台湾法会|修煉の道を振り返り メディアの仕事の中で向上する
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文/台湾の大法弟子

 【明慧ネット日本2019年12月8日】

 尊敬なる師父、こんにちは! 

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1998年に法輪大法を修煉し始め、すでに21年が経ちました。ここで自分の修煉体験を発表させていただきます。

 私が大学院時代に中国の国内では気功ブームが起きていました。私の先生は気功や超能力に対してとても興味があり、いつも授業中に気功の超能力現象について話しておられました。その先生の影響で私も気功に興味を持つようになり、人生の意義は何かと考えるようになりました。ある日、私はネットで偶然にも『轉法輪』に出会い、閲覧しているうちに、今までの人生に関する疑問や超能力現象について答えを見つけました。私はさっそく法輪大法のホームページを検索し、師父の各地での説法をむさぼるように読み続け、すべての説法を読みました。それから、私は法輪大法の修煉を始めました。

 一、根本的な執着心を取り除く

 修煉してから間もなく、私は身体の調子が悪かったために、病院へ行って検査を受けました。検査の結果、腎臓の両側に腫瘍が見つかり、しかも、これが悪性だと診断されて大きなショックを受けました。右側の腫瘍を処理する際に、私は手術室で主治医に腎臓を切らないようにと言ったため、医師に手術室から出されてしまいました。精神的に追い詰められた私は言葉を失い、毎日煉功する時も自分の運命を考えると涙が流れました。当時、私は法を学ぶ時も、煉功をする時も、また大法の真相を伝える時も、病気の事が頭から離れず、病気を治したい気持ちが非常に強かったのです。師父は、「人間は世間にあって多くの観念を形成し、観念に振りまわされ、あこがれのものを追求しています」「1」と語られました。私にとって根本的な執着は病気治療の心だと分かっていましたが、その心をなかなか取り除くことは出来ませんでした。私は「三つのこと」をしていても、全てが病気治療のためである以上、一歩も心性が高まらず、修煉そのものが偽物だと気づきました。

 「私は何のために修煉しているのか?」、「人生の本当の意義はなんだろうか?」と私は自分に問い続けました。この根本的な執着心を放下するには、大法の法理を真に理解しなければなりません。人間が亡くなって火葬される時には、どんなに有名人であっても、どんなにお金があったとしても、身体は持って行くことが出来ず、持って行けるものは徳と業しかありませんが、修煉者は功を持って美しい天国に行けるのです。しかし、そこまで行こうとするには、学法を通して心性を高めることで、根本的な執着心を放下して業力を取り除かなければなりません。

 このように悟り、私は病気のことを考えないようにしました。その後の再検診で医師も驚いて、「あれから数年も過ぎましたが、全然問題ありません! どんな治療法で完治しましたか?」と不思議そうに尋ねました。私は「法輪功を修煉して良くなりました!」と答えると、医師は「前はたぶん誤診だったのかもしれません」と信じられない様子でした。

 二、法にもとづいて向上する

 私は修煉を始めた頃、修煉はただ良い人になるためで、師父の経文の中にも良い人になるようにと教えられていると思っていました。集団学法に参加してから、同修たちの交流を聞いて、だんだんと内に向けて探すことが分かり、自分のいろいろな執着心を見つけました。私を担当する1人の補導員は法理を上手く話せるほか、いつも同修たちをまとめて大法の活動に参加しました。彼女は私にとって頼りになる人で、とても尊敬する存在でした。私は立派な同修と比べてあまりにも大きな差があり、修煉において劣等感を覚えました。ところがある日、私が尊敬していたあの補導員は何の理由からか激しく私を怒りました。私は深く傷つけられ、どうして大法の法理がよく分かっている彼女でも、このようにするのか理解できませんでした。

