文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年12月11日】時間はあっという間に過ぎ、知らないうちに、日が昇り日が落ち、私たちはいくつもの季節を歩んできました。私は1996年に修煉を始め、高徳の師父の大法を学んだ後、各種の疾病がいつの間にかなくなり、体が浄化され、いつでもどこでも真・善・忍に基づいて行動しました。
2011年私は真相を知らない部隊の幹部に通報され、仕事を失いました。2011年5月のある日、15、6人の私服警官が何の証明書も提示せずに我が家に侵入し、その中の1人が「あなたはどうしてこの職場へ戻ってきたのですか?」と尋ねられ、私は警官たちに「良い人になって戻ってきました」と答えました。警官たちは私を相手にせず、家中をひっかきまわし、家の中をめちゃくちゃにし、師父の写真、大切な大法書籍、真相資料をすべて奪い去りました。そして私を警察署に不当に連行し、朝まで尋問し、何も成果が得られず、私を地元の留置場へ送りました。その途中で、私は善意をもって警察署の警官と610弁公室の人員に真相を伝えました。警官たちが中国共産党のウソを誤信していることがわかり、なんとこの宇宙で未来を選択すべき瞬間が更新されている中で、警官たちは選択と行為を誤り、素晴らしい未来を失ってしまい、とてもかわいそうに感じました。
留置場に着くと、けんかや麻薬、売春などで留置場に入った衆生が大勢おり、人類社会の道徳が急激に滑落した染め物がめの中に浸され、それを見た私は心から涙を流しました。そして、この衆生たちに真相を伝えようと決心し、さらに、大法の豊かさをこの衆生たちの心の中に浸透させようと決心しました。接触できる人がいさえすれば、私はその人たちに大法の素晴らしさを伝えました。大法によってその人たちの道徳を向上させ、心を浄化させ、さらに善念を啓発しました。多くの人が三退し、その人達の素晴らしい未来のために本当に心からうれしく思いました。
ある女の子が留置場に入ってきた当時はとても内向的で、誰とも話をせず、私は善意をもってその女の子に近づき手助けしました。その女の子は両親が集めた50万元以上のお金を盗み、20万元以上もの大金を友人との遊びに使ってしまったことがわかりました。両親はカッとなってその女の子を留置場に入れてしまったのです。女の子は私に「留置場を出たら、両親とは縁を切ります」と言いました。
この女の子の言葉の中やこれらの多くの苦しみの中で、なすすべもなく立ち尽くしている幼い生命の迷いを聞き取りました。留置場の中で、私は女の子を助けて関心を持ち、温かさを与えました。そして平和に、楽しく、感謝をもって生きるべきであることを教えました。それから欲望と享楽をむさぼり、その中に取り込んではいけないと教え、人としての道理を教えました。人の事をまず先に考え、育ててくれた両親の恩に感謝するように伝え、両親の生活が大変であることを思いやるようにと伝えました。
女の子は私の話を聞いて黙って泣き出しました。師父が私たちにどのように真・善・忍に基づいて行動しなければならないかの道理を女の子に伝えました。女の子は泣きながら「おばさん、私は間違っていました。私は真・善・忍に基づいてこれからは行わなければなりません。おばさん、おばさんのことをお母さんと呼んでもいいですか?」と言いました。私は微笑みながら頷き、女の子を三退させ、この生命の希望を目にしました。
女の子が三退した翌日、私は別の場所に移されると通知されました。同じ部屋にいた人達は皆立ち上がり、私と別れるのがつらくて、黙って涙を流しました。女の子がその空気の静けさを破り、私に抱きつき、「お母さん、行かないで、私たちと一緒にいてくれないの? 行っちゃうなんてつらいわ」と泣きながら言いました。
私は「これ以後、私たちは外に出れば会える日も多くあり、悲しんでばかりいてはいけませんよ。あなた達はすでに大法の素晴らしさを知っており、素晴らしい未来があるのですよ。また、人を思いやるようにと言いませんでしたか? 今までのあなた達のようにとても迷っている人がまだ大勢います。私は他の場所へ行って、さらに多くの人達を悪くなったこの世の中から、抜け出るように手助けしなければなりません。そして、人類の本当の素晴らしさと優しさを取り戻させ、素晴らしい未来が来るようにさせなければなりません。あなた達も私と同じように、ここで得た大法の素晴らしさを人々に伝えなければなりませんよ」と言って聞かせました。
