大法の書籍を大切に扱う
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年3月27日】師と法を敬うことの重要性については、同修の誰でもよく分かっていますが、しかし、実際の修煉の中で、師と法を敬わない現象が少なからず起きています。ここでは、この問題を重視し、それによって自分の修煉に障碍をもたらさないよう、そして、他の生命に余計な損失を与えないよう、師父にご苦労をかけないように同修達に呼びかけたいと思います。

 まず、『轉法輪』をどこにでも勝手に置く問題です。いつも法を学んでいるため、一部の同修は便利さを求めて、『轉法輪』を机の上、ベッドの上、布団の中など、どこにでも勝手に置きます。しかし、『轉法輪』は常人の書籍ではなく、私達の修煉を指導する宇宙の大法なのです。ぞんざいに扱ってはいけません。このような習慣のある学習者はくれぐれも観念を変え、この問題を重視し、大法の本を大切に扱ってほしいのです。方法としては、例えばきれいな紙箱を購入し、本を中にしまい、使う時に取り出し、使わない時には戻して蓋を閉めたらどうでしょうか? こうすれば、師と法を敬わないことがなくなります。

 次に、法を『明慧週刊』や資料と一緒に置く問題です。中国国内の環境がとても複雑で、中国共産党の法輪功への迫害があり、その上、恐怖心もあるため、これまで、これらのものを勝手に、適当に一緒に置いたりする現象が遍在します。一部の人は大法の本を週刊や資料に挟んだり、また、一部の地域の人は、発正念の資料、交流文章を経文と一緒に置いたりしています。また、『洪吟』を暗唱するため、中の詩をチラシや壁、或いは適当に紙に写し、暗唱が出来たら、それらの用紙を勝手に散らかし、その後、自分もそれを忘れ、時間が経っても整理せず、それを汚したり、常人のものと一緒にしたりして、師父に何度も注意されても気づかず、悟らない人もいます。そうした場合、もし、法をしっかり学んでいなければ、そして、内に向けて探すことが出来なければ、病業の仮相が現れて来るでしょう。そうなった場合、自分と全体の修煉に障碍をもたらしてしまうだけでなく、さらに、命の危険性もあり、旧勢力に隙に乗じられ、肉体を奪われる事にもなりかねません。

 同修達に、「いくら忙しくても、必ず時間を作って、面倒がらないで、自分のものをきちんと整理してほしい」と提言したいのです。中国の同修はこのような環境にすでに慣れてしまいましたが、大法を実証することであれば、誰でも力を惜しまず積極的に行い、法輪功の真相シールを貼るとか、真相を伝えて人を救うとかは、とても真剣に取り組んでいます。しかし、家の片付けや大法の書籍、法輪功の資料の整理整頓になると、時間がないと、面倒がって時間をかけたくない人が多くいます。

 実はどんなことでも完璧に仕上げるのは容易なことではありません。しかし、それは心を修める過程ではないでしょうか? 観念を変えて、しっかりやり遂げなければならないと認識すれば、きっと良い効果が出るでしょう。一旦きちんと整理出来たら、決まった場所にそれらのものを置き、決めたルールを守っていけば、1週間ほどで良い習慣が出来上がります。このように継続すれば、心性を修めることになるだけでなく、師と法を敬うことにもなるし、一石数鳥ではないでしょうか? このようにやるべきではないでしょうか?

 部屋の片付けについてですが、一部の同修は、「人を救うのが最優先で、もっと多くの時間を人救うことに使うべきだ」と主張しています。確かに、人を救うことは大法弟子の使命で、すべての大法弟子は自らの誓約を果たさなければなりません。しかし、私達は他に何もしなくて良いと言うわけではなく、真相を伝えることと家の掃除と対立させてはいけません。常人の中にも、「家の掃除ができない者に、どうして天下の掃除ができるのか?」という言い方がありますが、私達は毎日法を学ぶ場所、生活をする場所に、ハエや蚊の死骸があって、ネズミが出没していいのでしょうか? 部屋の中には蜘蛛の巣が張り、戸棚や、テーブルの上にほこりが積もってもいいのでしょうか? ごみを何日も片付けないで、家の中も外も清潔でなく、それでいいのでしょうか? ちり一つないまでにする必要がなくても、清潔で、きれいな空間を保つべきではないでしょうか? しっかり行なっていなければ、それは漏れがあり、修めなければならないのです。

 ある同僚は実家を訪ねました。母(同修)はちょうど外から帰って来て、全く何の準備もない状況の中で、突然訪問してきた同僚を家に入れました。同僚は帰って来て、とても感心して、「あのおばあさんの家はとても綺麗で素敵でした。おばあさんもとても健康で美しくて……」と絶賛しました。世間の人は生きているマスコミです。家の中と外を見るだけで、その人に真相を伝える下準備が出来てしまい、環境を見るだけで、大法弟子が普通の人と違うと感じるのです。実は、ばらばらな時間を利用しても、5分あれば、床をきれいに掃除ができ、10分あれば机や椅子も拭けるし、毎日一通りすればいつも清潔に保つことが出来て、負担にもなりません。師父は「天目が法眼通の次元にまで開いた時、石や壁やすべてのものが話しかけてくれ、あいさつしてくれるのに気づくでしょう」[1]と説かれました。これらのものも私達が救い済度する対象ではないでしょうか?

 最後に、線香をあげる問題について話します。条件のある同修は師父のお写真を専用の部屋に祀っていいのですが、条件のない同修は師父のお写真と常人の家族の写真を一緒に置いてはいけません。たとえ常人の家族が大法弟子の修煉を支持していても、師父のお写真を故人の写真と一緒に置いてはいけません。これは極めて不謹慎なことです! 他に、一部の同修は恐れる心があるため、勝手に師父のお写真で仏像を開眼し、観音菩薩像を目立つ場所に祀って、師父のお写真を片付けてしまうのです。これは恐れる心を隠して不二法門の道を歩んでいるのではないでしょうか?

 師父のお写真は必ず清潔な所に祀らなければなりません。常時に祀ることが出来なくても、場所をきれいにしてから師父のお写真を祀るべきです。近くには靴や衣服、箱などがあってはいけません。何をしても真剣に取り組み、いい加減にしてはいけません。それはあなたが本当に尊敬の念を持っているかどうかの表れなのです。

 他には、お供えの果物の場合、根っこや葉っぱを取り除いているかどうか、包装紙や皮がついたままかどうか、或いは果物にホコリや線香の灰がついているかどうか、全部入念にチェックしなければなりません。やるなら必ずしっかりやってください。敬虔で謙虚な心を持って丁寧に扱い、お供えをのせる皿もいつもきれいに洗い、テーブルもいつも拭いて、清潔にしなければなりません。

 使ったライターやマッチも師父のお写真を祀るテーブルの上に置いてはいけません。たくさん溜まると大変失礼なことになります。

 ついでに話しますが、今の社会は道徳が墜落し、いたるところに汚れたものがいっぱいで、私達の生活のあらゆる所に現れており、注意しなければ、おとし穴に陥ってしまいます。例えば商品のラベルや手提げにある広告などもそうです。なんでも物質です。見て、聞いて、それを使ってしまえば、それらのものが私達の空間に侵入して物質の場を形成します。くれぐれもこれらのものを自らの環境に持ち込まないようにしましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/3/3/362459.html)
 
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