文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年4月13日】私は辺鄙な村に生まれ、家庭環境が悪くて生活も貧困だったため、 勉強がよくできたものの母の反対で学校を中退し、仕事もなく毎日落ち込んでいました。見識が浅く、試練に耐える力があまりない私は物心つく頃に失恋し、うつ病にかかってしまいました。その間、病魔が絶えず襲って来て、うつ病に加え不眠症や喘息(ぜんそく)、気管支炎、リウマチ、腎炎などの多くの病気を患っていました。結婚後、長い間の不眠症と多くの病気による苦しみの中で、生きた心地がしない私は常に苛立っていて怒りやすく、子供を殴ったり、大人を罵ったりして家中を掻き乱し、暗い雰囲気の中で生活していました。
1994年の年末、夫は広州で開かれた師父の講習会に参加し、1冊の『轉法輪』を持って帰りました。本をまだ読んでいないうち、師父は私の業を滅され始めました。私は6日間高熱を出し続け、何も食べることができず、飲むこともできませんでした。心配になった夫は薬を買おうと提案しましたが、私は「すでに6日間も頑張ってきたから、ここで薬を飲めば、今までの努力が無駄になってしまうわ」と言いました。不思議なことに、その直後から熱が下がり始め、身体が軽くなったと感じた私は、起き上がることができ、その後、すべての病気が消えました。修煉して22年になりますが、今まで一度も薬を飲んだことがなく、昔の悩みや苦痛が消えて、家庭内が仲睦まじくなりました。
師父が脳を入れ替えて下さった
昔、私はよく自分の家を探せず、鍵を持って他人の家のドアを開けようとさえしていました。また、4桁の電話番号すら覚えることができず、いつもイライラして他人に喧嘩を売り、出勤してから1時間も経たないうちに眠気と疲れに耐えきれず、オフィスの机に俯せて寝ていました。
修煉を始めて間もなく、ある夢を見ました。天上から十数人の医者が降りて来て、私の後頭部の首筋を切り開き、そこから2寸幅の白い帯を引っ張り出しました。引っ張られているうちに、私の頭の中でカタッという音がして帯が切れました。その後、ある背が高い男性の医者が診断書を高く掲げました。よく見るとそこには私の名前と「脳癌」という大きな二文字が書かれていました。それを見た私は「私は大法を修めているので、怖くありません!」と言いました。目が覚めた後、奇跡が起きました。
その日から突然、私は頭脳が明晰になり、イライラする気持ちが消えて、すべての症状が消え、心が明るくなりました。出勤して12時間が経っても疲れを知らず、記憶力も良くなりました。師父は新しい脳を入れ替えてくださったのです。師父に感謝いたします! 大法に感謝します!
師父が新しい脚を入れ替えて下さった
外孫を学校に行かせる途中、誰かに背中を押されたように私は平地で転倒し、大変な痛みを感じました。ある女性教師が走って来て私を起こそうとしましたが、自分で頑張って起き上がりました! 足元を見ると、爪先が横向きになっていました。私は力を入れて爪先を元に戻しながら、「私は煉功者だ。大丈夫」と思いました。正念に支えられて6階にある姪っ子の家に戻り、ベッドに横たわりました。
翌朝、足首が茶碗の口ほどの大きさに腫れ上がり、足全体と脹脛(ふくらはぎ)は濃い紫色になっていました。「610弁公室」の責任者である姪っ子の主人は「気力はありますか? あるなら起きてご飯を作って下さいよ。子供を学校に送ることすらできないようでは、どうしますか? うちの主任は捻挫して半年ほどベッドから降りることができず、今でも骨の間から水が滲み出ているそうですよ」と言いました。
私は黙々と師父に助けを求め、「どうか実際の行動を通じて、大法の素晴らしさを実証できる力を下さい!」と願いました。ベッドで1日休んだ後、私は起き上がっていつも通りに子供を学校に送り、買い物や食事の用意をしました。足の腫れ具合や色はまったく変わっていませんが、痒いだけで痛くはありませんでした!
ある夜、夢を見ました。一匹の白馬が仰向けに倒れていて、一つの足がつやのある竿(さお)でした。突然、空から一つの蹄(ひづめ)が飛んで来て、ちょうど竿の上にはまりました。ちょうど目が覚めた後に、師父が私に新しい足を入れ替えてくださったと悟りました。数日後、足の色は紫から青に変わり、その後、完全に治りました。
大法による奇跡を目にした姪っ子の主人は、私にこう言いました。「もう、法輪功を管轄する仕事から外してもらいます。セメントを買って、県長と道路づくりに取り掛かります」。その後、彼は私のために黒い鶏を買って来て、「この歳になって、自分の母にも買ってあげたことはありませんよ。お正月に私の母のところに大法の素晴らしさを一緒に教えに行きましょう」と言いました。
昔の障害児が才子になる
息子はずっと私の気がかりの種(心配の種)でした。彼を出産する時、難産のため医者は母親の命を最優先すると決めました。母はひたすら天に祈りを捧げ、やっと彼の命が助かりました。出産時、息子の頭はペンチに挟まれて大きな肉の塊がちぎり取られ、床に落ちた時は大きな音がしました。新生児の彼は首が曲がっていて、目線もぼーっとしていました。
産後7~8カ月になっても、息子は寝返りを打つことができませんでした。その後、災難は相次いでやって来ました。保育所にいた時、彼は3段ベッドから床に落ちて、頭をコンクリートの地面に打ちつけ、頭蓋骨に亀裂が入って、数日間昏睡状態に陥ったことがあります。6歳の時には、流行性脳膜炎を患い、一緒に入院していた3人の子供のうち、彼だけが死を免れました。保育所に行っても、彼は毎日ぼーっと座っているだけで、人から殴られても避けることを知りませんでした。
最も悲しいことは、彼が障害児であることを周辺が取沙汰していたことです。私は心を痛め、常に泣いていました。ある日、予防薬を届けに来た会社の上司が7歳になった息子を見て、指差しながら「彼はどうしたのか?」と聞きました。それから会社では、誰それの障害児は男女も見分けることができないという噂が広まりました。それを聞く度に私はひそかに涙を流していました。学校は言うまでもなく、ほぼ全科目の成績が零点でした。私は保護者会に1回も顔を出したことがなく、その後は、彼の成績などは聞かないことにしました。ただ、彼は絵を描くのが大好きで、家の壁や掛け布団などにびっしりと小人を描いていました。
私が大法を修煉し始めた頃、子供はすでに高校に進学しました。私は息子に「母の後に付いて、一緒に『轉法輪』を読もう!」と誘いました。数ページほど読んだとき、奇跡が起きました。ある朝、目が覚めた息子は私にこう言いました。「お母さん、昨夜私は古い城の中で一晩中歩いていました。人間はそもそも猿から変わってきた訳ではありませんよ! お母さん、私は第二次世界大戦時に海底に沈んだ船を見つけることができますよ...」
その後、息子は私と一緒に修煉を始めました。師父が智慧を開かせて下さったお陰で、彼は東北師範大学と北京電影学院の両方の有名大学に相次いで合格し、その後、北京の清華大学で研修を受けたこともありました。昔の障害児はハンサムな才子に生まれ変わりました!
近頃、彼は絵画で少し有名になって、歌やダンスも少し名を馳せる(なをはせる・ 世間に知られる )ようになり、彼のファッションデザインもアジア太平洋地区で金賞を獲得しました。今、彼は映画製作のステージマネージャーを勤めています。
大法は私と子供の運命を大きく変えました。以上のすべては、師父がすべて授けて下さったものです。再び師父と大法に感謝を捧げます!