 私は内に向けて探したところ、自分には個人を崇拝する心と人に頼る心があると分かりました。師父は、「皆さんは人間の状態を変えようとせず、理性からも大法を真に認識するまで昇華しようとしなければ、機会を失うことになります。皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできず、圓満成就できません」「2」と説かれました。私は師父の法を深く学ぶにつれ、師父が私達に人間の認識と人間の観念から抜け出して、神の観点から考え、そして全体的な宇宙、人体及び時空を認識することを教えてくださったと分かってきました。また、常人の反省と修煉者が内に向けて探すことは、根本的な違いがあると理解しました。常人の反省の基点は、人の中で良い人になるためであり、反省する過程で見つかった過ちや私心は、常人の方法で取り除くことが出来ないと、自己嫌悪に陥りかねません。それに対して、修煉者が内に向けて探すという基点は、神の道を歩むためであり、執着心を見つけたら、法理を理解していないのではないかと考え、絶えず人間の認識と人間の観念を捨てて、徐々に自分の執着を放下し、周りの物事から抜け出すことです。それによって嫌悪感もなければ、満足する気持ちもありません。

 三、大紀元メディアの仕事の中で心性を高める

 大紀元新聞が週刊から日刊に変更された時に、私はその事業に参加しました。仕事をする中で数々のトラブルや心性の難関に直面しましたが、今考えてみると、全てが私の執着心を取り除くためであると思いました。その中から一つを取り上げます。

 最近、大学を卒業したばかりの1人の同修が大紀元メディアに入社し、私の部門に配属されましたが、間もなく離職したいと言い出しました。理由を尋ねると、彼は私と周囲に対して不満が多かったようです。来たばかりなのにこれほど不満があり、マイナス思考も多いことから、私は大紀元を離れて、普通の会社に就職して練磨した方が、若い彼にとっても良いことだと考えたので、彼の離職を止めませんでした。

 その後、主要責任者を含むたくさんの同修は彼に原因を聞きましたが、やはり、私との問題のためだったそうです。彼は皆に引き留められ、私の所属から離れました。皆の前で自分の問題を指摘された私の気持ちは、とても辛かったのですが、師父は次のように語られました。「『街を歩いていて不意に誰かに蹴られた時、まわりに知っている人がいなければ我慢できる』と言う人がいます。それではまだ不十分だ、とわたしは言いたいのです。あなたが最も面子メンツを失いたくない人の前で、誰かがあなたに平手打ちを食らわして、恥をかかすようなことが将来起きるかも知れません。果してあなたはそれにどう対処しますか。果して耐えられるかどうか。一応は耐えられたとしても、内心では落ちつかないようでしたら、それでも駄目です」「3」。私は内に向けて探したところ、名誉を求める心とメンツを守る心があることに気づきました。師父は、「あなたたちの名、利、情を放下しようとするときこそ、苦しいと感じるのです」「4」と説かれました。

 執着心を放下するには法を学び、法にもとづいて向上しなければなりません。私は法理を基に自分に照らし合わせ、この大きな関門を気にしないようにと試みました。師父は、「常人社会に来ている間は、ちょうどホテルに泊まるようなもので、しばらく滞在したら、たちまち去っていくと言われます。ところがこんな場所に未練がありすぎて、自分の家を忘れてしまっている人がどうしてもいるものです」「5」と語られました。短いこの世間の時間の中で、あれこれ計算する価値のある物は何もない、と悟った瞬間に全身が軽くなりました。

 しかし、さらに内に向けて深く探してみると、まだ新人なのに私を批判する資格はないと彼に嫉妬し、納得しなかったのです。師父は次のように書かれていました。「これらの問題はすでに非常に深刻になっていますが、彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います」「6」。私には確かに嫉妬心があったため、心中穏やかではありませんでした。それから私は嫉妬心に関する説法をより真剣に学びました。さらに師父は、「皆さんが歩んだ一歩一歩ですが、その一歩の幅の大きさまで按排されました。あなたは信じないかもしれません。迫害されているとき、何回叫ぶのか、何回叩かれるのかは全部それらに按排されたのです」「7」と語られました。この説法を読んで私は驚きました。一歩の大きさまで按排されたとすれば、一人人の人間が世の中で持っている能力や専門的な知識、技能まで按排されたはずで、人々はすでに出来上がった脚本に従って、それぞれの役を演じているに過ぎないと思いました。神から見れば、誰が高くて、誰が低いということもなく、ただ役が違っているのかも知れません。このように理解したところ、私の嫉妬心もだいぶ弱まりました。それから私は周囲の物事に対して、出来上がった脚本のままに映画が上演されているだけだと思い、心が淡泊になりました。

