプロジェクトがストップしてしまいます。私は務めているため、同修の必要とする資料に対応できない上、機械上での些細な故障は直せますが、大多数の故障は修理できません。利益の心が繰り返されて出てくる中で、私は徹底的に法の要求通りに自分を修正し、法に同化することを決心しました。すると、師父はある光景を見せて下さいました。卓上カレンダーの中にある「吉祥な2人の赤ちゃん」の仲良くする場面でした。私とA同修はあの2人の赤ちゃんのように手をつないで、衆生を救うために世に降りて来たのだと悟りました。人間社会での一切の執着はすべて重要なことではなく、一緒に協力して衆生を救うことこそが私達の願望です。私達2人は多くの機械を直し、十数年間長く修理する過程で、倦怠感も現れました。しかしそんな時、師父は初志貫徹の法理を見せて下さいました。そうです、大切なのは初志貫徹することです! それは始終変わることなく、ずっと同じようにやり続けるということです。A同修と交流して、また新たに認識することができました。私達の歩んでいる道をいつまでも変わらずに歩き続け、初めの頃のように神聖な心で何事も行うべきです。すべての事が大きいか小さいかに関係なく、それらのことは、絶対に常人の普通な事ではありません。それは神聖な事です。私達は大法の清らかな環境の中で、衆生を救う過程の中で、今後どれほどの風雨に遭っても、ずっと協力し合い、法がこの世を正す時まで行い続けます!!
師父はこのように説かれています。「大法弟子よ、皆さんは濁世に輝く金の光であり、世の人々の希望であり、師に手伝う大法徒であり、未来の法王なのです。精進しましょう、世の中の覚者たち、現在のすべては、未来の輝きとなります!」[1]
最後に師父の説法で同修の皆さんと励まし合いたいと思います。「法を正す最後の時、着実に自らをしっかり修め、人を救う使命をきちんと果たしてください」[2]
また、適当でないところがあれば、同修に慈悲なるご指摘をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「祝辞」
[2] 李洪志師父の経文:『フランス法会へ』