二言三言 「病気治療」について
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 文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2019年12月3日】今日、法を暗唱している時、「さらにいったん自分が人の病気を治せると思ったら、きっと看板を掲げて、来る者は拒まずとばかりに病気治療を行ない、執着心が現われるに違いありません。人の病気を治すことができてなんと嬉しいことでしょう!」[1] のところで、師父は、私が外ばかりを見て、内に向けて探さないという問題に気付かせて下さいました。

 毎回、同修と交流する時、同修が自らの体験を話すと、私はすぐに同修が抱えている問題の原因を分析し、同修にこの執着心、あの執着心があると指摘して、まるで漢方医のように脈を取り、そして、「これは嫉妬心だ。あれは怨恨心だ。それは党文化ではないか」と診断していました。そして、自分が悟ったものに基づき、同修に「こうすべきだね。ああすべきだ」と処方箋も出しました。一部の同修は私の診断を聞いて、「おっしゃる通りです。本当にその通りです」と納得してくれました。その時、私はただ「同修の問題解決に役立ち、いい事だ」と思っていました。しかし、グループ学法からの帰り道、頭の中で、「あなたは実によく悟った!」という褒める声が聞こえてきて、しかも、何度もこのような言葉が聞こえてきました。

 師父は「一部の人はその次元に長くとどまり、十数年、数十年の歳月を費やして修練していても、その次元を抜け出すことができない」[1] と説かれました。

 この数年の修煉を振り返って考えると、自分はずっとこの同修の執着心を探し、あの同修には提言をしてきましたが、逆に同修が私の問題点を探してくれることは殆どありませんでした。そのため、同修は私に会うと、「あなたはよく法理を理解しているから、どうすればいいか、あなたから言ってください」と言うようになりました。これは大変重大な問題で、私の顕示心と歓喜心がどんなにひどいものかを、師父は気付かせて下さいました。

 そこで私は、世間の人に直接大法の真相を伝えることこそ、人の病気を治療することだ、と私は悟りました。自分の気持ちをもっと人を救うことに使い、世間の人々の病状を分析し、彼らが救われるのを妨げる原因を究明し、その解決法を考えなければなりません。それこそが私が真にやるべきことではないか、と私は思いました。

 以上は自分の現段階での少しの認識です。法にはさらなる高い内涵があるため、不適切な所があれば、ぜひ、ご叱正をお願いします。ありがとうございました。

注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/20/394790.html)
 
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