最後に私は女の子に「よく言うことを聞くのよ、早く家に帰って両親と団らんしてね。そして、あなたとここにいるすべての人達が早く家に帰れるように祈ってますよ」と伝えました。
その後、私は女子労働教養所に移され、不当に労働教養を2年科されました。労働教養所に着いた私は小屋に拘禁され、数人の警官が無理やり私の手をつかんで保証書を書かせようとしました。それを拒否した私は、書かないと食事を与えられず、体罰を受けました。私は警官の行動に影響されず、その後、別の大隊に移されました。およそ十数人の警官らと所長が順番に尋問しに来ました。そして、私を監視し、転向しないと小屋に拘禁して、カーテンを閉めて太陽の光を遮断しました。私が警官らの言うことを聞かなければ、警官らは強硬に直立不動の姿勢を強制し少しでも動くと、近づいて来て足げりし、罰として掌大の小さな椅子に座らし、眠らせず、体や服を洗わせず、トイレに行くことさえも許さず、さらに何度も口汚く罵られ、下品な言葉でおとしめ、ペンで顔を突かれ、受刑者を使って殴る蹴るなどの嫌がらせや体罰、辛い拷問を受け続けました。
さまざまな残忍な拷問を受け、その正義も道理もない暗黒の歳月の中でも、私は毅然として、リラックスしていました。それは心の中にはいつも大法があり、師父がおられ、心は大法の中にありました。数カ月におよぶ拷問や迫害により、全身がむくみ、歯がガタガタになり、目の角膜からは出血し、日一日とひどくなり、物を見てもぼんやりとしか見えず、太陽の光を見ると涙が出ました。こうして見るに耐えられない姿になった私を見るにつけ、警官らは責任を負うことを恐れ、とうとう病院へ入れて治療させました。医者は「もし治療が間に合わなかったら失明していたかもしれません」と言いました。こうして、私は何度も眼底に薬を注射されました。毎日ガーゼで目を覆い、太陽の光を見てはならず、そのまま寝たきりで横たわっていました。私はこの機会を利用して師父の経文を暗唱し、隊長に法輪功の真相を伝え、発正念し、隊長たちの背後にいるすべての邪悪要素を解体しました。
ある時、隊長が1枚の紙に師父を中傷する多くのことを書き、私に読ませようとしました。その時私はその紙を破り捨てましたが、その折、心がとても痛みました。隊長は続けて師父を中傷する映像を流しましたが、私はそれらを見たり聞いたりしませんでした。
そして私は「これらは私たちの師父を罪に陥れています。私たちの師父は良い人になるように教えてくださり、心身共に多くの恩恵を受けました。道徳が回復し、体が健康になり、心は穏やかで余裕があり、本当に正しい人、本当に良い人になるよう教えてくださいました。あなた達は私に師父や法輪大法を忘れさせようとしていますが、そのことで私は深く傷つき悲しんでいます。改めて生命を与えてくださった方をあなたは忘れろと言うのですか? 地獄から救いあげてくださった方を忘れろと言うのですか? 私の生命の源泉をあなたは忘れろと言うのですか? 法輪大法は私の心の中にいつもあり、全身の血液の中に脈々とあり、私の生命の中にあり、どこにでもあります。法輪大法は私にとって空気のようなものであり、私の生命であり、私のすべてです。私から忘れさせる方法などなく、そんなことは永遠になしえません」と強く訴えました。
数人の警官と受刑者は思考が停止してしまったかのように、茫然と私を見ていました。2時間後、別の隊長が来て私を担当しました。その時その警官は怒ったように、私の名前を叫びながら「お前は今までの物(保証書を指す)をまだ書いておらず、数カ月座り続けており、いつになったら終わるんだ?」と怒鳴りました。私は「ここに座って労働教養所を倒壊させます」。警官と受刑者は私に対してなすすべがありませんでした。しばらくして私は家に帰されました。
私が家に帰ってしばらくすると、労働教養所は本当に解体されましたが、労働教養所の警官らはやはり同じように、善良な大法弟子たちを迫害し続けています。
大法が救い済度してくださった生命として、大法徒として、神が世に在り、私たちにはさらに大きな使命、さらに大きな責任があります。各方面の衆生を救い済度しなければなりません。師父が延長してくださったこの貴重な時間を大切にし、使命を全うし、衆生が私たちに託した希望に恥じないよう、師父の慈悲なる済度に恥じないようにしなければなりません!!