 このように認識してからは、私は彼に言われたことを真剣に考えるようになりました。彼は私が仕事中にネットでフェイスブックを閲覧していたと指摘しました。以前、私は大紀元メディアの営業に携わる時に、フェイスブックを使ったことがありました。現在の仕事には必要ないのですが、習慣になりつい閲覧してしまいます。そのために貴重な時間を費やしてしまい、睡眠もろくに取れず、学法や発正念する時も眠くなり、座禅の時もよく眠ってしまいました。彼の指摘を受け入れた私はネット上の閲覧を控えるとともに、仕事と休憩の時間を調節した結果、学法と煉功、それに発正念が集中できるようになり、自分の修煉状態もだいぶ良くなりました。

 しかし、彼と顔を向き合わせた時、私の心にまだ不自然なものがあり、それを掘り出してみると、トラブルに対する恐怖心が見つかりました。今まで私はトラブルの後、自分が再び傷つけられないように、相手を無視する傾向がありました。修煉者としてこの状態を突破しなければなりません。その後、私は他の仕事で彼に協力を求めたところ、彼も熱心に私を手助けしてくれました。彼も修めて向上していると感じました。このことを通じて、私はトラブルに遭った時に内に向けて探し、自分を向上させるほか、トラブルから逃げず、直面する勇気が必要で、固定的な目線で同修を見てはいけないと思いました。同修も修煉により変化が現れるのです。

 四、9.29 台湾での香港を応援するデモに参加する

 2019年、台湾で行なわれた9.29大型デモは、常人による活動で、テーマは香港を応援し、強権に反対するもので、大紀元は「天は中国共産党を滅す」というテーマの特別号を6万部発行しました。香港の抗議活動は最初の逃亡犯条例改正案への反対と五つの要求から、今は「天は中国共産党を滅す」のスローガンを貼る人がますます多くなってきて、香港の獅山(ししやま)にまでそのようなスローガンが見られ、中国共産党が滅びる時期の到来を神が世人に示しています。

 当日、私はインタビューを担当していましたが、インタビューを受けた1人の農民は、わざわざ彰化(しょうか)地区から車に果物をいっぱい載せてやって来て、デモに参加する人たちに配りました。彼は「台湾の民衆は最初はよく分からなかったが、最近の香港の現状を見て目が覚めました。香港の警官は老人も子供も関係なく、暴行したり連行したりしています。天の助けがあって、今の台湾は覚めたのです!」とインタビューに応じました。常人でさえ理性的になったことから、神様が香港を通じて、台湾の親中派の人たちを目覚めさせているのだと思います。

 師父は「人類社会はただ天象の変化にしたがって動いているだけで、過去の歴史は絶えず繰り返され、今日の歴史もさらに昔の歴史の繰り返しと修正なのです」「8」と語られました。私は今の香港で起きていることも按排によるものだと理解しています。表面的には香港の民衆が、中国共産党による弾圧を受けているように見えますが、実は世界中の人々に中国共産党をはっきりと見極めさせるためです。ですから大法弟子として我々は心を動じず、この機会を大切にして民衆に広く法輪功の真相を伝え、より多くの衆生を救い済度し、世人を目覚めさせるべきです!!

 法を正す最終段階になる今の貴重な時間を大切にし、さらに精進して「三つのこと」をきちんと行ない、師父の慈悲なる済度に背かないようにしたいと思います。

 師父、ありがとうございます! 

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「円満成就に向かって] 
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「警告の言葉] 
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「真修] 
 [5] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [6] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「時間との対話] 
 [7] 李洪志師父の説法:『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』
 [8] 李洪志師父の説法:『ヒューストン法会での説法』

 2019台湾法会の発表文章)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/29/396244.html)
 
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