文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年8月20日】嫁の母親が2019年に大病を患って、何度か入退院を繰り返していました。 嫁は一人っ子で、母親に至れり尽くせりの看病をしてあげて、とても親孝行でした。嫁が親孝行をしている姿を見て私は羨ましくなり、心のバランスを崩してしまいました。
ある時、私は娘に「お前達二人(息子も含めて)は、あの嫁の親孝行ぶりにはかなわないな」と言いました。その後、私は嫁と比べることは適切ではなく、娘の気持ちを傷つけてしまったかもしれないと思いました。そして、 私の心はずっと不安でした。実は娘と息子は物分りの良い子で、親孝行な子供達なのです。特に彼らの母親が迫害されて亡くなってからは、さらに親孝行をしてくれています。
心を静めて内に向かって探してみると、なぜこのような妬みと心のアンバランスが生じたのでしょうか? その根源はどこにあるのでしょうか? 最近『轉法輪』の中の「嫉妬心」を学んだ時に、私ははっと悟りました。「なるほど、これは嫉妬心だ! 嫁の親孝行ぶりに嫉妬し、自分の子供にも嫁のような親孝行を期待している、なんと強い執着心なんだろう」と思いました。
中国では「蛇が象を飲み込む」という俗語(雅語に対して、世間で普通に使われる言葉のこと)がありますが、その意味は欲張りで飽くことを知らないという意味です。現在、社会の道徳が急降下していることに比べ、自分には親孝行な子供がいるにもかかわらず、まだこれに満足しておらず、もっと親孝行をしてほしいと期待しています。 老後になって幸福を享受し、裕福に暮らしたいという私欲を満たす願望を抱くとは、これはなんと強い私心なのでしょうか、なんと強い執着心なのでしょうか!
私はこの事で分かったのですが、苦しみに耐えることは、修煉者にとっては業力を取り除くという重要な一面でもあります。享楽を貪ることは修煉者の取り除くべき執着です。快楽を追い求めることや苦しみに耐えたくないことは、常人が追求することです。苦しみに耐えることは修煉者にとって必要不可欠なものであり、常人の求めるものを、どうしてこの私は追求しているのでしょうか? そして、この羨ましがる心と心のアンバランスは、修煉者にとっては最も取り除き難い嫉妬心を隠しており、その背後には、生命が落ちてきた理由、私心があるのです。
こんなに些細なことを通して、私は修煉の厳粛さを実感しました。私達の一つの思考、一つの思い、一つの言葉、一つの行ないから修煉者の修める心や取り除くべき執着心が多くあります。