文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年5月31日】ある日、グループ学法の後の交流で、ある同修は「〇〇さん(同修)は裏であなたの噂を言いふらしていたよ。それは結構ひどいもので、人を罵るような口調だったし、修煉者が互いに問題を指摘する範疇を超えていた」と言いました。それを聞いた私はカッとなって怒りを抑えきれず、悪口を言う同修にすぐ、談判に行こうと思いましたが、グループ内の同修に止められました。
家に帰ってから、ご飯を作りながら、その話を思い出し、思えば思うほど腹が立って来て、「こっちは何もしていないのに、どうして私の悪口を言いふらすのか? 本当に許せないことだ。明日、彼らに直接問い正してみよう。納得する答えがなければ、思い切って怒鳴ってやる」と思いました。そして、悪口を言う同修達の表情が目の前に浮かび上がり、「彼らは同修だと言えるのだろうか? 敵ではないか? だめだ、明日まで待てない。ご飯を作ってから彼らの所に行こう」と悔し涙も出てきました。でも「明日は、師父のお誕生日で、このような大切な前日に行って問題を起こしてはいけない。だから、明後日に行こう」と思いました。
この時、私の脳裏に師父のお言葉、「しかし、往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません。というわけで、彼はやはり気になってたまらず、どうしても後ろを振り向いて、その二人の様子を覗いてしまうかも知れません。振り返って見たら、二人はちょうど憎々しげに、調子に乗って悪口を言っているではありませんか。そこで、彼もついに我慢できなくなり、かっとなって相手と喧嘩してしまう可能性もあります」[1] が浮かび、そして、「どのような具体的なことに遭っても、皆さんに教えたことがありますが、それはいずれも良いことで、それはあなたが修煉したから現れたことです」[2] と浮かびました。自分を高めなければならないと分かりました。そこで、「どうすればいいのか?」と自問すると、「内に向けて探すことは最も有効な方法です」[3] と師父の法が脳裏に浮かび上がりました。
私は落ち着きを取り戻しました。内に向けて探すと、人に言われたくない心、闘争心、怨恨心、嫉妬心、名を求める心、顕示心、極端に走ること、攻撃的で仕返しをしたがること、口を修めず同修間に隔たりを作ってしまうこと、などの問題を見つけました。同修は鏡です。そこに映し出されたのはすべて自分の姿です。こうなったのはすべて自分のせいではないかと思いました。長年、私は口を修めず、内に向けて探さず、多くの同修を傷つけ、隔たりを作りました。今度の事は心性を高め、心を正すためのチャンスではないか? なぜ、怒る必要があるのだろうか? そう思うと、穏やかな気持ちになりました。そして、「師父、私は間違っていました。同修の皆さん、申し訳ありませんでした」と心から詫びました。その瞬間、天が清らかで、体が透き通ったような気分になりました。
師父の慈悲なるご済度に感謝いたします。同修の無私の助けに感謝いたします。これから、必ず自らをしっかりと修め、全体を圓容し、師父に安心していただけるように努めてまいります。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」